ぱいでぃあ社会体験学習「光のイリュージョン」上野の森美術館のお知らせ

2013.09.25.20:58

ぱいでぃあ社会体験学習「光のイリュージョン」上野の森美術館

 クリック ※「光のイリュージョン」チラシぱいでぃあ社会体験学習「上野の森美術館:光のイリュージョン」

▼「ぱいでぃあ」の毎月の社会体験学習、今回は〈Art in Wonderland〉と題して、上野の森美術館での「光のイリュージョン」展です。上野駅までは南浦和駅から京浜東北線で約25分の距離。とても近いですね。日本の学校ではこういう展覧会に連れて行くことはまだまだ少ないようです。でも、「ぱいでぃあ」ではなるべく体感を通して学んでほしいと思っています。その年令だからこそ貴重な体験となり学びとなって蓄積されていくものがあるからです。先送りはないのです。

▼「中秋の名月」も「彼岸の中日」も過ぎ、まだまだ昼日中は暑いですが、朝晩は肌寒くさえもあり、次第に秋の深まりを感じさせる今日この頃です。「天高く馬肥ゆる秋」「暑さ寒さも彼岸ま2で」とも言われ、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、勉学の秋…等、一年のうちで最も好まれる季節です。今回、そこに更に「芸術の秋」を加えたいと思います。「芸術の秋」という言葉がちょっと重たければ「アートの秋」と言ってもいいでしょうか。

●かつて美術鑑賞といえば、「触ってはいけない」「著作権があるから勝手に撮影してはいけない」「高価で貴重なものだから汚してはいけない」…等と言われたものです。確かに世界でたった一つのものなのでそのように扱わねばならないものもあります。でも、かつては作家の落書き同然に過ぎなかったものにまで、さも神々しいご下賜の品のように恭しくバカ丁寧に扱われることもある…何かが変、おかしいと感じたことはありませんか?
 でも、だんだんと「環境芸術」等が注目されるようにもなり、公園の周りに彫刻が飾られたり、ビルの目立つところに壁画がはめ込まれたり、街の風物全体が一つのアートとして周到に配置されていたり、個々人の生活の様々な場面にもアート感覚が巧みに取り入れられていたり…そういうアートと自然との和合が今日の見慣れた風景にもなりつつあります。

●もはやアートはかつてのように気品に満ちたよそよそしい存在ではなく、私達の生活の日常の次元において、私達の生活に快適さや潤いを与えるもの、「見て、触って、参加する」ものになっているのです。今回、上野の森美術館で企画された「光のイリュージョン:魔法の美術館」もそういうものです。もちろんそこにあるのは美術品であり、一定のルールは守らねばなりませんが、普段は小出しにされたり封印されている非日常的な感覚を全開にして大いに楽しんでほしいものです。

※せっかくの上野公園、ゆっくり散策する余裕はありませんが、しばし公園で食事をしてから美術館に入ります。

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〈ぱいでぃあ〉という教場と〈アシスタント〉として関わってくれた人達

2013.09.21.12:15

ぱいでぃあ 休み時間のカードゲーム

〈ぱいでぃあ〉という教場と〈アシスタント〉として関わってくれた人達


▼2000年に「フリースクール・ぱいでぃあ」を設立して(不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』の読者の要望に促され)以来、小さい教場ながら実に様々なドラマが展開されてきた。毎年のことではあるが、〈ぱいでぃあ〉にいる時は小学生や中学生であった子ども達は、全員進学して(卒業まで通った子どもで進学できなかった生徒はいない)高校や大学に行って学んでいる。今や社会人として第一線で働いている先輩の人達もいる。日本だけでなく海外の学校で勉学に励む人もいる…。

▼子どもたちは絶えず変化し絶えず成長している。だから、不登校となってひと時「ぱいでぃあ」にやって来たとしても、傷んだ翼を癒し、英気を養い、強く大きくなって、自分の目指すべき大空へ羽ばたいていってしまう。他のフリースクールではよくあるようだが、飛び立てずにいつまでも留まる子どもはいない。人として生まれた以上、必ずやその子に内包された可能性や能力があるはずだ。「ぱいでぃあ」とは個々人のそういう能力を発見し、引き出し、育てるための道場なのだ。

