ダメな自分、出来ない自分 -- 大鵬に学ぶ -- 山への登り方は色々だ

2013.01.26.15:33

初雪風景舟山公園にて桜花--寒桜?狂い咲き?--
〈初雪風景〉    〈雪遊び〉    〈寒桜?狂い咲き?〉

《巨人・大鵬・卵焼き》とは、日本の風俗の歴史に残るほど有名になった、当時の子どもたちが大好きで憧れた言葉。巨人や大鵬は破竹の連続優勝を重ねたが、人々の生活はまだ貧しく質素だった。でも誰も貧乏だとは思わなかった。きっと貧乏とは客観的な経済状態ではなく多分に主観的相対的なものなのだ。

▼《個人名が出てくるのは大鵬さんだけ》とは、大鵬の訃報を聞いた時の長嶋茂雄氏の敬意に満ちた述懐だ。ウクライナ人を父に持ちサハリンで生まれながら、戦後は北海道弟子屈の地で少年の彼は物売りをして家計を助けながら生き抜いた。歴史が浅くその分他県よりは因習も少なく自由な雰囲気が強かった北海道とは言え、多分、生活の苦難だけでなく偏見も激しかったろう。その中で《これより下はない》という《底つき》の感覚を味わった。だから、彼の哲学は《忍》の一字にあった。一言で言えば、「勝とう!勝とう!ではなく、負けないぞ!絶対に諦めないぞ!」ということ。彼の連覇の偉業もその哲学を抜きにはあり得なかっただろう。

▼今、学校を離れ不登校となってフリースクールなどにやって来る私立公立の小中学校の子どもたちを見ていて、とても不憫に思うことがある。大鵬が育った時代とは比べようもない物的豊かさに恵まれていながら、精神的な側面では未だに貧しい状態に縛られたままであることが多い。公式主義、前例主義、偏見、無理難題の強要--。そういう無理解の中で悶え苦しんでいる子どもの姿がある。そして本人の思考もその論理から自由になれない。《どうせ自分なんて…》そんなつぶやきが相談に来た子どもの口から漏れてくる

▼そういう子どもたちが最も怖れているのは、自分が《失敗した》と指摘されること。これは《指示待ち人間》であることと表裏一体の関係にあるのかもしれない。《ダメなところを人に見られてはいないか?》《自分は何かヘマをしでかしてはいまいか?》…そういう意識で自分をガッチリとガードしている。周りの視線に極度に防御的になり、ヒリヒリと神経がむき出しのまま、深い慢性の疲労状態に陥っている。硬い甲羅で身を守り背骨を持たないエビやカニの生態にどこか似ている。が、それは不登校の子どもが問題ということでは決してない。可哀想に《間違っているのは自分なんだ》《外れてしまう自分は悪い子なんだ》と思い込んでしまったのだ。

▼そういう不登校の子どもたちへ救いの手を差し伸べる機関は、多くはないがないわけではない。ただ一般にはあまり知られておらず、周囲の偏見や誤解もあり、経済的な事情なども絡んで(不登校の主要な問題の一つは経済問題だ)、結果的に求める人の割合が少ないだけの話だ。私たちの「フリースクール・ぱいでぃあ」もその一つ。ここは不登校の子どもたちが当たり前に抱く思いを尊重し、その発想を支援する学び場である。もしフリースクールという場が、学校教育の論理で迫り、評価する場であるならば、不登校や自由な学びを求める子どもたちはわざわざやって来ないだろう。(近代学校教育は目覚しい成果をあげたことは事実だが、国の都合が優先し、教育は家庭が責任を持って行うものという側面が大きく後退した感は否めない。日本を明治維新の開国に導いたのは国の教育など受けていない地方で学んだ下級武士たちであったのを想起したい。)

▼ただ、誤解のないように付言するが、フリースクールとは本来、いっときの政情には翻弄されず「自由な学びをするところ」であって、「不登校の子どもたちの収容施設ではない」ということである。不登校の子ども達がフリースクールにやって来るのは日本特有の教育事情によるものである。だから、フリースクールに来た子どもたちには、学校教育の縛りから自由になって考え行動できるようになってもらうことが一つの目標となる。一種のトラウマ状態にさえなっている《不登校はいけないこと》というマイナス思考から自分を解き放ち、自由に考えたり活動できるようになれたなら、もうその子は半ば大丈夫、自分の設計した目標に向かって自主的に歩んで行けるだろう。山の頂上に至ることが目標なら、その登り方は色々、様々な道や方法がある。自分に適した流儀で山の頂上に立てばいい。今、日本の教育が根本から見直され始めているのはそのことと無関係ではない。

(続く)

******************************************************
「教育落書き帳」(ブログ)<
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
******************************************************
良ければクリック。
にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

不登校の子ってどういう子ども?どう接するの?

