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否定ではなく無条件の肯定を!

2015.03.23.23:54

否定ではなく無条件の肯定を!

▼現アメリカの大統領バラック・オバマがヒラリー・クリントンと激しい大統領指名候補の予備選を戦う中で頻繁に使用した言葉がある。
Yes, I can. Yes, we can.
という言葉。そして、黒人とか無名とかいう様々な不利な条件をさえ飛躍のバネに変えて、みごと選挙戦を勝ち抜いた。まさに、
You can do it!
を自ら体現してみせたのである。
その後の展開が、どれだけアメリカや日本の国に寄与したかは立場によって評価の分かれるところだろうが、アメリカンドリームの体現者(最後の?)として、夢を夢に終わらせない姿を我々にありありと見せてくれたのは確かだろう。

▼彼のあの姿から、我々は実に多くのことを教訓として学ばせてもらった。その幾つかを思いつくままに列挙したい。
 ・「思わぬことは実現しない」
 ・「夢実現は未来の自分への投資である」
 ・「夢実現には期限を決める」
 ・「今できることから具体的に始める」
少なくとも、このくらいは誰でも共通の認識として持てるのではなかろうか。これは政治やビジネスだけでなく、個人の行動にも当てはまるかもしれない。

▼また、彼の行動は教育的な観点からも面白い。特に学校をはなれた子ども、いわゆる不登校の子ども達に一番解らせたい気もする。「不登校」などという呼称は「学校教育を無条件に善とする発想」から生まれた言葉ではないか。学校教育は明治時代に入って生まれたものだが、それは子どものためと同時に国家の拡大再生産のためであった(江戸時代の寺子屋の方がよほど子どもの生育に主眼を置いていたろう)のは明らかだ。たとえば、国家教育がどれだけたくさんのあたら若き命を国家目的のために散らせたことだろう。
1980年代後半から始まった不登校の増加も、依然として学校が善であるという発想から生まれている。育ちの危機や命の危機を本能的に感じ取った不登校の子ども達の側に立った視点はそこにはない。でも、それは明らかに子どもが主体の教育を失った学校の危機を訴える「炭鉱のカナリヤ」的な行動ではなかったか。

▼「ぱいでぃあ」にやってくる子ども達は小学生や中学生の子ども達。まだ人生の出発点に立って間もない子ども達だ。いやだからこそ「ここはどこかおかしい」「楽に息ができない」と身体で本能的に感じ取ることができたとも言える。彼等はすでに日本語だけでなく日本人としてのネイティブな基本的な感覚を培った存在でもある。
確かに、彼らはまだ自立して生きることはできない。あくまでも親の庇護の下にある存在であり、これから一生ものの身体や魂を形作りつつある存在である。だから、この時期、自分に相応しい育ち方や学び方に失敗すると、その後一生それを引きずって行く羽目にもなる。

▼親御さんの中には、学校を離れたら「勉強をどうしよう!」と狼狽える人がいる。家庭の学校化の現れだろうか。でも、まずは「ここは自分の生かされる場ではない。離れよう。」と自分で決断し行動したことを褒めてあげたい。同調圧力がとても強い日本の社会。周りの全てが「イエス」という中で一人だけ「ノー」と言うことは、大人でもとても勇気がいる。それをまだ自分で自分を律することさえ難しい小中学の子どもが、自分の人生を賭して「行きたくない!」と決断したということ、これはとても凄いこと。並みの思いで為せることではない。まずはその行動を讃えたい。前向きな、自律的な、主体的なその行動を讃えたい。

▼我が子を思えばこそ、逆に親御さんはその行動を否定的に考える。「学校に行かないでどうすんのよ!」等々、マイナスな言葉や反応のオンパレード。それでなくても、落ち込みそうな自分の気持ちを必死にこらえて、「誰も解ってくれなくても、きっと親だけは分かってくれるはず!」と思っていたのに、「家族からこんな非難を浴びるとは!」とショックを受ける。
不登校の子には親思いの子が多い。だから前提条件なしに深いところで「家族は分かり合える」と思っている。だから、その親からの非難の言葉は子どもの心にもの凄くこたえる。時にはその反動は修復不可能なほど大きく傷口を広げることもある。

▼ここではこれ以上難しいことは控えよう。ただ、子どもが「不登校を選択」するという場合、常識的な見方では考えられない他愛もない軽い気持ちで学校を休むことがあると同時に、大人の思いでは推し量れないほど苦しんだ末の止むに止まれぬ決断であることもまた多い。そして、そのどちらにも共通するのは、子どもにとって「ある特定の環境の中で選択の余地なく育ち育てられたことの結果」であるということである。そして、そのどちらにせよ、親に向かっての「わたし、このままではいたくない!」という訴えなのである。
その時、子どもが大人に向かって求めているのは、世間体を気にした出来合いの思いやりや忠告の言葉ではない。大人から見たらいかに舌足らずの表現であろうと、拙い行動であろうと、その言葉や行動を否定されたり非難されたりするすることではなく、それを「受け止め、肯定してくれる無条件の承認」なのである。何があろうと、どうであろうと、その子どもの思いを抱きしめてくれる愛の形なのである。