▼しかし、子ども達のそういう羽ばたきとは別に、絶対に忘れてはならないことがある。それは〈ぱいでぃあ〉を設け人生の多く傾けてきた自分達のことは置くとして、そこには私達を側面援助してくれた沢山の人達がいたということ、現在もいるということである。その人達の助けなしには、恐らくここまで「ぱいでぃあ」は続かなかったのではないかと思う。自分達は不登校の子ども達を支援している様でありながら、実は様々な形で支援もされて来たのである。その中には多少に関わらず資金的な支援を申し出た方もいる。また「ぱいでぃあ」という教場に〈アシスタント〉という形で直接関わって下さった方々もいる。ここではそういう人達について若干触れてみたい。

▼〈アシスタント〉の中には、大学生もいれば大学院生もいる。有名進学塾の講師が自分の勉強にと訪ねて来ることもある。職業カウンセラーになった人もいれば、中学や高校の教員となった人達もいる。大学の研究職に就いた人もいれば、大学の職員となった人もいる。大学を卒業して子ども達のケアや育ちの現場に携わる仕事に就いた人達もいる。そういう教育施設の跡継ぎの子弟のこともある。「ぱいでぃあ」でのアシスタントとしての関わりが評価されて難関の行政職に就いた人もいる。また逆に、もと小学校や中学校、高等学校等で教員をしていた人達もいる(海外の日本人学校で教えていたという人もいた)。また、民間の一流企業の中枢で働いていたという人もいた。学校教員を養成する立場にいた人もいる。また、一方、自らの立ち直りのためにやってくる人達もいる。
 今でも鮮明に思い出すが〈ぱいでぃあ〉を開設して最初に関わることになったアシスタントは某国立大学博士課程の学生さんだった。だが、専門は教育ではなく科学の分野。〈なぜフリースクールに?〉と訊いたら、自分の視野を広げるために最適だと言った。そして民間の研究機関に入るまで数年間関わってくれた。このように小さい教場ながら実に様々なアシスタントさんが関わってくれたと思う。

▼しかし、間違って欲しくないことがある。「フリースクールは全く純粋に民間立の教育の場である」ということ。良くも悪くも文科省認可の学校ではない。欧米を始めとする海外の多くの先進国では市民による自由な教育活動を認め援助しているところが多いが、日本では認められていない。奈良・平安時代の昔から、民間の教育熱はとても高い文化国家であったにも関わらず、明治5年の学制発布以来、民間の教育活動は国からは無視されほとんど認められないものになっている。これは戦後の今も変わりない。だから、民間立のフリースクールには税金の投入は勿論、行政による一切の助成も認められていない。私学助成のようなものもない。(義務教育段階の子ども達でありながら、不登校には一切の教育費は渡されない)。寄付金を募ると言っても寄付金文化は日本には根付いていない。そういう中での民間による教育活動なのだということである。

▼だから、資金の一切は不登校の子ども達のいる家庭の協力によることになる。しかし、仕事盛りの両親に物心の有り余る余裕のあることは少なかろう。義務教育段階の子ども達でありながら、不登校になったら義務教育費無償の援助は一切の受けられなくなる。教育公費は生徒の人数分、学校に落とされるからである。だから、フリースクールを利用できる家庭も限られてしまう。「不登校のお子さんのいる家庭で遠慮なく利用して!」とは言っても様々な事情が優先する。勢い、それはフリースクールで働くスタッフへのペイ(支払い)にも跳ね返ってくる。〈私財を投入〉とはそういうことである。見返りを期待しない資金の投入が絶えずなされる。中には「自宅を抵当に…」という話もある。よほどの酔狂かアホでなければフリースクールなんてやってられないとなる。
 だから〈アシスタント〉さんの場合にもいくら〈有償ボランティア〉とは言っても、それを承知で参加してもらうことになる。今でこそボランティア活動は市民権を得るようになってきたけれども、継続的に関わるということは今でも至難のことである。