2013.01.04.04:59

明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願い申し上げます。

ぱいでぃあの年賀状

※ぱいでぃあの年賀状です(マウスで拡大)
-------------------------------------------------

※とりとめもなくつれづれに

▼2013年の始まりです。正月三が日が過ぎればすぐ仕事モードというところが多いようですが、子ども時代は正月という非日常の時間やゆったりした時の流れを楽しみたいもの。そこでぱいでぃあの新学期はいつも成人式が終わってからとなります。そこでここではいつも新春に行われる国民的イベント成人式について一言。何でも「日本における今日の形態の成人式は、終戦間もない1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において実施された“青年祭”がルーツ」なのだとか。何だ自転車で行けるすぐ隣の地域ではないか。

▼昔、元服が成人の儀式で、大体12歳頃から15~16歳頃までに行ったようです。今の感覚でみれば、まだまだ子どもの領域です。でも奈良時代以降明治に至るまでそういう儀式が行われてきたわけで、もうその年齢で大人としての所作を求められたわけです。今は、「18歳を成人にして欧米と合わせるべきだ」という意見が強まっていますが、成人式は20歳になる年に行われます。その成人式で毎年騒動が起き、「公式行事を取りやめてはどうか」という声も強くあります。大人が新成人を「新しい大人の仲間として祝ってやる意味がない」というのです。

▼それは若者が大人びたことを言って大人を困らせるからではなくて(そうであるなら成人18歳論も説得力がありますが)、まるで社会人としての振る舞いとしては首を傾げるような子どもじみた馬鹿なこと(大抵はテレビのお笑い番組の影響を受けたようなこと)をして公式行事が成り立たなくなってしまうからです。それでいて一方では酒に溺れた醜態を晒したりもするのです。これがこれから成人の仲間入りをして日本を支え引っ張っていく新成人の一面の姿でもあります。ですからいつの時代でも決まり文句のように「今の若い奴らは…」という言葉がまたもや繰り返されることになります。

▼しかしもう一方では、今の若者たちはかつての若者が体験した右肩上がりの成長期の日本とは比較にならない辛い立場にも置かれています。戦後復興期の日本は「三丁目の夕日」に象徴されるように今とは比較にならぬほど貧しい生活ではあったけれども、荒唐無稽とも言える夢と希望に溢れていました。努力すればそれが必ず報われる…そういう社会でもあったのです。しかし、近年の「失われた20年」の日本社会では全てが一変しました。facebookで意見を交えたある方はこう言いました。「今の若い人たちはかわいそうすぎる。物が溢れ便利で楽しく生まれ育ってきたのに、成長して社会にでてみればこの有り様。言わばぬるま湯の中で育った子どもたちに立ち上がれ、声を上げろと言ってもそうし難いのは頷けます」。今の日本に明るい材料は何一つないようにみえます。増税、産業の空洞化、倒産、国際競争力の低下、原発事故、空前のデフレ…。OECD加盟国の中でも日本の若者の未来への絶望感は特異なほど際立っています。

▼こういう日本の現状を逆説的な表現で「日本の教育の偉大な成果」だとも称されます。昨年の暮れの総選挙はそういう日本の姿をはっきりと露わにしました。長年の自民党政権の失政を尻拭いするはずであった民主党がこけ、世界が未曾有のスピードでハイテク化が進む中、日本丸の今後を決める大事な選挙であったにもかかわらず、今後それを担う主役であるはずの若者の多くが投票所に赴かなかったのです。日本の上層の人たちはよく「自己責任」という言葉を使いますが、今の若者は当事者としての自己決定能力までも喪失してしまったのでしょうか。海外に飛び立つ比率も低くなり、大学で研究に元気なのも留学生の人たちだという声も聞きます。日本の若者たちはどうしてしまったのでしょうか。

▼奇妙なことに、その学校教育に不適応を起こし不登校となった子ども達が大量に増え始め、やがて13万人台というピークを迎えるようになったのも、そんな教育が深く進行していく過程と重なっています。身体に例えるなら最も鍛え難い人の目のような部分、教育ではそれが不登校という形となって現れたのだと言えなくもありません。以前、不登校を「炭鉱のカナリヤ」に例えたことがありました。普通の人にはその危険が分からなくても異変に敏感なカナリヤは死して坑内の危険を炭鉱夫たちに知らせるわけです。もし学校で先生がその異変に気付かなければ子どもは学校で自死することにもなります。「不登校の子どもたちはその危険を自ら察してその場を離れたのだ」と考えればいいのではないでしょうか。「生きるために逃げろ!」とは子どもたちによく言う言葉です。学校時代の勉強は死を賭してまでしがみついてやる価値のあるものではありません。それよりも「その危険を本能的に察知した能力をかってあげたい」ものです。

▼もうかなり長い期間不登校になった子どもたちと付き合い、その子達がどうなっていったか、今どうしているかまで含めて、改めてその「枠に囚われない個性の価値」に思いを馳せます。不登校バンザイ!とまでは言いませんが、「不登校の子どもたちには平均的な物差しでは測れない個性的な価値がたくさんある」ことを改めて感じます。その子ども達にどう接し、どう支援するか。それが私たちの課題です。でも、甘い文言のチラシにご用心です。レンタルお姉さん・お兄さん?子どもにおもねた結果が「一人では何もできない子ども」の出来上がりです。でも、子どもに無理やり押し付けてその子どもが生かされるでしょうか。「子どもが学校を離れた理由」です。どちらも駄目です。「その子の固有の優れた個性に気付き、それを支援してあげられるか、そういう人がいて、その環境があるか」そこが肝腎なところです。これはかなり難しい技です。まだ結婚もせず子どもを育てたこともない人に、大丈夫ですよお母さん、と言われて安心できるでしょうか。その人に任せられるだろうか?一時間いくらの時間決めのカウンセリングの相談や、3分間診療の医者の見立てで、果たして不登校の子どもの思いの何が分かるというのでしょうか。

▼教育は長いスパンをかけた人を育む営みです。それはここを飛び立った後でなければ分からないことかもしれません。そういう子ども達が今どうしているか。ぱいでぃあに通う中で何がどう変わったのだろうか。次回、年賀状に書かれた文面などを紹介して、その辺に触れてみたいと思います。

(続く)

******************************************************
「教育落書き帳」(ブログ)<
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
******************************************************
良ければクリック。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ

にほんブログ村
プロフィール

Bakiller

Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR