スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

教育フォーラム「親業のポイント」からの覚え書き(2)

2012.11.23.19:56

(①から続く)

▼(会場から:元国立大学で教員養成にも携わったOさん
 経験には、直接的な経験と外的な経験とがある。後者は視聴覚による経験など。親は子ども達の直接的な経験だけでなく、外的な経験についても見ていかなくてはいけない。たとえば、テレビ等を見るにしても、子どもと一緒に見ながら、親の視点からいろいろコメントを加えるとか…。
 今回の表題で気になったことが。子どもを「活かす」は→「生かす」、「聞こえる」→「聴こえる」の方が良くはないか?
(主催者:ご意見ご尤も。最終的にどうするかいろいろ考えて決めた)
 野田総理が「子どもの時はバカ正直だった」とか言ったそうだ。でも、今は平気で国民との約束を反故にする。(学校の評価をどう捉えるか…。)


▼(主催者から
 今回「親業」というのを取り上げたのは、「親業はこれが正解ですよ」ということではなくて、あくまでも問い掛けなんですね。「親業ってどういうものなんだろうか。子どもの声を聞くとはどういうことなんだろうか」そういう疑問符を絶えず自分の中に持つことで考えていけたらいいなということです。
 最近、「親業」に対して「親学」ということが言われ出しています。それはどう違うんだろうか。親業というのはもともとゴードン博士という方が唱えだしたもの。それと最近になって言われ出している親学とどう違うんだろうか。そしてまた、何で今あえて「親」ということが言われる時代になったんだろうか。
 そういうことを共に考えていけたらなという思いで取り上げたんですけれど。

親の恩ということが分かるようになるのはずっと後のことですね。でも、親も病気になったり亡くなったりするわけです。いつまでも健在じゃない。だから、今子どもと向き合っている時が大事。
 その親がいつも子どものいるところで悪口ばかりを聞かせて育てたらどうなるか。たとえば、お母さんからはお爺ちゃんお婆ちゃんの悪口を聞くのが当たり前、お婆ちゃんのところに行くと今度はいつも嫁の悪口ばかり。そういう中で子どもが育つと、その子はなかなか人の言うことを信頼しにくい子になってしまう。人間ってそんなものなのかなーと思います。
 フリースクールをやっていますと、そういうお子さんにも接します。お子さんがいい心を持ち笑顔で人に接せられるようになるためには、やはり親御さんがお子さんにいい言葉、いい考えを聞かせてあげるようにしていくのが一番いいのかなーと思います。そうやって子どもは生きていく力を身に付けていく。

外国人の家族持ちの男性が、家庭で子どもの話を聞く時間を持つようにしている生活の一端を話してくれた。。

▼そうですね。子どもと話す時間を持つということはとても大事。。
 最近の東京新聞にOさんの「指導死」ということが載っていました。その方の次男が学校でハイチュウーを口にしたことを教師に咎められ、放課後12人の教師に取り囲まれ追求される。それがきっかけで自宅マンションから飛び降り自殺することに。テレビで「欽どこ」を見ていた時に学校から母親に電話があり、「学校で今日こういうことがありました。彼に反省文を書いてもらうことにしてます。明日学年集会の時にみんなの前で読んでもらい、〈もう二度とこういうことをしない〉という決意表明をしてもらいますから」と。そういう電話があったそうです。
 それでご自分も教員をしていたお母さんが彼の部屋に行って、「今日こういうことがあったの?」と聞いたんだそうです。別にお母さんとしては強く言ったつもりはないそうです。
 ところが、しばらくしてからドスンという音が。彼の部屋に行ってみると姿がない。ベランダの方から中庭を見るとそこに落ちていた。
 私たち発行の教育雑誌『ニコラ』には当時様々な相談が来ていました。R君のお父さんも事件のあった後やって来られました。
 「家内から電話を受けた時は、ああ、やっちゃったと思いました。」自分の家も両親が仕事で忙しかった。だから今度自分が結婚するときはきちんと料理のできる人と結婚したいなと思っていた。しかし結婚した相手は教員でいろいろ忙しく、自分が帰ってきたら、子どもたちはカレーのレトルトを温めて食べていたそうです。
 そういうのを見るにつけ一緒に生活するのが嫌になり、自分も仕事もあるしで、分かれてしまった。そして別れた翌年に次男が死んだという電話をもらったそうです。子どもと話し合いをする時間がなかったそうです。
 母親はその学校ではPTAの広報委員をしていた。しかし、「何があったんでしょうか?」と聞いても、学校は壁を作ってしまって何の情報も得られなかった。その直後《○○君の死を考える会》を作って会合をやっておられた。
 教師たち12人ほどが生徒を取り囲み、「学級委員としてみんなの模範にならなければならないのに、アメなんか食べていいのか!」という「指導」が遅くまであったが、家に帰って反省文を書けばそれでいいと思っていたようです。ところが、親に電話があり、親に知られてしまった。それで、たったハイチュウ一個で飛び降り自殺をしてしまったわけです。そういうように教師の指導で自殺するケースがかなりあるようです。他の遺族の人達とこういう事件を何て言おうかと問われ、Oさんはこれを「指導死」と名付けたそうです。

家庭内でいろいろなことを話し合える状況というのは大事なんですね。
(主催者から
 
これは良いか悪いかの問題ではなく、やはり彼が片親の環境の中に置かれていたということは大きいのかな。子どもには親の事情・都合というのは分かりません。そこがどこであれ、彼にとって当たり前の環境として成長する。それを全て善として無批判的に受け入れて育ちます。
 石川五右衛門の子どもは父ちゃんの五右衛門をモデルとして生きるでしょうし、ビル・ゲイツの子として生まれれば彼の子らしく育とうとするんじゃないですか。帝王学を学べる環境にいれば学校に行かなくてもそれは身に付く。イギリスの上流家庭ではそういうのがあるようですね。ホームスクールでやっています。
 どういう環境を子どもたちに用意してあげられるか。仮面夫婦ように表だけ装えばいいってことではない。たとえば、北欧では半数くらいが離婚家庭とか。じゃあそこでは子どもたちは全部グレちゃうのかと言うとそうではない。子どもに対して大人が親がどう向き合っていくのかということが大きい。
 先ほどKさん言っていたように、お父ちゃんが話を聞いてくれる、お母ちゃんが分かってくれる、そういうことが大事なんじゃないか。
 以前、書いたことですが、「子どものパシリをやるな」「子どものメイドになるな」と。同時に、「子どもを親のペットにするな」「子どもを親のお人形にするな」と。この二つがうまく噛み合えば結構いい感じで子育てできるんじゃないのか。

●ここに「子どもの声、聞こえてますか」とありますが、親として子どもの声を聞ける状況にあるだろうか。
 ぱいでぃあに来ている子どもたちに「ちょっと目をつぶってごらん」と言うことがあります。今までわいわいがやがややっていたところで、いきなり視覚を閉ざします。すると聴覚だけが冴えます。そして今まで目で誤魔化されていたもの、見ることで隠されていた物音がはっきり聞こえてくるようになります。
 小さな音、澄んだ音が聞こえます。通りを通る車の音が聞こえます。人も吐く息も聞こえます。
 ところが、自分が騒音の発信源になっていてはダメですね。他の音や人の声を聞くときには、自分は音を立てないようにしなければならない。子どもの声を聞く場合もそうです。そうすれば子どもの声は自然に自分に響いてくるようになる。それを「母ちゃんはね」「父ちゃんはね」というようになれば、子どもはその勢いに負けて、ただ黙って従うしかない。自分の声を封じてしまうかもしれない。必然的に子どもの声は聞こえなくなります。
 そういうふうに、いろいろな考え方、見方をしていけるきっかけになればいいかなと。

▼非常に早熟な子どももいれば奥手な子どももいますね。早熟な子どもは3歳くらいで自転車にも乗ります。理解が早い。勉強でも何でもどんどん先に行っちゃう。天才じゃないの?という能力を発揮します。そういう子は学校でも評価されます。点数が高くなります。年齢以上の能力を見せますから。
 一方、奥手で大器晩成型の子もいます。そういうタイプの子は日本の学校教育の中ではいつもマイナスの評価をされます。ダメな評価をいっぱいされます。ところが、漱石にしたって鴎外にしたって、本当に芽を出したのは30、40になってから。50になってから花開く人もいる。そういう人間を評価する土壌というのはどうも日本の社会の中にはない。
 ですから、一律の基準で評価するのではなく、いろいろな角度から柔軟にその子に合ったものを聞き取ればいいんじゃないでしょうか。その子に合うためにはその子が発する響き合う音叉を持たなければならない。共に響き合う同じ波長の音叉を自分の中に持たねばならない。それが親の中にあれば子どもの声も自然に聞こえてくるのじゃないのかな。自分を棚に上げて、反省も込めて言っていますけれども。

●こう言いますと、「親になるって大変なんだなー」って思っちゃうかもしれません。自分はそんなに立派な親じゃないと。それは逆なんじゃないかな。自然体で構えて、ダメな部分もいい部分も、全部さらけ出して子どもに見せた方がいい。
 一つだけ、注文を付ければ、先程とは矛盾する言い方ですが、子どもと同じ自分であってはいけない。同じ波長ではいけない。自分の波長を子どもの波長だと錯覚してしまう。子どもと自分とは別の人格、別の価値観を持って生きています。だから、響いてくるものが分かるんです。伝わってくるものが分かるんです。同じであれば混同して分からなくなります。同じであるはずもないですし。ですから、子育てにこうすればいいという公式はないと思うんですよ。

●フリースクールをやってくる中で、今まで何件も壁が突き抜けて向こうの部屋が見える、鉄骨がむき出し、壁がぼこぼこという家庭がありました。学校ではトンデモない暴れ者でどうしようもない、問題児、そういう子も来ました。でも、(一人だけ例外で、薬漬けの高度の精神障害という子がいましたが)そういう評価の子たちなのに、ぱいでぃあに来て暴れたということはない。教室を見ても傷跡はないでしょう。勝手な解釈をするかもしれないし、全部じゃないかもしれないけれども、とにかく「ああ、ここなら自分のことはある程度はわかってくれる、自分を受け止めてくれる」「そういう人がいて、そういう空間がある」と思うんじゃないですかね。
 子どもが騒ぐ、暴れるというのは、基本的に「何で僕のこと分かってくれないんだ、聞いてくれないんだ」という子どもの叫びなんじゃないかなと思うんです。そこをクリアーしていれば、ぱいでぃあを見て下されば分かりますけれども、教室のどこにも傷はないですね。窓一つ割れたこともない。
 「ここなら自分を分かってくれる」─そう子どもが感じれば、子どもは暴れない、騒がない。(ADHDで学校では暴れん坊だったという子も、話せばそれなりに理解し、自分を抑える努力をする)そういうものです。
 別に物分りいい人間をやっているつもりもない。パシリなんかしない。ただある程度は子ども達と向き合っているかなという気はします。それだけです。そうすれば、あとは子どもが持っている持ち味、それが自然に出てくるのではないか。

▼『ニコラ』という教育雑誌をやっていた時、Fさんという東京の出版社の編集長さんに連載の漫画を書いてもらっていました。その漫画の中にカタツムリが出てきます。槍出せ角出せとかたつむりをつついて急かせればカタツムリは引っ込んでしまいます。でも、ゆったり構えていればやがて槍や角を出して自分のリズムで歩き出します。そういういい意味での待つということも必要かなと思います。
 Fさん、面白いですね。お父さんが飲んだくれで外に女を作った。ある時、お母さんが思い立って、小さな子たちをオンブして引っ張ってその家に乗り込んだ。そして「お父さんどうしてくれのよと」迫った。とうとう別れさせて、自分たちの子どもを面倒見るようにさせたそうです。そんな話もしてくれました。
 要は親というものはいろんな場面で思わぬ力を発揮するもの。子どもや高齢者が手助けを求めていてもうまく言い表せなかったり言わないでいると、こちらの方から手を差し伸べる。いざという時には、理屈ではなく問答無用で切り込む。そういう視点も特に母親には必要とされるのかなとも思います。

◆今回、新し物ものがり屋のマスコミのほとんどがこういう問題には見向きをしなくなった中で、東京新聞と日本経済新聞が地方のお知らせ欄で小さくはあるが紹介してくれた。このコーナーを借りて感謝申し上げたい。


******************************************************
「教育落書き帳」(ブログ)<
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
******************************************************
良ければクリック。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ

にほんブログ村
スポンサーサイト

教育フォーラム「親業のポイント」からの覚え書き(1)

2012.11.21.18:56

▼今回、「子どもを活かす親業のポイント」というタイトルで話したのは、教育ネットワーク・ニコラの設立以来、ずっと不登校問題に共に取り組んできたメインスタッフの米丸由美子女史。東洋大学に籍を置く傍ら看護専門学校で看護学生指導の教鞭も振るい、全国各地に講演にも回り、「看護師国試を考える会」の代表も努めた。そして、ニコラの設立を機に不登校問題に主に精神・看護的な側面から専門的に関わるようになった。
 学校の中にも養護教諭はいるが看護師的な業務は行えない。さらにフリースクールのような場所で、看護師養成の実践歴を持ち、しかも教員としても関われる人間はまず皆無に近いのではなかろうか。
 その米丸氏に過去20年にわたる不登校の子ども支援、とりわけフリースクール・ぱいでぃあでの不登校の子ども達との直接的な関わり、そして、自ら2児を育て上げた母親の立場から見えてきたものを、今子育ての母親たちに分かり易い調子で自由に語り、問い掛け、フォーラム形式で進めてもらった。教育の話はとかく難しくなりがち。が、子育てというのは家庭生活の中で一番原初的な形態。そこでなるべく専門的になるのを避け、卑近な例をもとに進めてもらった。

▼近年、子ども達の経験の乏しさが指摘される。勉強はできるけれども、日常生活を送る上での基本的な生活習慣が身についていない。しかし、生活に必要なそれらのこと、特に炊事、洗濯、食事はとても大事だ。例えば、お食事で、食材を選び、食事を楽しみながら、食卓を囲むこと。そういう秩序ある家庭生活が子どもの生活には必要だ。

▼子どもの傍にいる大人がどういう振る舞いをするか。大人は子どもの希望や勇気に繋がる情報を伝えなければ。人を批判する大人の声ばかりを聞いていると、子どもは不安になる。人の話を素直に聞けなくなる。人の顔色を窺うようになる。子どもの前ではいつも笑顔であるようにしたい。
 体験ってとても大事。親の場合もそう。体験がないと子どものことが心配になる。誤解も生まれる。その結果、ネグレクトになったり、逆に過剰に反応して叩いたりもするようになる。さらに、学校に行くようになると体力や成績のことで子どもを責めたりもする。たとえば、子どもが80点取って帰ってきたら、「よく頑張ったね」と誉めるのではなく「何でここ間違えたのよ!」と責めたりもする。でも、誉めることで子どもは自信を持つもの。
 親は子どもの鏡。親の背中を見て子どもは育つ。

『ニコラ』という教育雑誌をやっていた時、長野県のある公民館の方が寄せてくれたお話があります。実際にあったお話だそうです。
「ある家で介護していた義理のお母さんが亡くなった。それで母親はそれまでお婆さん使っていたダンボールやりんごの箱を片付けることにした。お婆さんは食事でぼろぼろこぼすので茣蓙を敷いてりんごの空き箱を食卓替わりにしていた。そのお婆さんの葬儀も終わって、もうこれも要らないからということで、そのりんご箱を庭の片隅で焼こうとした。すると子どもが背中から「お母さん、それ焼かないで!今度お母さんの時に使うんだから」と言ったというんですね。怖いお話ですね。
 親がやる行為を、良い悪いに関係なく、子どもは全部見ているんですね。そしてそれに批判を持たないで、全部それを受け入れて育つ。親が言う通りに育つんじゃないですね。

▼子ども達にもよく「長幼の序」という話をします。今現在自分たちがあるのは前の代の人たちが頑張って下さったから。それが脈々と受け継がれて、今の命というものがある。そういう中で「ありがとう」という感謝の気持ちも育っていく。

▼子どもが不登校になって「学校に行かない」「学校に合わない」という場合、逆にそれがきっかけでご家族が大きな学びをされることにもなる。「子どもの教育を考え直すいい機会になったな」とドーンと構えて「ゆっくりやって行こう」と思えばいいのでは?
 〈教育勅語で育った親の世代とはギャップがある。親や先生を敬うという教育を親の世代は受けてきて、それを自分の子育てでやりたいという親がいる。親のいいなりになるのは問題では?〉
という会場からの問い掛けについては、
 〈大きくなれば、親のいいなりにならないで、そこから自分の道を歩いていくようになればいい。年齢的には高校生くらいになってからかな〉と、予想された反論への回答もあった。

▼やはり大きく受け止めて、子どもが不安がらないように、認めてあげるのが親の役割。 しかし、それは経験したことで推測できるもの。他者感覚というものも体験した物差し、理解でしかなかなか推測もできない。子どもに対して、いい形で言えればいい。それには親の体験が大事。
(2に続く)

******************************************************
「教育落書き帳」(ブログ)<
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
******************************************************
良ければクリック。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ

にほんブログ村
プロフィール

Bakiller

Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。