「保護者と教師のための不登校セミナー」(官民連携の)に関わって
2015.07.23.17:59
「保護者と教師のための不登校セミナー」(官民連携の)に関わって
▼2015年7月11日(土)には恒例の「保護者と教員のための不登校セミナー」(官民連携による)をさいたま市民会館うらわにて開催しました。多数のご来場感謝申し上げます。
でも、「感謝する」というのも不思議です。私らが不登校問題に取り組んだのは1990年代。その当時、不登校のピークは13万人を超えました。あれから20年、その間、不登校への認知も進み、対策も打たれてきたはずですが、現在も12万人を下りません。
どういうことなのでしょうか。私たち不登校支援を行ってきた者は、むしろ「不登校セミナーにこんなに集まって頂いてごめんなさい。本当はこんなセミナーはなくなっていなければならなかったんです」と。
以下、そのような思い浮かぶままの感想を簡単に記します。
▼官民連携の「官」とは埼玉県教育委員会と埼玉県の教育局の側のこと、「民」とは埼玉県の不登校関連の親の会やNPOのフリースクール・その他、ということになります。
不登校問題への関わりはずっと民間の活動が先行していました。しかし、しばらくしてから、パレットスクールを立ち上げるなど、県の教育委員会や教育局が不登校対策に取り組み始め、行政からの声掛けもあり、やがて現在のような流れになってきました。
(この問題については稿を改めて詳しく述べたいと思います)
今回の「不登校セミナー」の内容は、
第一部 パネルディスカッション「不登校、私たちを支えたもの」
第二部 講演「子供の心を支え合うために」
第三部 情報提供
開会の挨拶をフリースクール・ぱいでぃあが担当し、全体の司会は大志学園(子ども支援財団)が担当しました。
▼挨拶では、アインシュタイン以上のIQを持つ自閉症の不登校児で、10歳で大学に入学した天才少年の話をしました。彼は学校に行かなかったから自分で自由に考えることが出来たといいます。ニュートンもアインシュタインもそうだったと。彼はTEDのトークで「学ぶな、考えろ」と言いました。そんなことを紹介し、不登校をマイナスと考えず、自信を持とうと呼びかけたつもりです。
その後、第一部はパネルディスカッション「不登校、私たちを支えたもの」というテーマ。コーディネーターは十文字女子大学准教授の加藤陽子先生。パネリストは不登校経験の高校生や大学生や社会人の3人と。保護者からは母親2名。保護者一名は「ぱいでぃあ」からの参加(小学生の母親)でした。
正直なところ、どれだけタイトルに沿った話が出来たのか即答できません。それぞれが自分の立場や思いから自由に語っていただいたと言ったらいいでしょうか。言いっぱなしの感もあり、パネルディスカッションというよりはシンポジウム的なものとなりました。でも、まだ自分の言いたいことを十分に言えなかったという隔靴掻痒の感が残ったかもしれません。それだけ、それぞれの個性が際立ったシンポであったとは言えそうです。
▼第二部は、加藤陽子先生による講演「子供の心を支え合うために」。
どこかで見たことがありそうな…?という部分も見られましたが、図版も多く分かりやすく、これから教職員やカウンセラーを目指す学生さん、あるいは不登校の問題を基本から考え直そうとするする教職員向けとしては、それなりに良かったのかなとは思います。しかし、日々不登校の子どもと接している親御さんや現場のスタッフにとっては言わずもがな的な概念的な講釈に過ぎず、臨床としてはほとんど得るものがなかったかなという気もしますが、参加された方々、いかがだったでしょうか。
「知」は「行動」となって初めてを持ちます。「いいお話をありがとう」で終わったのでなければ幸いです。
因みに、私どもから参加されたベテランの教育者は、Being、DoingだけじゃなくBecomingが欲しかったとのこと。
▼私ども月刊の不登校の専門雑誌『ニコラ』を発行していた「教育ネットワーク・ニコラ」が「ぱいでぃあ」というフリースクールを立ち上げたきっかけがあります。
小中学の不登校生を何とか高校進学へと送り込めば「一応、それで解決」とはいかない現実に直面したことが一つ。
もう一つは、子どもの気持ちに寄り添うという専門のカウンセラーが我が子を金属バットで殴り殺すという事件を起こしたことです。
彼は子どもの心の専門家としてできるだけの本を読んだようです。我が子の意向に寄り添い、メイドや執事のように子どもに尽くしもします。そして、その結果、全ての努力が崩壊する家庭の現実に直面し、寝ていた我が子を金属バットで殴り殺したのです。
いつからか「この子のためならば!」が「この子さえいなければ!」に変わってしまったのです。
本当に救いの道はなかったのでしょうか?
