不登校をめぐる親の問題・子の問題
2011.06.30.17:07
▼フリースクール・ぱいでぃあには主に学校を離れた子どもたちが通ってきています。そして、原則として困っている子どものことならどのような事情があっても引き受け、様々な相談にも乗り、自然な立ち直りを支援しています。そして、もしお子さんが今トラブルに巻き込まれているのなら、なるべく早めに相談に来られることを望んでいます。長引かせれば長引かせた分、立ち直りが難しくなってしまうからです。
▼ところが、中には《小さな時分から学校には行っていない。ずっと今まで家で過ごしていた。けれど、このままではこの子は一生社会と触れ合うこともなく、この世に人として生まれてきた喜びも味わうことなく終わってしまうかもしれない。親が元気な今のうちはまだいいけれど、親の支えもなくなった後この子はどうなるのだろうかと考えると不安で一杯になる。それで、思い余って連れてきました。今からでも何とかならないでしょうか》──というような場合もあります。
▼「この子のために出来る限りのことをしてあげたい」──この思いはとても大切です。その思いが親御さんにあれば、紆余曲折を経ることはあっても最終的には立ち直っていける、自分らしさを取り戻してやっていける──そう確信していいいだろうと思います。それに必要な1~3年間、その子のために親身になって力添えになってあげればいいことなのです。しかし、それが幼児の頃に始まり中学も終りになる今でも同じ状態にある──となると、果たして、今まで通り親御さんの言うやり方に従っていていいものかどうか、見極めがとても大事になります。
▼たとえば、子どもが罹る症状の一つに場面緘黙(ばめんかんもく)と呼ばれるものがあります。これは子どもが集団の中で言葉を発しなくなったり発することができなくなってしまう症状のことです(ただし、いわゆる「緘黙」とは違い家族とは当たり前に会話をすることが出来ます)。たぶん小さかった頃に何かの精神的ショックがあったのでしょう。そして親御さんはその子の気持ちをおもんばかって様々なケアを行って来たことでしょう──それ自体には何ら問題はありません。しかし、それは当初必要な対応の仕方なのです。実際にそういう子どものケアに携わったことのないお医者さんの場合には教科書通りの慰めの言葉を言ったりしますが、果たしていつまでもそれでいいものかどうか。「今までは自分たちで何とかしようとやてきた。しかし、このままではもうどうにもならない。確かな展望を開きたい」という切羽詰った思いで、最後の拠り所としてフリースクールの門を叩いたのではなかったでしょうか。
▼しかし、「お願いします」とは言うものの、いざ今までの慣れ親しんだ状態から変わらねばならないとなると子どもは変化を恐れて頑なになったり、親御さんの方も「子どもがそう言うんだから…」といつものように子どもを庇ってしまいます。一刻でも早く楽にさせてやりたいと望みながら、肝心のところで親子の共依存の感情に絡め取られて、その関係を断ち切ることができず、変わること(社会化すること)を本能的に拒絶してしまうのです。そこにはそれを生理的に避けてしまう本人の問題というよりは、そのような方向に子どもを仕向けてしまう親御さんの問題が色濃く反映しているのを感じてしまいます。
▼「親が変われば子も変わる」とは不登校問題ではよく引き合いに出されるもはや古典的な言い回しです。そして、ある程度これは真実なのです。しかし、逆に言えば、子どもへの親の支配力がいかに強いか、子どもの自由を親御さんがいかに奪っているかの証明でもあります。つまりは、一見子どもの病理のように見えながらその実、親の病理の反映であることがとても多いということです。そういうこともあり、フリースクール・ぱいでぃあではほぼ毎月「教育広場&親の会」を開催しています。それは子どもの問題を解決するためには、まずは親御さんに変わってもらわなければならないということ、なぜ我が子が不登校にならざるを得なかったか、それが良いとか悪いとかではなく、正確に知ってもらうことが何よりも必要だと考えるからです。
(つづく)
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「教育落書き帳」(ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
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▼ところが、中には《小さな時分から学校には行っていない。ずっと今まで家で過ごしていた。けれど、このままではこの子は一生社会と触れ合うこともなく、この世に人として生まれてきた喜びも味わうことなく終わってしまうかもしれない。親が元気な今のうちはまだいいけれど、親の支えもなくなった後この子はどうなるのだろうかと考えると不安で一杯になる。それで、思い余って連れてきました。今からでも何とかならないでしょうか》──というような場合もあります。
▼「この子のために出来る限りのことをしてあげたい」──この思いはとても大切です。その思いが親御さんにあれば、紆余曲折を経ることはあっても最終的には立ち直っていける、自分らしさを取り戻してやっていける──そう確信していいいだろうと思います。それに必要な1~3年間、その子のために親身になって力添えになってあげればいいことなのです。しかし、それが幼児の頃に始まり中学も終りになる今でも同じ状態にある──となると、果たして、今まで通り親御さんの言うやり方に従っていていいものかどうか、見極めがとても大事になります。
▼たとえば、子どもが罹る症状の一つに場面緘黙(ばめんかんもく)と呼ばれるものがあります。これは子どもが集団の中で言葉を発しなくなったり発することができなくなってしまう症状のことです(ただし、いわゆる「緘黙」とは違い家族とは当たり前に会話をすることが出来ます)。たぶん小さかった頃に何かの精神的ショックがあったのでしょう。そして親御さんはその子の気持ちをおもんばかって様々なケアを行って来たことでしょう──それ自体には何ら問題はありません。しかし、それは当初必要な対応の仕方なのです。実際にそういう子どものケアに携わったことのないお医者さんの場合には教科書通りの慰めの言葉を言ったりしますが、果たしていつまでもそれでいいものかどうか。「今までは自分たちで何とかしようとやてきた。しかし、このままではもうどうにもならない。確かな展望を開きたい」という切羽詰った思いで、最後の拠り所としてフリースクールの門を叩いたのではなかったでしょうか。
▼しかし、「お願いします」とは言うものの、いざ今までの慣れ親しんだ状態から変わらねばならないとなると子どもは変化を恐れて頑なになったり、親御さんの方も「子どもがそう言うんだから…」といつものように子どもを庇ってしまいます。一刻でも早く楽にさせてやりたいと望みながら、肝心のところで親子の共依存の感情に絡め取られて、その関係を断ち切ることができず、変わること(社会化すること)を本能的に拒絶してしまうのです。そこにはそれを生理的に避けてしまう本人の問題というよりは、そのような方向に子どもを仕向けてしまう親御さんの問題が色濃く反映しているのを感じてしまいます。
▼「親が変われば子も変わる」とは不登校問題ではよく引き合いに出されるもはや古典的な言い回しです。そして、ある程度これは真実なのです。しかし、逆に言えば、子どもへの親の支配力がいかに強いか、子どもの自由を親御さんがいかに奪っているかの証明でもあります。つまりは、一見子どもの病理のように見えながらその実、親の病理の反映であることがとても多いということです。そういうこともあり、フリースクール・ぱいでぃあではほぼ毎月「教育広場&親の会」を開催しています。それは子どもの問題を解決するためには、まずは親御さんに変わってもらわなければならないということ、なぜ我が子が不登校にならざるを得なかったか、それが良いとか悪いとかではなく、正確に知ってもらうことが何よりも必要だと考えるからです。
(つづく)
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