学校の対応とフリースクール-(2) 子どもがフリースクールに通うと言い出した時

2016.08.01.19:55

不登校 : フリースクールと学校と…(2)

▼フリースクールの門を叩くまで
 このサイトを訪れ、このブログに目を通される方というのは、たぶんお子さんが不登校になりしばらく様子を見ていたが改善の余地がなく、何かいい手立てはないものかと思い余っての方が多いのではないかと思う。ただし、ただ様子を見るとはいっても、ただ黙っていたわけではあるまい。たぶん、最初は担任を通して、それでも埒が明かない場合には学校の責任者である校長とも話し合った…もちろん家庭ではできるだけのことはした、という方が多いのではないかと思うが、いかがだろうか。
 そういう方が、不登校の子どもたちを引き受ける「フリースクール」というところがあるのを知って、本当に我が子でも大丈夫なものか半信半疑のまま、フリースクールの門を叩いた…そういうこともあるのではないか。

▼学び活動する子どもが主役のフリースクール
 フリースクールに電話をして、実際に相談するために会って見た方は驚かれるかもしれない。「フリースクールって、こんなに不登校の子どもに理解があるところなの?!」と。学校との落差は大きかろう。
 学校は多分に「健常」な生徒な生徒が対象であり、その権限は学校の先生が握っているように見える。学校での主役は先生なのだ。それに対して、フリースクールは大部分が不登校などで学校を放れた子どもたちばかりなのだが、その主人公は生徒たちと言い切れば語弊があろうが、どうも活動の中心には一人ひとりの子どもたちがいて、主役は先生ではなく生徒のようだ。とにかく、学び行動する子どもを取り巻く環境が学校とはまるで違う。そこではどの子も自分らしくいられるようである。

▼フリースクールと聞いて豹変する学校
 こうして、フリースクールで話をして、親子共ども共感し、「体験学習」を通して子ども自身が肌で感じ取り、もう学校に戻る気がなくなり、いざフリースクールに通い始める時になって、奇妙なことが起きることがある。毎月の通級報告や通学定期の発行とか、今後の連絡のあり方とかで、子どもに代わって親御さんが学校に出向くことがある。そして、そこで学校側は親御さんの口から子どもが学校に見切りをつけて、気持ちを切り替えて元気にフリースクールに通い始めたことを聞くことになる。
 これまでは子どもが学校に通えない状態のまま何年も放って置かれ、親御さんの要望も聞き流されるような状態であった。また、一向に不登校になった子どもの気持ちに寄り添うようにも見えなかった。それで、親御さんとしてはこのままでは埒が明かないと思い余っての行動であったはず。ところが、学校側は、「子どもがフリースクールに行き始めた」と聞いた途端、それまでの通り一遍の儀礼的な態度を一変させて、妙に物分りの良い、こどもや生徒思いの先生方に変身するのだ。

▼年齢主義で放置していた学校がとる逃げ口上
 そして、それまでの態度を一変させた学校は、今までもどれほどその子を心配して見守って来たか、考えつく方法を模索してきたか、そして今新たにその子に合った受け入れ方法を用意しているか…などを切々と語りだしたりする。今まで何年も放置して、勉強ができようができまいが年齢が来ればそのまま卒業させることで済ませてきた学校が(日本の学校教育は年齢主義で当該の年齢が来れば卒業させるか放校させる。夜間中学に高齢者が通っているのはそのため。残念ながら今でもそういう措置を取る学校がほとんどだ)である。
 ところが、そういう学校の言い分は殆どはその場の出任せ、と言ったらキツイだろうか。その学校の生徒が学校に見切りをつけたことに驚き、とっさに取った応急措置に過ぎない。思いつきの逃げ口上である。もし本当にそうであったならば、今まで何をしていたのか。たっぷりと時間はあったはずである。でも、実際には、その子のためになることはほとんど何もやって来なかったのである。

▼再度のダメージを受ける恐れのある学校復帰
 ところが、困ったことに、その口車につい乗ってしまう人が出てくることがある。「そこまで、我が子のことを思ってくださるなら…」と親御さんは思うわけである。でも、大抵の場合は、子どもの抵抗で泡と消える。子どもは学校でどうであったか肌で理解している。おいそれと口車には乗らない。でも、中には子どももそれを信じて通い出すこともある。学校は子どもが離れたときと本質的に何も変わっていないにもかかわらずである。そういう場合、意外にうまくいくこともたまにある。だが、その子が再び心の傷をえぐられるような体験をするようになった時、今以上に辛い結果が待っている。
 確かに、その学校の先生は子どものことを考えて色々やってくれるのかもしれない。でも、「無理解の善意はあからさまな悪意よりもたちが悪い」こともある。「ここまでやってやっているのに…」と思いやりが非難に転じることさえある。そして、一度ならず二度目のダメージがその子にとって再起困難なほど決定的に作用することも起きてくる。
 
▼変わりたければ自ら動くしかない!
 かつて不登校は「原因はよく分からないが、どの子にも起こり得る」と言われた。確かに不登校は多岐にわたり当初はそう言われた。だが、それはまだ臨床例も少なく研究が未熟であった頃の話である。少なくとも今では現場では不登校の類型は掴んでいる。学校や家庭を取り巻く人的社会的環境の大きさも分かってきている。それは弱肉強食的なせめぎ合いというよりは適者生存に近いかも。近年は食物や薬物等による身体的問題もあるが、先進国特有の文化的問題もある…。
 ただ、それらに共通して言えるのは、本来は大人の次元で解決すべき問題が子どもの次元に影響を及ぼし、不登校という子どもの問題として発現していることである。では、どうすればいいか。
 「子どもが危険を感知したらまず逃げるしかない」つまり、「危険な場を離れる」こと、「環境を変える」ことである。そのためにはどうすればいいか。個人の思いを変えるだけでは環境は変わらない。自分の周りの環境を変えるには「自分の周りの風景を変えること」、つまりは「自ら行動すること」である。だが、「変われ!」と念じるだけでは何も変わらない。本当に変えたければ、自分で動くしかないのである。自らが動き出した時、全てが変わる。全てが動き出す。


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Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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