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不登校の子がどこよりも早く元気になれるところかな----ぱいでぃあって何?

2015.05.07.20:48

不登校の子がどこよりも早く元気になれるところかな----ぱいでぃあって何?

●「ぱいでぃあ」は自信をなくし自己卑下でいっぱいになっている子ども達に、何はさておきまずは元気になってもらうことを目標にしています。いくら一人で頑張ってみても多勢に無勢、集団の力に負けてしまうのが普通です。ですから、大抵の場合、自分なりにいろいろ頑張ったけれども「もうダメ!」という状態でにやって来ます。最初は宣伝の派手なスクールなどに行きがちですが、それでも何か納得が行かず、最後にやって来るというのがだいたいのパターンでしょうか。(ぱいでぃあはネットのサイトで紹介している以外、宣伝をしていませんから)
だからでしょうか、「もう一度元気になりたい!」「本来の自分を取り戻したい!」という切なる願望が感じられます。

●でも、「元気になりたい!」ということでしたら、「大丈夫、お任せを!」。不登校の根本的な問題は学業不振ではなく、なんとかなりたいという気力を大きく失わせてしまうこと。それは、学校という場が児童生徒のやる気を引き出すよりは、自分を断念させる方向に機能していることがあるからではないでしょうか。「I'm different.]ということを「個性的で素敵」と見るのではなく「みんなに合わせられない外れ者」と見る…それが大方の日本の教育現場であり日本の社会の空気です。
でも、それを「個性的で良し」と認め受け入れる場があり、人がいる。そういう環境がある…それが「ぱいでぃあ」です。

●不登校の子ども達はそういう所で自信を取り戻し、自分を肯定できるようになって初めて、学業に取り組み、進学や将来の夢を思い描くこともできるようになります。自分に目的が生まれ、その実現に向けて取り組むことができるようになった子には伴走者として関わればいいのです。考え、選択し、実際に取り組むのは本人。伴走者はそれぞれの発達に応じて本人に適切な課題を提示し、時には共に考えてあげればいいのです(でも、それが出来る人がどれだけいるのでしょう?)。決めるのが本人なら、その成果を得るのも本人なのです。

●そうすれば、小学生であればそのまま中学に進む学力も自然について来ますし、場合によっては有名私立中学受験も可能になります。中学生であれば学校以上に勉強が進み、全員進学の中で、進学校の私立受験や公立高校受験も可能にもなります。また、現在では不登校生のための民間の受け皿が随分整って来ましたから、最初からそこを希望しなくても最終的な高校選択に、民間の通信制サポート校などをセーフティ・ネットとして活用することもできるようになっています。

●ですから、私達は学業の指導はもとより、それ以上に、それぞれの個性や特性を正確に捉え、まだはっきりとした形をなしていない可能性だけでなく、まだ表面にも現れてきていないような様々な可能性をさえも的確に引き出すことに心血を注ぎます。その過程で心と身体は一体のものであることとか、不登校になった子どもに対して教師や親の多くが(たぶん心配してのことでしょうが)「学校行かないでどうするの!」と不登校の様々なマイナス要因を並べ立てて非難するやり方が百害あって一理もないことも明らかになって行きます。
それが一時的なことか決定的なことかにかかわらず、その子が不登校を選択したことは「イエス」であると支援者や周りの応援者が思えるようになった時、その子は確実に自分の足で一歩を踏み出すのです。勉強云々の結果は、その後に自然と付いてくるものなのです。

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theme : 不登校
genre : 学校・教育

※「脱・不登校」ってなんですか?---不登校も過ぎてみればいい経験

2014.06.26.17:35

※「脱・不登校」ってなんですか?---不登校も過ぎてみればいい経験

▼学校に行けなくなって不登校になった子どもたちを受け入れるフリースクールなのに、「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイトのトップページには「脱・不登校」とあります。「どこかおかしくないですか?」と思っている方いませんか。
 「不登校」と「脱・不登校」、一見反対の言葉のようですが、どこがどう違うのでしょう?その疑問にお答えしたいと思います。

▼「不登校」という言葉には---特に日本では---最初から否定的なイメージが染み付いています。学校に通う生徒がなってはならないもの、我が子には全く無縁のできごと---であったはず。ところが、なぜか我が子が突然学校に行きたくないと言い出した---!どういうこと!どうして!何がいけなかったと言うの!信じられない!