▼彼の行動から教訓を引き出すことができます。
不登校という子どもの現実の前では、専門書、専門的知識、様々な出来合いのノウハウもハウツー…そんなものに幾ら頼っても役立たないということ。
不登校に纏わりつく様々な不純物を一旦全部捨て去り、直に裸のまま子どもたちと相対し接すること。…それしかないのだと。
…そこから始めてみよう。そう思って、フリースクールを立ち上げたのです。
それはまるでゼロからの出発であり、そこにある全ては子ども達と相まみえる中で獲得し積み上げてきたものばかりなのです。
そういう観点からすると、加藤先生の講演は、やはり「不登校とはなにか」と考える教育課程の学生さん、あるいは教職員の方々には良かったかも知れません。(変な話ですが、大学で研究される、不登校の子どもの生態も、統計資料も、全ては私達の現場の活動の中から抽出されたものばかりです。)でも、子どもの心や親御さんにどう響いたのでしょうか。
いや、もしかして、そういう知識さえもなく参加されている親御さんには、逆に好評であったかもしれませんね。
▼「官民連携による不登校セミナー」は他県ではほとんど例を見ないようです。毎回、フリースクールが前面に出るのではなく親の会を立てたこともあり、誰にでも利用可能な親の会からは好評のようでした。しかし、教育行政の側からただ声をかけてくれるだけで有難がっているようにも見える親の会を見ると、多少失望の感もしないではありません。
しかし、親の会を前面に据えたことは不登校問題は学校の問題であると同時に、いやそれ以上に「親の問題」であると感じてもらう意義はあったように思います。これは「不登校の原因は親にある」と言いたいのではありません。「親がしっかりしなければ不登校問題は解決しない」ということを言いたいのです。
だが、それがどれだけ親の会の面々に伝わっているかどうか。その結果、我が子の不登校がPTSDとなり、5年、10年と長引かせてしまったり、子どもが自立できなくても物分りの良い理解者でいることに満足していることも多いようにみえます。
▼「官民連携」という形態については、例えば「公民連携」というような形などで、「地方の時代」と言われる今、街づくりや地域おこしなど、全国のいろいろな所でそのバリエーションはあるようです。成功例や失敗例もあります。
そこで得られる「官民連携」の教訓は、大体次のようなことです。
つまり、「官民連携」において「官主導」では絶対に上手くいかないということ。官が前面に立てば一時は良くてもやがて全てが衰退する。だから、官は後方支援に周り、民が主導でやらなければならないということ。
官の側からは、そこに進取の発想であろうとも、単独で前例主義を超えるのは難しいようです。逆に、民からは新しい発想は次々と生まれますが、前提となる条件が整いません。税金をバックにするような資金力もありません。本当は、官はそのための舞台を用意し、支援する側に回れば良いのだろうと思います。ですから、民の側としては、単に行政におもねるだけではなく、行政の重い扉をこじ開ける力技も必要になるのかもしれません。
SNSの時代、地域や立場を超えて、そういう情報のやりとりが出来、学び合えるのは嬉しいことです。
これは不登校の場合も同様かもしれません。最初は民間が教育行政が動き出すのを待てずに先行しましたが、今は官の側が民間の思惑を超えて主導権を握りそうにも見えます。でも、それは打ち上げ花火に終わる公算があります。民の発想と行動力にかかっているのかもしれません。
▼「フリースクールに経済支援を!」という声があり、それに賛同する声もたくさんあるようです。一見、フリースクールのための経済支援のように見えながら、その実はフリースクールの許認可を教育委員会が握ろうということのようです。今までは経済的支援は法の埒外として放置していたのに、これからは餌を与える代わりに鎖で繋ごうという発想のようです。これでは不登校支援への後ろ向きの姿勢に他ならないことになります。本来のフリースクールの役割を何も理解していない発言です。フリースクールは文科省に縛られない民間の教育機関だったからこそ存在意義があったのですから。
不登校への経済支援そのものには大賛成です。遅きに失した感があります。でも、それは不登校産業の利権のためではなく、不登校の子どもとその家庭への経済的支援t…たとえ学校を離れようとその学習権・教育権を保証するものであってほしいと思います。そして、その教育公費の行使は、それが子ども本人の教育に資するものであるならば、どこでどのような形でなされようと自由であるべきです。それを別の学校で使う人もいれば、フリースクールで使う人もいるというように。以前から私どもでは教育バウチャー制度を訴えていました(今の文科相も類似の考えをお持ちのようですが、目的が違うかもしれません)。
