FC2ブログ

不登校からの再出発・脱却のために…「知識」から「行動」へ(2)

2013.12.01.20:34

鎌倉散策 晩秋の鎌倉から

不登校からの出発・脱却へ…「知識」から「行動」へ(2)

▼私達が月刊教育雑誌『ニコラ』からフリースクール・ぱいでぃあ」の歩みに踏み出したのは、雑誌からの発信や「ニコラの会」による毎月の実際の交流だけではどうしても満たされない思いがあったからでもある(当時、埼玉県だけでも500人以上にのぼる読者がいた)。どんなに現場で取材を重ね、子ども達と日々接している親御さんの声を取り上げたり、春と秋に東京や埼玉で不登校の支援団体が集まって「不登校生のための実践報告会」等を主催しようと、どこか隔靴掻痒の感が拭えなかったのである。
 おそらく月刊教育雑誌『ニコラ』の活動は日本で初めての不登校問題への本格的な取り組みではあった。確かに、雑誌を通じての活動は不登校の問題を単に表層の現象には終わらせない考察には寄与したが、同時に言葉に終始せざるを得ないという限界をも感じさせるものとなったのである。

▼「今は不登校はしているけれど先に繋がる希望が持てた」「真っ暗闇に光明が射した」という感謝の言葉はいろいろ頂いた。しかし、「うちの子はまだ中1です」「うちはまだ小学生です」と家庭からの声や、「高校進学まで待たなければいけませんか?」「今何もせずにいるだけで再起できるか心配です」という声もあった。さらに「今、この子たちに何とかしてやれませんか?」という悲鳴にも似た声もあった。
 そういう声の中に「うちの子はとうとう向こう側へ行ってしまいました」というご家庭の声もあった。「向こう側の世界」とは「引きこもり」という、社会人としてはほとんど再起不可能な領域のことであった。(当時まだ「引きこもり」を受け入れる組織はどこにもなかった。奥山雅久代表の「全国引きこもりKHJ親の会」の発起に立ち会い、交流を深めるのはその数年後のことである。これについてはページを改めて語りたい)

▼埼玉県の教育行政ではまだ具体的な対策は何もなかった。しかし、言うは易く行うは難い。「猫に鈴をつけろ!」と言うのは簡単である。では、誰が付けるか?
 実際、今15歳の子も5年も過ぎれば20歳、成人となる。その時、何のスキルも積まぬまま自宅に引きこもっていたらどうなるか?もしかしたら〈廃人〉として一生を過ごすことになるかも知れないのだ。今年の流行語に〈今でしょう!〉というのがあるが、まさに「子どもの成長に待ったはない」。
 しかし、学校が半ば匙を投げている不登校の子どもの支援活動を生半可な関わりで出来るわけもない。それに、「不登校は病気ではない」と言われていたが、それは〈病気と言えるほど重いものではない〉という意味では決してない。「どうにも病名の付けようがない」という意味。つまり、精神科医でもよく解らず〈取り敢えず間に合わせの薬で誤魔化しておけ〉というものだった。(しかし、寡聞にして、精神科医の処方した薬で全快し立ち直ったという例を知らない)

▼それに日本にはまだ十分な市民活動はなく(ボランティアが話題になるようになったのはまだ最近のこと)、「公共のために…」という活動を〈偽善〉と批判することはあっても、私財を投入してまで参入する人は先ずいなかった。でも、誰かがやらなければ子ども達はみすみす無念な人生を歩むことになるし、国家は学校を離れた子ども達を社会不適応の子ども達として一生面倒を見なければならなくなるかもしれない。「そんな馬鹿なことがあっていいはずがない!」という義憤が行動の原点だった。
 そういう様々な声や思いに押されるようにして、2000年に「フリースクール・ぱいでぃあ」の開校となった。もちろん全部、自費であった。しかし、〈救いは求めるけれども、自分から他人に関わろうとはしない〉(この問題は今でも不登校問題にはついてまわる)。公共心や寄付文化の希薄な日本…それをもろに体験した船出でもあった。(それを見越して後に企業が〈不登校ビジネス〉として次々と参入することになる。が、その思いは大きく違うものである。しかし、人はいつも自分のメガネを通して判断するものだ)

