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フリースクールからの高校進学ー不登校支援施設の見分け方(2)

2011.10.16.00:18

ドングリの弥次郎兵衛
<ドングリの弥次郎兵衛>

▼ただし、私たちは1996年以降、春と秋の年2回、不登校の高校生支援の先駆けとなったサポート校群だけでなく、技能連携校、東京都専修学校群、通信制高校などとも、教育実践活動報告会&教育相談会を開催したり、教育シンポジウム開くなど、初期のそういう団体とは子どもの支援活動という共通の目標で共に歩んできた仲間でもある。例えば、最もその先陣を切った東京文理学園などの場合などは、先日設立20周年記念行事を行いそこに多くの教育関係者の方々が集まったように、大学への進学実績にしても社会参加への窓口としても、年数に見合った実績を上げている。

▼しかし、歴史の浅いサポート校の場合は、日本の多数の不登校生を排出するに至った教育制度に疑問を抱き、そういう子どもたちのために日本に新しい教育の地平を切り開こうと奮闘したわけでもない。謳い文句通りの実績がまだあるわけでもない。大多数は後から、そこに新しい教育ビジネスのチャンスがあるのではないかと参入してきた団体なのである。だから、それを利用する側にもそれなりの理解が必要だということだ。でも、初めて我が子が不登校になるという《事故》に巻き込まれて動揺している親御さんにはとてもそれを見極める余裕はない。藁にもすがる思いなのだ。だから、それが甘言であっても容易に乗ってしまうこともある。ただし、良きにつけ悪しきにつけ、今や多くのサポート校が存在するようになった。つまり、学校教育を管轄する文科省下の教育行政が半ば破綻してしまっている以上、民間教育の側からの不登校となった子どもたちへの教育支援活動の出現は不可避の必然的な現象でもあったのである。

▼だから、サポート校の謳い文句には注意が必要という言い方は本当は正確とは言えない。そもそも問題なのは我々民間教育の側がこういう形で子どもたちの教育に関わらざるを得ない状況に日本の教育がなってしまったということにあるのだから。では一体、なぜ日本の教育制度はこんなに大量の不登校生を輩出することになったのか、なぜ文科省を頂点とする日本の学校教育は根本的なメスを入れることなく今まで放置して来たのか。根本の問いはここにある。文科省や経産省の国策としての管理運用がそもそも原子力産業の問題の根底にあることには目をつむり、徒に末端の学校の放射能除染のあり方の方に批判の目を向けさせるのと同じような構図があるように思える。

基本的に各地域の教育行政の側が今までの不登校対策の不備を反省し、民間の取組から学ぼうとする姿勢は評価したい。そういう反省と学びの中から東京都のチャレンジスクール構想や埼玉県のパレットスクール構想などが生まれてきたのだろうと思う。しかし、この問題を各地方の教育委員会レベルの不登校対策で済ませていいものなのかどうか。これでは相変わらず根本は何も変わらず(相変わらずというのは、戦後の民主主義教育なるものが単なるパフォーマンスで終わってしまい、根本は何も変わらなかったのではないかという疑いがあるからである)小手先の対策だけが横行することになる。「不登校対策はやりました」という行政の免罪符を一つ増やすだけのことだ。

不登校問題は、単に教科教育の問題に限らず、生得的な事柄も含めて心や身体、知的な資質の問題など子どもの側の問題もあれば、家庭環境など外側からは容易に入り込めない夫婦大人間の事情もあれば、教育格差に連動する経済格差等の生育の環境等の問題もあるし、いじめや評価に絡む日本の教育風土的な問題もある。だから、一概にこうだと断定するわけには行かない。
 しかし、そういう様々な生育の狭間に立たされようとも、子どもは過去や現在に生きるよりは未来に投企(プロジェ)して生きる存在なのである。だからもし、子どもに立ち直りと未来へと通じる道が用意されるならば、子どもは自分の生きる力で力強く前進して行けるのである。

▼ここでは、これ以上突っ込んだ話はしないが、子どもに本当の力を育むフリースクールとはどんなものかをよく見極めて欲しい。時には「換言耳に逆らう」とか「甘い言葉に気をつけよう」ということもある。ショーウインドウの飾り付けが良くても奥行きが無いこともある。地味な関わりが子どもの真の力を育むということもある。不登校になった子どもたちは何を求め何が必要なのだろう。そうなるに至った根本とその経緯をよく理解して欲しい。もしそういうフリースクール等の関わりがなかった子どもたちはどうなるか。中学時代に不登校になった子どもが教育行政下の施設で過ごすということもよくあるが、そういう関わりだけで高校に進学した生徒の半数近くが高校中退に陥っているという厳然たる現実があることを理解して欲しいものだと思う。

▼ところで、不登校講演会や相談会ではよく専門家と称される人たちの講演を聞かされることが多い。だが、その講話は良かったとしても、その人たちは壇上でお話をするだけで日々現場で子どもたちと接するわけではない。せいぜい研究対象・調査として接するだけである。逆に、実際に子どもたちに関わるスタッフの中には、かつての不登校体験者で自分の問題もまだクリアーできていないような人がいたりすることもある。体験は貴重ではあるが自分の問題がしっかりと解決していないと教師としてのバランスの取れた関わりは難しい。たとえば、自分の病気を担当する医師が自身もその渦中にある先生であったなら任せようと思うだろうか。このどちらも、現実に子どもと接する教師としては不適格である。

▼教師として不登校の子どもと接する場合には、様々な条件をクリアーしている必要がある。特にそのスタッフが子どもが通うのが嫌で離れた学校の先生のような存在であったならどう仕様もない。そのような存在は、子どもに最も近いようでいて実は一番遠いのだ。子どもと向き合う時には、教科指導だけでなく、心の問題にも、成長期の身体の問題にも通じていなくてはならないが、それは知識として理解しているだけでは駄目で、言わば血肉化していなければならない。子どもの心のヒダまで理解できているだけでなく、社会人としての感性のバランスも取れていなければならない。相手が不登校生であるからそれなりの先生で間に合わせようという発想をする管理側の人もいるが、その考えは全く逆である。どんな子どもたちの場合よりも、そういう子どもたちのあり様を感性で受け止められる聡明な知性と心性が求められるのである。これは我が子のことを考えるならば、よくよく考えるべきことである。

※誤字脱字等の場合、ご不明の場合には、ご連絡下さると嬉しく思います。


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 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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