一考も二考もを要したいところです。
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▼2015年7月11日(土)には恒例の「保護者と教員のための不登校セミナー」(官民連携による)をさいたま市民会館うらわにて開催しました。多数のご来場感謝申し上げます。
でも、「感謝する」というのも不思議です。私らが不登校問題に取り組んだのは1990年代。その当時、不登校のピークは13万人を超えました。あれから20年、その間、不登校への認知も進み、対策も打たれてきたはずですが、現在も12万人を下りません。
どういうことなのでしょうか。私たち不登校支援を行ってきた者は、むしろ「不登校セミナーにこんなに集まって頂いてごめんなさい。本当はこんなセミナーはなくなっていなければならなかったんです」と。
以下、そのような思い浮かぶままの感想を簡単に記します。
▼官民連携の「官」とは埼玉県教育委員会と埼玉県の教育局の側のこと、「民」とは埼玉県の不登校関連の親の会やNPOのフリースクール・その他、ということになります。
不登校問題への関わりはずっと民間の活動が先行していました。しかし、しばらくしてから、パレットスクールを立ち上げるなど、県の教育委員会や教育局が不登校対策に取り組み始め、行政からの声掛けもあり、やがて現在のような流れになってきました。
(この問題については稿を改めて詳しく述べたいと思います)
今回の「不登校セミナー」の内容は、
第一部 パネルディスカッション「不登校、私たちを支えたもの」
第二部 講演「子供の心を支え合うために」
第三部 情報提供
開会の挨拶をフリースクール・ぱいでぃあが担当し、全体の司会は大志学園(子ども支援財団)が担当しました。
▼挨拶では、アインシュタイン以上のIQを持つ自閉症の不登校児で、10歳で大学に入学した天才少年の話をしました。彼は学校に行かなかったから自分で自由に考えることが出来たといいます。ニュートンもアインシュタインもそうだったと。彼はTEDのトークで「学ぶな、考えろ」と言いました。そんなことを紹介し、不登校をマイナスと考えず、自信を持とうと呼びかけたつもりです。
その後、第一部はパネルディスカッション「不登校、私たちを支えたもの」というテーマ。コーディネーターは十文字女子大学准教授の加藤陽子先生。パネリストは不登校経験の高校生や大学生や社会人の3人と。保護者からは母親2名。保護者一名は「ぱいでぃあ」からの参加(小学生の母親)でした。
正直なところ、どれだけタイトルに沿った話が出来たのか即答できません。それぞれが自分の立場や思いから自由に語っていただいたと言ったらいいでしょうか。言いっぱなしの感もあり、パネルディスカッションというよりはシンポジウム的なものとなりました。でも、まだ自分の言いたいことを十分に言えなかったという隔靴掻痒の感が残ったかもしれません。それだけ、それぞれの個性が際立ったシンポであったとは言えそうです。
▼第二部は、加藤陽子先生による講演「子供の心を支え合うために」。
どこかで見たことがありそうな…?という部分も見られましたが、図版も多く分かりやすく、これから教職員やカウンセラーを目指す学生さん、あるいは不登校の問題を基本から考え直そうとするする教職員向けとしては、それなりに良かったのかなとは思います。しかし、日々不登校の子どもと接している親御さんや現場のスタッフにとっては言わずもがな的な概念的な講釈に過ぎず、臨床としてはほとんど得るものがなかったかなという気もしますが、参加された方々、いかがだったでしょうか。
「知」は「行動」となって初めてを持ちます。「いいお話をありがとう」で終わったのでなければ幸いです。
因みに、私どもから参加されたベテランの教育者は、Being、DoingだけじゃなくBecomingが欲しかったとのこと。
▼私ども月刊の不登校の専門雑誌『ニコラ』を発行していた「教育ネットワーク・ニコラ」が「ぱいでぃあ」というフリースクールを立ち上げたきっかけがあります。
小中学の不登校生を何とか高校進学へと送り込めば「一応、それで解決」とはいかない現実に直面したことが一つ。
もう一つは、子どもの気持ちに寄り添うという専門のカウンセラーが我が子を金属バットで殴り殺すという事件を起こしたことです。
彼は子どもの心の専門家としてできるだけの本を読んだようです。我が子の意向に寄り添い、メイドや執事のように子どもに尽くしもします。そして、その結果、全ての努力が崩壊する家庭の現実に直面し、寝ていた我が子を金属バットで殴り殺したのです。
いつからか「この子のためならば!」が「この子さえいなければ!」に変わってしまったのです。
本当に救いの道はなかったのでしょうか?
