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「子どもの目」「遊びの世界」から見えるもの---本当の学びとはどこに?(Cafetalk3)

2014.02.22.19:45

ろう梅
   ろう梅

「子どもの目」「遊びの世界」から見えるもの---本当の学びとはどこに?(Cafetalk3)

「『遊びの教育学』はどこでやられていますか?」、以前、公民館講座でそのお話をしたところ、真顔でそういう相談を受けたことがある。ちょっと戸惑った。フリースクール・ぱいでぃあ誕生の前年のことである。
 残念ながら、日本の教育を一手に引き受ける学校では目の敵にはされても、正規な子どもの活動として実現することはまず不可能。日本の教育では「学び」と「遊び」を峻別され、それは児戯に類するもの、教育には邪魔なものとして、正規の学校教育からは排除されている。小学校教育以前の幼稚園や保育所、学校外活動の学童保育、学校教育の傍流&必要悪(?)の養護学校(特殊学校)などで日陰の存在のキノコのように認められていたに過ぎない。

▼かつて『クレヨンしんちゃん』や『コボちゃん』が「永遠の5歳」として尊重されていた時がある。(その後「しんちゃん」の作者は不慮の死を遂げるし、「コボちゃん」は「5歳の禁忌」を破って小学校に進学してしまう。)「しんちゃん」や「コボちゃん」がナゼ「永遠の5歳」と言われたのか?
 「しんちゃん」にせよ「コボちゃん」にせよ、彼らは学校教育に組み込まれる前の世界を生きていた。学校にあがった子どもの世界と学校以前の子どもの世界とでは何が根本的的に違うのか?
 その一つは、学校の世界に入った子どもは「大人が設定した教育論の世界を生きることになる」こと。しかし、彼らはまだ学校の世界には入っておらず、従って大人の価値観以前の世界を、自分の生身の目や耳による思考のフィルターを通して感じ取ることが出来たのである。

▼都内の有名私立中学の進学校に合格した子は、4月からは電車で早朝から通うことになる前のモラトリアムの今、「囲碁の手ほどき」「カミングアウト・スキル(ぱいでぃあ・フォーラム)」「耳目を閉ざした集中脳訓練」「連凧作り作業」「理系脳の作り方」「算数・数学オリンピック」の訓練問題等をあてがわれ、「柔らか脳をつくる『お遊び』」等をやっている。いわゆる「遊びの教育学」の実践例である。
 それに合わせてフランス発の世界的ベストセラー&ロングセラー『プチ・ニコラ』シリーズ(全5巻、偕成社)も読破した。(教育ネットワーク・ニコラの名称はこれに基づく)
 それはニコラという小学生の痛快物語で、子どもが真面目に、真剣に、頑張れば頑張るほど、親や大人は抱腹絶倒するという類の活劇集である。つまり、そこには子どもの世界の論理と大人の世界の論理ではまるで違うもの---ということが大前提となっている。

▼ところが、かつては「子ども天国」と言われた日本ではどうか。子どもは大人の論理に従って生きるのが良しとされ、親や大人は「子どもが言うから---」と、大人として成熟していない思考態度があたかも子ども思いの態度として尊重されたりする。暗黙の共依存の関係がそこに成り立っていて、子どもの自立も大人の自立もそこにはない
 「しんちゃん」や「コボちゃん」が「永遠の5歳」として尊重されたのは、「彼らが小学校以前の世界にとどまり、しっかりと子どもの論理の世界を生きており、「大人にとっては当然、常識」と思われた振る舞いやその論理を「奇妙な不思議な世界」と映する眼差しを持っていたからである。
 子どもは明らかに大人の常識を不思議と思い、批判的に再考させる稀有の存在であった。(かつては、マスコミもそういうことを大人の世界で期待されていたのではないか?)

「不登校とは何か!?」---そう訊かれたならば、その答えの一つもここにあると思っている。「学校から本当の遊びが消えたからです」とでも答えようか?「学校から子どもが消えたからです」でもいえばより正確だろうか
 ここ、フリースクール・ぱいでぃあのある南浦和駅周辺は「塾銀座」と言われる。日能研、サピックス、ネクサス、四谷大塚、栄光ゼミナール、早稲田アカデミー、東進ハイスクール、市進、河合塾---ない有名進学塾や予備校を探す方が難しいくらいだ。だから、夕方ともなれば、そういう生徒や母親でごった返す。
 こうして、日本の学校教育の歪みで補習・進学のための学習塾が栄えるわけだが、彼等にそれほど「日本の知的教育に期待を抱いているか」を聞いてみるといい。ほどんど誰一人「心からそう思っています」とは言わないのではないか?では、夜中にもかかわらず、何のために我が子を塾に行かせるのだろうか?それは、「我が子が競争に勝ち抜かなければならない」からである。そのためには、たとえそれが「取り敢えずの手段」であり、「痴的狂育」と誹られようと、「本当のものが一向に姿を表さない以上、仕方がない、ということになるようだ。

(次回に続く)

※本当は、予告してあった「遊びの教育学」の実践例として、「囲碁の遊びと学習」について触れるつもりであったが、次回とさせていただく。

※推敲はしていません。後ほど加筆訂正があるかもしれません。ご容赦を。


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「遊びの教育学」と「フレネ教育」(1)---あるべき「教育」を求めて(1) Cafetalk-2

