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インプットからアウトプットへ──勉強の変革(2)スキルの向上

2010.08.20.14:46

※このブログで述べていることは確定的な意見ではなく、あくまでも「覚え書き」的なものであるとご理解ください。

gakkoukara-gakkouhe 経済同友会が発表した「学校から合校へ」
(月刊教育誌「ニコラ」1995年10月号から)

■Q:子どもが主体となると、勉強その他の活動がどう変わるんですか?「子どもの好き勝手にさせておいていいのか。大人として子どもに伝達すべきものがある。それを行うのが教育だ」というような考えも根強いと思うんですが…。
■A:うーん、教育のこととなるとどうしてみなさん堅苦しく考えてしまうんでしょうね。もっとゆったりと広い視野で眺めてみませんか。
 確かに、日本に近代国家が成立し、欧米に追い付き追い越せとばかり、富国強兵とか殖産興業とかの掛け声でやっていた時代には、教育もいかに良質の部品を大量に生産するかということに力点がかかっていました。でも、それはそれで時代の要請であったわけです。「近代的教育工場」と言ってもいいと思いますが、当時の教育はそういうニーズに応えることでそれなりにうまく機能していたんです。でも、今はもうそういう時代ではない。なのに教育は一向に自己変革できない。子ども達のニーズに全然応えられなくなってきていますね。
 一方、相変わらず進学熱は高いですけれども、みんな学校教育に満足していない。未来への展望もない。でも代替のものもない。だから、とりあえずこの路線で行くしかない…、そんな感じですね。
 こういう日本の教育の危機を最も敏感に察知したのは、実は財界や産業界ですね。1990年代、不登校になる子ども達がどんどん増えてくる中で、このままでは「日本沈没」しかないと、「学校から合校へ」という教育改革のスローガンを掲げていち早く動き出したのは経済同友会の人達でした。今、外国では日本のことを「失われた10年」とか「20年」とか言って「日本のようになるな!」ということが言われているようですが、その元は自ら変革できない日本の教育にあるんじゃないでしょうか。でも、教育界は馬耳東風というのか、自ら真剣に変わろうとする感覚を持っていない…。

■Q:なるほど、教育は日本の命運とも連動しているわけですね。でも、ちょっと話が難しくなりました。卑近な例で説明してもらえませんか?
■A:たとえば、私どもが英語を習ったときは、「Jack and Betty」という英語教材でした。でも、周りには外国人など全くいません。特に私が育ったような田舎はそうです。では、何のために英語を勉強するのか。それは日本が復興するために欧米の知識をどんどん吸収するためなんですね。ですから、もっぱら理解する英語、黙読する英語ですね。しかも、英米人でもびっくりするような難しいレベルにまで突き進む。そういう英語の勉強が求められたんです。でも、結局そういう語学は身に付かない。私もそういう英語教育の犠牲者の一人です。
今は中学生では「New Horizen」とか「Sunshine」、「Total English」、「NEW CROWN」などになっていますね。それでも──どっきりテレビじゃないですが──やっぱり「I study English.」なんですね。「I learn English.」ではない…。

■Q:つまり、依然として、日本の学校教育のスタイルは変わっていないと…。
■A:ええ。語学はコミュニケーションのためのツールだと思うんです。ところが、日本ではなぜか「研究」になってしまう。「learn」と言えば習得し使えるようになることが前提です。ところが、「study」だと勉強しているという態度が問題であって結果は問われない。で、日本の子ども達はみんな難しい顔をして「study」している。その結果、OECDの加盟50数カ国の中で習得率が最下位なんていうおめでたい勲章をもらうことになるんですね。
 これは英語だけの話ではない。日本の教育の象徴的類型ですね。これが全ての学校教育のあり方に浸透している。日本の教育は初等教育としてはとても高度なことをしているんだけれども、恐竜の進化のように先がない、袋小路、行き止まりの勉強です。よく日本の携帯電話のガラパゴス化ということが揶揄的に言われますけれど、その典型は日本の教育システムそのものにあるんですね。

■Q:といいますと、たとえば…日本の教育が今後どうなって行かなければならないと?
■A:「子どもの学び」というのは、基本的に遊びやスポーツ等と同じ地平か、その延長にあるものだと思うんですよ。だから、それは「学問」ではなくそれ以前の「練習」を通じての「スキルの向上」というものだと思うんです。
 僕らが子どもの頃は日の暮れるまで(集団であれ個人であれ)遊び呆けたものですが、今は何でも訳知りの指導者(?)がいて組織化され序列化され、それで優劣が競わされる。その最たるものが学校での活動ですね。でも、子どもの活動って本来そういうものではないでしょう。「児戯に類する」という言葉がありますが、他愛のないことで戯れていたり、子供特有の創意や発見があったり、一見重要でない部分が重要であったりするものです。
 社会的な感覚を磨くという面から見ても、遊びにもルールはあるし、役割分担もある、想像力も不可欠です。仲間としての承認の儀式のようなものもあります。上達するともっと楽しくなるからと言って自分で努力もするし練習もする。これはみな共通なんです。その現れは違っても通底しているんです。こういう活動を通して子ども達はコモンセンスも自然に身に付けて行くんですね。
 たとえば、狭い原っぱで野球をしたとします。すると、ボールが近くの民家に飛んで行ったりする。それで、頭を下げて謝りに行き、ボールを貰うだけでなく、時にはガラスの弁償や鉢植えのことで大人と交渉しなければならなくなることもある。そういうことも全部、本当は子どもにとっては大事な勉強なんですよ。
 近年の教育は、そういうことを「教育」の名の下に子ども達から全部奪いとってしまった。「勉強」さえしていれば他は全部免除される。でも、それは子ども達の手足を縛り、心も縛り、その能力の向上を奪うことです。誰がこういう教育を当たり前にしたんでしょうんね。この功罪(?)はあまりにも大きいですよ。

(3)に続く

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