▼彼の行動から教訓を引き出すことができます。
不登校という子どもの現実の前では、専門書、専門的知識、様々な出来合いのノウハウもハウツー…そんなものに幾ら頼っても役立たないということ。
不登校に纏わりつく様々な不純物を一旦全部捨て去り、直に裸のまま子どもたちと相対し接すること。…それしかないのだと。
…そこから始めてみよう。そう思って、フリースクールを立ち上げたのです。
それはまるでゼロからの出発であり、そこにある全ては子ども達と相まみえる中で獲得し積み上げてきたものばかりなのです。
そういう観点からすると、加藤先生の講演は、やはり「不登校とはなにか」と考える教育課程の学生さん、あるいは教職員の方々には良かったかも知れません。(変な話ですが、大学で研究される、不登校の子どもの生態も、統計資料も、全ては私達の現場の活動の中から抽出されたものばかりです。)でも、子どもの心や親御さんにどう響いたのでしょうか。
いや、もしかして、そういう知識さえもなく参加されている親御さんには、逆に好評であったかもしれませんね。
▼「官民連携による不登校セミナー」は他県ではほとんど例を見ないようです。毎回、フリースクールが前面に出るのではなく親の会を立てたこともあり、誰にでも利用可能な親の会からは好評のようでした。しかし、教育行政の側からただ声をかけてくれるだけで有難がっているようにも見える親の会を見ると、多少失望の感もしないではありません。
しかし、親の会を前面に据えたことは不登校問題は学校の問題であると同時に、いやそれ以上に「親の問題」であると感じてもらう意義はあったように思います。これは「不登校の原因は親にある」と言いたいのではありません。「親がしっかりしなければ不登校問題は解決しない」ということを言いたいのです。
だが、それがどれだけ親の会の面々に伝わっているかどうか。その結果、我が子の不登校がPTSDとなり、5年、10年と長引かせてしまったり、子どもが自立できなくても物分りの良い理解者でいることに満足していることも多いようにみえます。
▼「官民連携」という形態については、例えば「公民連携」というような形などで、「地方の時代」と言われる今、街づくりや地域おこしなど、全国のいろいろな所でそのバリエーションはあるようです。成功例や失敗例もあります。
そこで得られる「官民連携」の教訓は、大体次のようなことです。
つまり、「官民連携」において「官主導」では絶対に上手くいかないということ。官が前面に立てば一時は良くてもやがて全てが衰退する。だから、官は後方支援に周り、民が主導でやらなければならないということ。
官の側からは、そこに進取の発想であろうとも、単独で前例主義を超えるのは難しいようです。逆に、民からは新しい発想は次々と生まれますが、前提となる条件が整いません。税金をバックにするような資金力もありません。本当は、官はそのための舞台を用意し、支援する側に回れば良いのだろうと思います。ですから、民の側としては、単に行政におもねるだけではなく、行政の重い扉をこじ開ける力技も必要になるのかもしれません。
SNSの時代、地域や立場を超えて、そういう情報のやりとりが出来、学び合えるのは嬉しいことです。
これは不登校の場合も同様かもしれません。最初は民間が教育行政が動き出すのを待てずに先行しましたが、今は官の側が民間の思惑を超えて主導権を握りそうにも見えます。でも、それは打ち上げ花火に終わる公算があります。民の発想と行動力にかかっているのかもしれません。
▼「フリースクールに経済支援を!」という声があり、それに賛同する声もたくさんあるようです。一見、フリースクールのための経済支援のように見えながら、その実はフリースクールの許認可を教育委員会が握ろうということのようです。今までは経済的支援は法の埒外として放置していたのに、これからは餌を与える代わりに鎖で繋ごうという発想のようです。これでは不登校支援への後ろ向きの姿勢に他ならないことになります。本来のフリースクールの役割を何も理解していない発言です。フリースクールは文科省に縛られない民間の教育機関だったからこそ存在意義があったのですから。
不登校への経済支援そのものには大賛成です。遅きに失した感があります。でも、それは不登校産業の利権のためではなく、不登校の子どもとその家庭への経済的支援t…たとえ学校を離れようとその学習権・教育権を保証するものであってほしいと思います。そして、その教育公費の行使は、それが子ども本人の教育に資するものであるならば、どこでどのような形でなされようと自由であるべきです。それを別の学校で使う人もいれば、フリースクールで使う人もいるというように。以前から私どもでは教育バウチャー制度を訴えていました(今の文科相も類似の考えをお持ちのようですが、目的が違うかもしれません)。
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