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ぱいでぃあからの通級報告書の送付についてのあれこれ

2012.12.22.18:46

さいたまアンティーク・フェアー
さいたまスーパーアリーナ:アンティーク・フェアー

私共はぱいでぃあでの活動を毎月末で締めて振り返り、その月の「通級報告」として生徒の各在籍校に送付している。これは2000年にこのフリースクール・ぱいでぃあを設立したときから一貫して行っていることである。一見したところこれはフリースクールが学校に合わせた行為のように見えなくもない。確かに不登校の子ども達へのささやかな応援ではある。が、それだけではない。実はその逆でもある。だが、これを実行しているフリースクールは意外に少ないようである。比較的近くのフリースクールでも、学校への報告は各期に一回程度とか。逆に私共からの報告を受けて戸惑う学校さえある。

▼フリースクールにやって来る子ども達の多くは小中学生、つまり義務教育段階の子ども達である。義務教育では原則として教育費は国家が負担する。保護者の間でもかなり誤解があるが、言うまでもなく義務教育の「義務」とは子どもの学校に通う義務ではなく親や国家が子どもに必要な教育を受けさせなければならないという義務である。子どもはむしろ教育を受ける「権利」を親や国家に要求することができる。これは自然権に近いものだ。ところが、学校を離れたとたん義務教育の公費は子どもやその家庭には届かず、一種の経済的教育棄民状態に置かれる。そして教育公費は在籍する生徒の頭数だけ相変わらず学校にまわり、不登校の有無に関わりなく、教員の給与(教育公費の7割程度)等の経費に使われる。

▼だから、不登校になったからといって本当は泣き寝入りすべきではない。むしろ子どもの学習権、親の教育権侵害としてはっきり「おかしい」と主張すべきことなのだ。子どものための公的な学習機関でありながら、学校がそれをできる場所になっていないと。ところが、実際には「うちの子は不登校ですみません」とまるで我が子が犯罪を犯した子のように親が恥じ入っていることが多い。この姿勢が子どもに及ぼす心理的な効果は絶大である。逆ではないか?勿論至らぬところは親の責任として我が子を正すべきだが、不登校ということで無闇に卑下すべきことではない。ところが、こういうことがまかり通り、教育に携わっている教員さえ不思議に思わないのが日本の教育界である。

▼だから、少なくとも不登校の子ども達を引き受けるフリースクールという場においては、本来の教育権が減ぜられたまま唯々諾々と甘んじている子どもや親たちを応援する意味でもおかしいところはおかしいと言っていきたいと思っている。だから、これまで何回か市や県の教育委員会に親御さんを伴い不登校の子を持つ親の願いとして声を届けてきた。私達がささやかな試みではあるけれども、こうして毎月の通級報告を各在籍校に報告するのも、そういう意味合いを持っている。

▼「学校では苛められただいるだけの影の存在だったとか、本人の意見は受け入れられなかったりしたかも知れませんが、ここでは自分らしく元気にやってますよ」とか「学校では見せなかったこんな才能を発揮してますよ」とか「○○の教科も終え、今は○○をやっています」とか「○には社会体験学習で○○に行ってきました」だの、四季折々に応じて各人の報告をしている
報告は各人の個性や取り組むテーマによって異なる。身体も顔も声も皆違うように、心もまた皆違う。十把一絡げということは決してない。これが毎月全員に行う学校への通級報告である。これにはそれを記述する人の力量や資質が真正面から問われる。評価する人自身が響き合うものを持っていなければならない。時間も能力も個人の可能性を見出だす眼力も問われる。誰でも容易にできることではない。だから、殆どのフリースクールではやっていない。でも、だからこそ私達はそれをやり通す。これもフリースクールというものの存在理由の一つだとも思うからである。
(ところが、それを喜ぶ学校からさえも、12月のように教員自身が急ぐときには、「数字だけでいいから早く報告してほしい」というようなことを言ってくる。ああ、道はまだまだ遠そうだ)

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近頃、不登校や不登校支援について思うこと

2012.12.20.18:19

一口に《不登校》と言っても様々なタイプがある。一般に言われるところの《不登校》という形容がまさにピッタリという場合もあるし、《不登校》という枠では単純に括れたくないという場合もある。あえて《不登校》という範疇で判断して欲しくないと感じている場合もあるだろう。それでも暫定的に幾つかのタイプに分類してみると分かり易いかもしれない。例えば、先天的な要因と後天的な要因とか、あるいは個人的な要因と環境的な要因とか…。ここで《原因》ではなくあえて《要因》という言葉を使ったのにはワケがある。《不登校》という現象は固定的で不動なものではない。言うなれば、それはその時点での一つの態様に過ぎないからである

教育関係者の間で《不登校》という烙印を押す場合、しばしば学校という組織や運営上の問題ではなく、その子特有の生まれながらの問題であるかのように看做され対応される。《不登校は病気じゃない》と言われながら、多くの場合、その解決策として病院行きを勧められる。ところが、病院とは本来病気を持った患者が行くところ。だから、そこに行けば大抵の場合、何らかの疾患名が付与されることになる。しかし、《医者選びも命のうち》という言葉があるように、それがどれだけ科学的客観的な診断名であるかどうかは分からないこともしばしばだ。例えば、他院に行けば別の診断が下されたりすることもよくある。ここで特に問題なのは、本来学校教育の問題であったはずの不登校がいつの間にか医療上の問題に刷り変わるだけでなく、往々にして教育の専門家でもない医者の一言が教育の専門家の対応よりも優先してしまうことである。しかも、そのおかしさを教育の専門家自身が自覚していない。