▼不登校にもいろいろある。それは雑誌の活動を通じてよく分かっていた。たとえば、〈非行〉にも昔からずっとある典型的な非行タイプというのがある。しかし、長らく裁判所に勤務していた私達のNPOの理事の一人は(大学教授)『いい子の非行』という本を書いている。ここには現代特有の〈非行〉の問題がある。これが問題なのだ。
 同じく不登校にも、一般に言われる不登校の型=〈落ちこぼれの不登校〉というものと、個性や才能が強く豊かであるために学校の枠からはみ出るがためによく評価されない不登校=〈吹きこぼれの不登校〉というものがある。学校では同じように処理されてしまうが本来は大きく異るものだ。もし評価の基準がもっと多様で懐の深いものであったなら、そういう子ども達の評価は大きく変わっていたことだろう。
 
▼私達フリースクール・ぱいでぃあが中心的に扱おうとするのは、主にこの後者のタイプである。不登校全体の割合からすれば少ないかもしれない。が、不登校問題の根幹を見据える時、決して片隅によけて考えればいいということにはならない。そこには単に学力だけでは片付けられない様々な問題が横たわっている。
 子どもを評価するにしても様々な視点があるはずだ。海外では学校教育の中に当たり前に取り入れられ評価されていることがなぜ日本の学校教育の中ではできないのか。国際感覚が要求される時代、もっと多様な価値観があってもいいのではないか。このままでは日本という社会は国際化の波に逆行し、閉鎖的で息苦しい物になってしまうだろう。

▼再起を望む本人や親御さんであれば、現在の学力や精神状態がどうであれ、単に不登校になったというだけで自分の人生を決して投げ出すべきではない、諦めるべきではない。子ども達が再起するための支援であれば、たとえ金銭的に苦しくても自分の生き方に納得ができるはずである。そういうバカがいてもいいだろう。それが始まりだった。
 これはどこでも同じだろうと思うが、〈フリースクール・ぱいでぃあ〉にやってくる子ども達はみなほとんど自己卑下、マイナスの自己評価の塊である。自分に〈イエス!〉などとはとても言えない。一体どこでそうなったのか?
 この世に生まれ落ち、愛され、成長を期待されていた時の子どもは輝いていたはずである。自己肯定感に満ちていたはずである。だから、初めからそんなに自分に投げやりで、〈自分なんてどうでもいい〉と思っていた人間などいなかったはずだ。本来、自分はどういう姿であったか。その姿をもう一度取り戻させてやりたい。堂々と自分に向かって〈イエス!〉と言える人間に戻ってもらいたい。そう願った。

▼幸い、こちらの支援に応えてくれた人達はみな自分を生きている。不登校なんて、成長期の一種の風邪のようなもの。不幸にしてそんな風邪に罹ってしまったならば、じっくり完全に直せばいいのだ。二度と負けない体力を付ければいいのだ。でも、たまに風邪に負けて命を落としてしまったり、こじらせて他の病気を併発させてしまう人もいないわけではない。そうならないためのスキル、罹ってもそれに負けないためのスキル、それをぱいでぃあという〈フリースクール=道場〉で練習するのだと思えばいい。なに、〈遊びもスポーツも勉強も…スキルを積めば誰でも上達する〉のだ。すべて楽しみながらやればいいことである。

(続く)具体的な方法はおいおいと。

※文章を推敲していません。後日、加筆訂正があるかもしれません。ご容赦を。

******************************************************
「教育落書き帳」(ブログ)<
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
******************************************************
良ければクリック。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ

にほんブログ村

関連記事
スポンサーサイト



comment

Secret

プロフィール

Bakiller

Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR