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「大人のフリースクール」第3回、〈不登校からのはばたき〉へようこそ!

2012.02.22.23:50

「大人のフリースクール」第3回、〈不登校からのはばたき〉へようこそ!

「大人のフリースクール」第3回は〈不登校からのはばたき〉と題して、主に〈フレネ教育とぱいでぃあ〉〈遊学統合とぱいでぃあ〉という二つの側面から、日本でのフリースクールのあり方、「フリースクール・ぱいでぃあ」の誕生の経緯、日本の教育の問題点、現に今不登校である子ども達に対するアドバイスなどを行ないたいと思っています。
 そのための素材として、今回秩父困民党事件の研究者でもあり、日本にフレネ教育を広めた功労者でもあった若狭内蔵助さんから直に手渡しされたフレネ学校の実録映像(約一時間程度)を観ながら、トークを進めていきたいと思っています。

▼日本では何故か神秘主義者でもあったルドルフ。シュタイナーの運動が知られているが、一方ではセレスタン・フレネのはじめたではフランス初のフリースクールの現代学校運動を忘れてはならない。スクリーンでフレネ学校の実録映像を観ながら、第一次大戦、第二次大戦と二つの対独レジスタンス運動を貫いフレネ、国家主義の教育ではなく子どもからの発想による学びを確立しようとしたフレネ、レジスタンスの闘士で兵士に絶えず希望を発信し続け、フレネ学校の生徒たちも暗誦するエリュアールの〈自由〉という詩の由来、日本の学校教育とルソーの思い体現したフレネ学校の学校の教育との違い、そして本来のフリースクールの活動とは何か、なぜこれほど日本の不登校は問題視されるのか、数々の辛い思いを体験しながら不登校に負けずに自分を生きた子ども達は今どうしているか、などの話題も挟みながら時間の許す限り語り合いたいと思います。

東京新聞が2月12日の朝刊で紹介してくれました。
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大人のフリースクール 不登校からのはばたき

25日午後6時半、浦和コムナーレ(浦和パルコ10階)8・9集会室で。
参加費500円(ドリンク付き)
申し込み、問い合わせは
フリースクールぱいでぃあ
TEL 048(813)6177

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利害のある方は勿論、興味関心のある方、当日はどなたでもどなたでも参加できます。飛び入りの参加もOKです。週末の一時、ワンコインで、日本の教育と日本の未来について熱く語り合いませんか?お仲間・同士も増えるかも。


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http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/
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〈不登校からのはばたき〉についての覚え書きから

2012.02.15.00:09

〈ぱいでぃあ〉の前で
  (フリースクール・ぱいでぃあの前で、雪の日に)

※2月25日(土)に〈不登校からのはばたき〉というタイトルで、〈フレネ学校〉の実録映像を観賞しながらトークを行ないます。そのためのメモから起こしたものです。

▼教育とは何か?
そもそも教育とは何なのか?なぜ子どもは教育を受けなければならないのか?その教育は誰が行うのか?人々はそんなことは余りにも自明のことのように思われ、まず真正面から改めて問いかけることはなかった。逆にそう問われると、答えに窮する。簡単に言うなら、それは我々が人間だからとでも言うしかない。つまり、単なる生物や動物の類ではなく人間として生きるためには教育というものが不可欠だということになる。

▼人は二度生まれる
これも余りに当たり前すぎて、改めて想起されることもない。一度は他の生物たちと同じく動物的な誕生として。しかし、人が人であるためには二度生まれることが必要だ。二度目は人間社会の中に人間として生きるために。これも、言われてみればなるほどそうかも知れないというようなものだろう。五体満足に生まれ出ることは動物としては必要にして十分かも知れないが、現在の社会を生きる人間であるためには、今まで人間が作り上げてきた歴史社会に社会人として生まれ出ることが必要なのだ。ここに教育の役割がある。教育を受けることによって人ははじめて人として生きて行けるのである。

▼教育によって人になる
だから、先日ある新聞で報じられていたが、アマゾンの原住民のような社会であれば、さほど教育を受けなくてもそこで生きていくことが出来るかもしれない。しかし、幸か不幸か我々はこの文明社会に人間の子として誕生した。「五体満足でさえあれば…」とはどの生物にとっても共通の願いであるが、文明社会に人として生まれた場合にはそれで「良かった、良かった」と思考停止して手放しで喜んでいるわけにはいかない。それが我が子であればなおさらのことだろう。インドで狼に育てられたという少年の話があるが、その子は教育を受けるべき時に受けることが出来なかったために遂に人として生き抜くことが出来なかった。このように人が人として生き抜くために不可欠の営為、それが教育なのだ。

▼教育の責任者は誰か?
では、これを誰が行うのかとなると極めて曖昧だ。動物であれば子どもが本能に従って行動できるようになれば親としての務めは終了となる。そしてその後は共に自然界で生きる者同士の関係となる。しかし、人間の場合にはそうは行かない。歩けるようになれば保育園や幼稚園に行くのが当たり前となり、学齢期の年齢になればみな一斉に学校に入学するということに誰も疑いを持たない。逆に家に留めおけば変な親どころか教育放棄のとんでもない親という烙印さえ押されかねない。今の世の中、誰もが子どもを学校にやることを親の義務だと思って疑わない。多くの親たちは自分たちが我が子の教育の責任者であることを自ら放棄していることに気付いていない。

▼国家は親の委任で教育を代行
教育の第一の責任は親にある。わが子を保護育成するのと同じく教育権は親にある。まずこれを確認しよう。同時に子どももまた自らが人になるために学習する機会を保証される権利がある。子どもの学習権である。教育は本来、国家や行政が行うものではないし、教育権も握っていない。国家は親の委任を受け税金を投入して代行しているに過ぎないのだ。しかし、日本では家庭や子どもがそういう権利を国や行政に求めて行動することは奇異であるかのごとく見る。本来、教育はホームスクール的なものが原点であるのに、日本の社会ではそれを正当に主張することは余程の変わり者と見られてしまう。おかしな国である。

▼教育を受けることと学校へいくこと
明治5年に学制が発布され、日本の近代教育が始まった。が、それは国家目的に沿った国民を創り上げる国民学校による教育の始まりでもあった。そこでは子どもの学習権や親の教育権よりも国家目的のための学校教育が優先した。ホームスクールなど有り得るはずもなかった。家庭の教育権等が曲がりなりにも認められるためには太平洋戦争での敗戦を待たねばならなかった。しかし、戦後においてもなお国民学校的な教育理念は変わらず、国民の間では教育を受けることは学校へ行くことと同義であることに変わりはなかった

▼寺子屋式教育の終焉と近代学校教育の浸透
江戸時代に隆盛を極めた寺子屋は、明治政府が学制を発布した頃は行政の用意した近代学校教育の名の下に始まった学校の数を上回っていたという。そして、当初は激しい国民の抵抗もあったようだ。しかし、やがて明治政府が力を増す中でなし崩し的に国家教育の路線に組み込まれていった。また、実際の社会生活を営む上からも家庭で十分な教育力を行使することは事実上不可能になっていった。それだけ社会生活が高度化したのである。しかし、それでも子どもに対する教育権が家庭の側にあるのは厳然たる事実であった。

▼不登校が訴えるものは何か?
そういう戦後においてさえなお極めて国家主義的国民学校的な色彩の強かった日本の学校教育が再び問題視されるようになったのは、日本が高度成長期に突入した1990年代になってからである。しかもそれはかつてのように外部からの批判によるものではなく、学校に通っていた子ども達の不登校、学校からの大量の離反という、日本の学校教育の破綻を象徴するかのような現象によってであった。これは学校の規律が乱れたからというようなことが原因ではなく、あたかも様々な国家的全体主義的な要請にはけ口を失った子ども達が互いに共食いを始めたかのような現象であった。

▼不登校は教育を捉え直す良い契機
学校に我が子の居場所がなくなったことによって、学校任せではなく再び親の責任において子どもの教育を考えようという機運になって来たのは良いことだ。もともと子どもの不登校は、世間で言われるような決してマイナスのことではない。ある統計ではイギリスでは15%の子どもが学校に行っておらず、アメリカでは40万人に上る不登校生がいるそうである。しかし、それで騒がれることはない。むしろ欧米では上層階級や富裕層の家庭の子弟が学校に通っていないようである。しかし、教育は等閑(なおざり)にせず帝王学も身に付ける。そういうことも含め、日本の親たちは自らが「子どもの教育とは何か?」「何故不登校になるのか?」というとこを真剣に考え、行動に転化することが必要だろう。そこで、まず何よりも我が子が不登校になってくれたことで親として覚醒できた、我が子の教育を再考する良い機会を与えてくれたと捉え直すことはできないだろうか

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不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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