▼学校教育に携わる大部分の教育関係者がこうであるから、民間から参入した機関の場合には尚更とも言える。私達は不登校の子どもたちを支援する教育雑誌の活動を続ける中で、保護者たちの止むにやまれぬ声に押され、半ば私財を投げ出す形で不登校支援に携わってきた。しかし、他のほとんどの場合、たとえ看板に《学びの共同体》とか《不登校の子ども支援》とか、目移りする様々なメニューを並べていようとも----その殆どの言葉はかつて私達が使っていたものであるが----実際のところ、通信制高校やサポート校等の大部分は不登校の子どもたちを商売の対象とする《不登校ビジネス》であることに変わりはない。(私達が手掛けた頃、県内に不登校のための通信制高校もサポート校も一つもなかった)それに不登校の立ち直り支援とは表向きで《不登校の子ども達の収容施設》となっていることも多い。(不登校の子ども達に任せておけば共食い状態になるのは必定である)。表看板の《不登校の子どもたちにも高校卒業資格》の謳い文句は魚釣りの撒き餌に過ぎない。どうしてこういうことに生ってしまったのか…そういう状況に深く心を痛める一人である。(それに問題は高校卒業資格を得ることではなくて、そた後その子はどうなったかではないか?)もはや公共の養護施設(特別支援施設?)等だけが問題なのではない。無論、子ども達をそういう半ば教育棄民の状態で大量に吐き出すに至った日本の教育のシステムの問題を踏まえての言及である。

▼ところが、初めて不登校のお子さんを抱えることになった保護者の方々はそういうことをあまり知らない。フリースクールが民間の教育機関であるということさえ知らない。だから、どうしても表向きの宣伝に釣られて我が子を託してしまう。素朴なほど我が子に一途なのはいい。我が子のために必死になるのも理解できる。だが、自分が動じれば動じるほど周りの物事を正常に理解できなくなることには注意が及ばない。果たして、我が子の声をどれだけ聞き取ったか。どれだけ我が子の声にならない声に耳を傾けたか。現象としての声の向こうに響いている無言の声を親としてどれだけ聞き取ろうとしたか。もしかして、我が子の声なき声を聞き取ろうとせず、親としての思い込みで先走ってしまいはしなかったか。我が子が必死で差し伸ばす救いを求める手をしっかりと掴んだであろうか。それに加え、教育や医療の世界にはとかくパターナリズム(paternalism 温情主義)というものが横行しがちである。いやむしろ、そうではないケースを探す方が難しい。《我が子のため》と言いながら、実際にはそれに携わる人間や組織のエゴに供されて、我が子の実像が見えなくなっていることが多いのだ。

本来《教育は金にならない仕事である》ーーーーこれ、本当である。だから、一般にはそこにビジネスチャンスを見ない限りは手を出さない。そうでない関わりがあるとすれば、それは伊達や酔狂の類、あるいは根っからのバカ者になる覚悟がいる。それがこの世界である。誰もが《猫に鈴を付けよう!》と言う。だが、実際にそれを行う者はいない。特に日本の社会は文科省以外の教育的関わりはできないシステムになっている。もしそれがビジネスになり商売になっているとしたら、おそらくそのどこかに謳い文句とは違う別のメリットがあるとか、手抜きがあるのではないかと考える方が自然だろう。不登校という子どもの窮状の足元を見るものであったり、スタッフに生徒たちと同じ類いの問題を抱えた人を当てていたり、○○スクールとか○○校とは名ばかりの学び舎であったり…。もちろん、それを承知で行く場合は問題ではないのだが…。

教育は目先のことだけでなく、長いスパンで考えなくてはならない
本人の好きにさせて《いいよいいよ》でいいのだろうか?我が子を引きこもり状態のままいつまでも待っていればいつか立ち直りの道は開かれるのだろうか?この子を受け入れる社会ってあるのだろうか?この子がこのままで参加できる社会とはどんな社会だろうか…?
もしかして親の私はこの子の自由意思を奪ってはいないだろうか…?私はこの子をペットのように扱ってはいないだろうか…?私は自分の果たせなかった無念な夢をこの子に投影してはいないだろうか?我が子以上になぜ親の私が取り乱してしまうのだろうか…?
子どもの意見を尊重せよというが我が子はいつも親の喜びそうなことを先に言ってくる。我が子は決して自分を主張せず人に気に入られる自分を演じようとする。身を張って身体をぶっつけて我が子とやりあいたい、でも、それで我が子がますます潰れてしまったら…。もしこの子にこのままでは明日がないとしたら、私はどうすればいいのか…。

…不登校を取り巻く人間模様は実に多様で、実に難しい。だが、実は極めて単純なことでもある。難しいのは、《不登校》を頭で考えるからである。
このことについては、後に語ろうと思う。これらは机上の論ではない。不登校の子どもたちとの不断の関わりの中から見えてきたことである。


(続く)

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不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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