2014.02.06.16:05

「遊びの教育学」と「フレネ教育」---あるべき「教育」を求めて


▼いま中3年生は私立高校受験の真っ最中。その先には公立高校の入試も控えている。各々が最後の仕上げに取り組んでいる。逆に、私立中学受験の場合には埼玉県も東京都も入試が終わり、今しばし休息の時にある。そのうちに「入学式までにやっておくべきこと」等のお知らせとか、制服その他の採寸とか、合格した保護者への説明会もある。そして、4月から早朝の電車に揺られて埼玉から都内に通う子も出てくる。今度は同じレベルの子ども達との熾烈な競争が待っている。やれやれ大変なことだ。でも、それは自分で挑戦して掴んだ道である。

▼だがら、もはや不登校だったことばかりに拘っていられないというのが正直な気持ちか。だが、しっかりと立ち直り、自ら切り開いた道だからこそ、今までの不登校体験やフリースクールでの体験が生きてくるというもの。一人でいても良し、大勢の中に入っても大丈夫、もう自分を失わずに力を発揮できる。自分に適した勉学の仕方も身に付けた。これからトップの大学を視野に入れた学びをするためにも、頭脳はもちろん、それ以上に心や身体のスキルも必須だが、もう大丈夫、不安はない。

▼そういうしばしの休息の時にやることの一つ、それがこの「遊びの教育学」。遊びの教育学とはいったい何か?その話はこの「フリースクール・ぱいでぃあ」の設立にまで遡る。 ( ↑ クリックする) 
 以前、さいたま市の「公民館講座」で2日連続の講座として話したもの。幸い、一部その記録も残っている。その資料を参照されたい。「学びとは何か?遊びとは何か?今、教育の何が問題なのか?不登校はなぜこうも増えたのか?」---そういうことを語ったものである。>

▼実際に、IQ140をはじき出す半端ではない頭脳を持ちながら、自分の創作活動に一生懸命で、それ以外はほとんどやらない小学生がぱいでぃあに通っていた。その子は毎週、独創的な長編創作漫画を仕上げて持ってきた。一筆書きにも似た流れるような曲線で一気に描いた画が特徴だった。その子にとって学校の勉強が面白くないのは当然だった。彼の五感に触れるすべてのものが考え感じる優れた教材だった。親御さんの都合で遠くに転校したが、そこでも弾みの付いた才能は更に花開き、進学先の私立中学では成績はトップとなり、他の活動でもみんなの先頭に立ち率先して行動した。でも、学校の勉強はお付き合い程度しかしなかった。だからこそ、その子には学校に本来の居場所はなかったのだ。そうして、自分の道を見つけた子は本物の強さを身に付ける。
 そういう考えを裏付けるような本も出版されているIQ140の子が育つ遊びのルール』(福岡潤子著)「ちょっとした工夫で子どもの才能は無限に伸びる」というサブタイトルも付く。ちょっと品のないタイトルだが、どうしてどうして中身は素晴らしい本である。 ( ↑ クリックする)

本来、フリースクールとは単なる不登校の子ども達の受け皿ではない。それは日本特有のこと。欧米で新教育運動が始まってからもう随分経つが、そこには近代学校教育への深い失望がある。国民のためであったはずの近代学校教育が本来の趣旨を外れ国家主義的な色彩を濃厚にして行った。それに対して鋭く「ノー」と言ったのは、そういう近代学校教育を憂え、新しい教育を模索し実践する人達だった。たとえば日本ではドイツのルドルフ・シュタイナーがよく知られ、その思想に従うフリースクールもある。ぱいでぃあの場合はフランスのセレスタン・フレネの教育実践に繋がっている。「フレネ学校」の教育実践を最初に日本に紹介した若狭蔵之助さん(秩父困民党事件の研究者でもある)から頂いたフレネ学校の録画したテープも手元にある。ただし、シュタイナーのそれのように教条主義的では全くない。あくまでも日本の現実に沿う形で子どもの教育を実践するための啓発の教材である。

▼しかし、「フリースクール・ぱいでぃあ」で実践する子どもの教育の探求はそれだけではない。一つがフランスの教育界を二分することになったこの「フレネ教育」による子どもの教育の実践(現在フランスの文部省に採用され各学校で実践されている)だとするなら、もう一つは、今ここで取り上げている遊びの教育学である。この二つの教育の考え方が「フリースクール・ぱいでぃあ」の根幹を形作っている。

▼「ぱいでぃあ」のあるビルの看板に、実は「フリースクール」という文言は書かれていない。「遊学統合のスクール」とある。そして、これが「教育ネットワーク・ニコラ」の本来のフリースクールの考え方なのである。
「ぱいでぃあ」(「ぱいでぃあ」とはギリシャ語で「遊び」「学び」意味する言葉を統合したもの)という命名もまたその考え方を体現している。「遊び」と「学び」---現れは全く違って見えるが同根である
 (「遊び」の探求はオランダのホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(遊び的人間)の「すべての人間的営みは(文化も芸術も戦争さえも)遊びに起源を持つ」という考察に始まり、フランスのカイヨワの『遊び的人間』に受け継がれる。)

▼今、「ぱいでぃあ」では「遊びの教育学」の実践として、具体的に何をやっているの?その回答の一つを次回に述べようと思う「囲碁を楽しみながら頭脳を活性化させよう!」である。

※次回で「遊びの教育学」との関連でその「囲碁で頭を活性化させて楽しもう!」を取り上げたいと思う。


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