▼では、自分達はそういう人達に恩を受けるだけでお返しすることは出来ないのだろうか?
 今回、自分達はフリースクールの立場から「官民連携会議」に関わり、9月14日に「保護者のための不登校セミナー・パート1」を無事終えたが、その不登校の子ども達のコーディネータ役に大学の先生をお願いした。しかし、現場からの感想を言うと「どれだけ不登校の子ども達の心に触れているだろうか?」という疑問がまず生まれる。大学などで不登校問題の研究調査はそれなりに盛んになり、様々なデータや文献には触れるだろうが、実際の不登校の子ども達に関わることはとても少ない状況にある。時々、大学や大学院生等から不登校の調査アンケート等が届くが、そんな数値の羅列で実際の不登校が分かった積もりになってもらっては困るのだ。逆ではないか。
 そこで「もし、不登校の実際を知りたければ、半年なり一年なりぱいでぃあに来て子ども達と関わってください」と言うこともある。が、そうする〈研究者〉はまずいない。学校での不登校研究もそういう中で行われてはいまいか?

▼しかし、〈不登校という事象〉を本気で考える人は実際そうする。ボランティアやアシスタントとしてやって来る。そして、教科指導やスポーツ等に関わりながら、肌で感じ取り、実感として理解する。学校を離れてきた子ども達である。学校の教師然とした態度が子ども達に受け入れられる筈もない。が、へつらいおもねた態度が評価されるはずもない。子ども達は学校で「別に、何も…」という子ども達よりもずっと人間観察がシビアである。子ども達一人ひとりを独立した魂を持つ個性的な存在を受け止めることが単なる脳味噌の輪切りで分かるはずもないのだ。残念ながら〈不登校の専門家〉と称される人達の中にそういう人達が多いのでは?
 そういう欠落は〈ぱいでぃあ〉の現場に研修として実際に関わることで補完することができる。そして初めて、不登校問題についてバランスのとれた感性と認識を持つことが出来るようになる。これは研究する者に必須の、研究以前の絶対条件だと思っている。従来のパターナリズム的な視点で、自らへの振り返りもなく、不登校問題の本質に迫れるはずもないだろう。

▼しかし、研修の途上にある〈アシスタント〉さんは飽くまでも〈アシスタント〉。スタッフではない。〈群盲象をなでる〉という諺があるが、それに例えてみよう。
 数学、理科、英語…それぞれの得意分野はあるので、まずはそれを生かしてもらう。が、必ずしもそれで全体を見渡せるわけではない。それはとても難しい。進学塾では一流の講師という扱いではあっても〈ぱいでぃあ〉では不登校問題には素人の扱いとなる。若い学生に我が子を思う親の辛さまで分かるはずもない。また、長らく学校で教師をやって来た人に習性の変化を求めることは幹の硬くなった樹木を撓めるに等しいこともしばしばある。なぜ不登校になったか、偏狭な教育観からは見えてこない。そういう世界が眼前にあっても見えないのである。逆にまた、体験のあるという人には思い入れが激しくバランスを取ることが難しい時もある。その場合には、自己の問題は克服されているかどうかの見極めも重要だ。だから、それぞれの得意分野で関わってもらうことになるが、お任せはできない。その辺の介入も自分達の重要な仕事だ。

▼そういうわけで、〈ぱいでぃあ〉の活動の中で、年年歳歳、移り変わっていくのは不登校の子ども達ばかりでなく、アシスタントもまたそうである。一方に子ども達が自分の人生を少しずつ切り開いていく姿があり、一方にはアシスタントさん達が不登校の子ども達と関わる中で更に自分の道を極めたり、自らの人生の橋渡しをする姿があったりする。そのどちらも〈ぱいでぃあ〉という学び場にとっては不可欠なものである。

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不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
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 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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