※細かいことに関しては、おいおい触れていきたいと思う。


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genre : 学校・教育

春休みに、自分に適した学び方、生き方を考えよう

2015.03.21.17:16

▼2014年度(平成26年度)の「卒業・進級式」を無事3月14日に終え、「フリースクール・ぱいでぃあ」も春休みに突入しました。もう桜の便りも入ってきていますね。春爛漫、大いに感覚を開放して自然の運行に身を任せてみてはいかが?

▼「えっ、春休みはお休みなんですか!」という親御さんの声を聞くことがあります。「そうです。学校もお休みでしょう。この機会に家族で小旅行をするとか、ぜひお子さんと遊んでみてはいかがでしょうか?」と答えます。
親御さんとしては「不登校となった我が子を放っておけない」という思いなのでしょう。でも、お子さんは「みんなと違う自分」を責めているかもしれません。普通と違う関わりをしていいはずがありません。

▼だからこそ、学校も忘れ、勉強の遅れも忘れ、自己卑下する自分も忘れ、生きている喜び、今ともに家族といる喜びを存分に味わってほしいのです。
そういう喜びや気持ちの開放が実は本人の立ち直りには一番いいのです。勉強を含んだ学びにも断然いいのです。
「ぱいでぃあ」とは子どもが主体となる「遊び」と「学び」を統合した言葉。校名に掲げる理由です。

▼不登校の子どもたちが現今の学校教育に異議を唱えて全国で13万人を超えるようになった1990年代、まだ学校側は「学校教育に間違いはなく、悪いのは学校を離れる子ども達」という考えでした。
今でこそ、不登校を若者の引きこもりや就労にまで繋がるグレーゾーンの先駆けかもという社会的認知や理解が広まりつつありますが、それでもやはり依然として学校側は「不登校は子どもの問題」として処理することが多いようです。

▼近現代の不自然な生活の広がりとともに精神的な病やガンの増加などが指摘されるようになり(一方には風評被害という批判も)、もはや単に子どもの側だけの問題では片付けられなくなっているのは確かではないでしょうか。
たとえ健常者であっても発ガン物質の食事ばかりしていればやはりガンになるリスクは高まるように、あえてそうならないために、自分で自分を守ることも必要になりました。それまで周りのせいで済ますわけにはいきません。

▼また、もし自分に抵抗力があれば病に打ち勝つこともできます。周りに様々な細菌やウイルスが舞っていようとも、抵抗力があれば病気にはなりません。風邪が万延していても自分は風邪にかからないで過ごせます。でも、免疫力がなければ風邪で死んでしまうこともあります。それまでお任せにできますか?
同じく、院内感染が広がった病院から患者が逃げるように、不登校となった子どもたちも、自分を生かさないと判断した学校から逃げるのは極めて正当な行為なのです。子どもが生かされない場はもはや学校と言えません。

▼洋の東西を問わず、近代学校教育の始まるずっと昔から、民間の「教育」的営みはありました。
日本でも、奈良・平安の昔からそういう教育はあり、そういう土壌から紫式部や清少納言などの女性も生まれました。江戸時代には寺子屋が隆盛を極めました。明治維新を用意したにも民の教育があったからこそでしょう。国の学校教育があろうとなかろうと人々は我が子の教育の必要性を自覚し主体的に行動していたのです。
学校教育が始まったのは明治になってから、それも国の都合によって始まったものに過ぎません。

▼子どもの「育ち」や「学び」には様々な方法があります。学校で学ぶ、民間教育で学ぶ、家庭で学ぶ、海外で学ぶ、自分にあった方式で学ぶ(世界が学校の人もいます)…色々ですね。どれで学ぼうといいのです。国の都合に従って教科書で学ぶだけが勉強ではないはず。学びではないはずです。
自分はどんな形で学びたいのかな?この春休みがそんなことを考えるキッカケになればいいですね。

※「フリースクール・ぱいでぃあ」は春休みに入りました。通常の授業はありません。
 新年度に向けた様々な準備を行っています。
※子どもの育て方、不登校支援、教育問題など、「相談」を行っています。
 この春休みを利用して、新年度からの相談に乗りたいと思います。
 気軽にお電話等でお問い合わせを。


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Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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