パニクるのは不登校となった本人ではなく大抵はその親御さん。そういうびっくり仰天の態度で迫られるから、本人も何かとってもいけないことをしたような思いになる。そして、親に愛されない、受け入れられないことをしてしまった自分を責める。親にも批判され、友達からも疎んじられ、勉強もできなくなったし、未来の展望も何もかにも真っ暗くら。でも、どうにもならない自分を感じ、ますます自分をダメな奴と自虐的に痛めつける。それが不登校の蟻地獄世界に堕ちたものの常。

▼不登校になるということは、世間で言われているように、本当にいけないことなの?と言うと、決してそんなことはないんですね。でも、当人や周りの人達はそう信じて疑わない。それは多分に日本的な閉鎖的な考え方から来ていることが多いんですが。
 実際、日本でも「明るい不登校」だの「不登校でもいいじゃん」などという人達もいます。でも、どこか捨て鉢というか投げやりにも聞こえます。何もそこまで開き直らなくても、「不登校もいい経験」と鷹揚に受け止めてもいいのではないでしょうか。

不登校をすることによって、学校に縛られない自由な時間を得、自分の興味や関心に従ってやりたいことをやれます。ぱいでぃあは、自尊感情を潰してしまって自己卑下でいっぱいになっている子ども達を応援する一方、そういう子ども達をも応援したいなと思っています。自分の力で道を切り開かれるように。
 事実、今日、家族で博物館での体験学習などに出かけた子もいるんですよ、普段はぱいでぃあに通ってきますが。

▼それでも、ぱいでぃあでは「脱・不登校」と言います。でも、それは不登校をただ否定することじゃないんです。むしろ、不登校になったことは絶好の機会と前向きに捉え、自分づくりに意欲的に励めるようになってほしいと思ってます。不登校にならなければ分からなかったことや、不登校になって初めて見えてくるものもあります。そう出来るチャンスに恵まれたことは幸せなこと。その経験を積極的に活かしましょう。「不登校よ、ありがとうです」。

▼でも、不登校はやっぱり不登校。そこで「脱・不登校」。脱・不登校は不登校という経験があって初めて可能です。しかも、不登校の次元に留まらず、その次元を超える行為です。論理学的に言えば、正ー反ー合の合の位置に自分を置くという行為。言い換えれば、相手と同じ土俵で相撲を取らない、ということ。
 そのレベルに至れば、もう不登校で一喜一憂する必要はありません。不登校という悪夢から自分を解放し、不登校という恵まれたチャンスを自分の血肉にして、脱不登校に至ろうということです。

▼そんなの無理!そんなの不可能!と思いますか?そうでしょうか。現在、日本の社会で活躍している人の中には「もと不登校」という人が随分いますね。みんな不本意ながら「出る杭は打たれる」経験をしたのでしょうか。でも、そういう人達もずば抜けて優れていたわけではありません。
 ただ一つだけ違うことがあるとすれば、それは決して自分を見捨てず、諦めず、脱・不登校を成し遂げた人達だということです。自分を捨て周りに合わせていれば、おそらく今現在の姿はなかったことでしょう。

▼「不登校」になったからといって自分を諦めないでください。不登校になる選択をした自分を褒めてやってください。不登校は自分が成長するために必要な行為であったと認めてやってください。そして、その先に自分のなりたいイメージを思い浮かべてください。そこには脱・不登校を成し遂げた自分の成功イメージがあるはず。
 脱・不登校、それは一度は失ったかも知れない「自分の人生の主人公は自分自身」であるということを再確認し、自立への一歩を踏み出すこと。自分のイメージが確かならばその行動もまた確かなものになるはずです。

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不登校の子どもの「ゆめ実現」「自己実現」を応援---フリースクールでの応援の形

2014.06.01.20:28

不登校の子どもの「ゆめ実現」「自己実現」を応援---フリースクールでの応援の形

不登校問題に関わり続けてもう随分経ちます。それはただひたすらに「子どものゆめ実現」のためでした。ところが、立場が違う筈の親御さんや周りの人達の場合にもただやみくもに救急の処置に走りがちで、「なぜ我が子が不登校になったか」までには考えが及ばないことが多くあります。それは、子どもが思わぬ急性の病にかかった時の行動にどこか似ています。ですから、その症状が治まれば親はホッとし、もうそれで終わったものと思いがちでした。結局、それが、モグラ叩きのように生起した現象にあたふたと対応するだけとなり、不登校問題を考える限界となる大きな要因でもありました。でも、ちょっと考えて見てください。不登校という子どもの行動は長い潜伏期間のあってのことであり、急性の症状とは明らかに違うのです。

▼なぜ私たちは病気になるのでしょうか?簡単に言えば、身体が病原菌に負けてしまったからだと言えるかも知れません(中にはアレルギーなどの誤動作反応もありますが)。実際、空気中にも食物中にも身体の中にも様々な細菌が存在します。善玉菌と言われ身体に欠かせない菌もあれば、悪玉菌と言われる怖い菌もあります。でも、健康な人は簡単には病気にはなりませんね。抵抗力の弱った人がなりやすいのです。

▼これは不登校の場合も同じかも知れません。いい加減の人、気丈な人、周りに振り回されず自分のしっかりある人…そういう「学校的日常をサバイバル的に生き抜く、いわば「非学校教育的なふるまいのできる人」はまず不登校にはなりません。逆に不登校になりやすい人というのは、一見真面目そうで素直な人、あまり自己主張をせず周りに自分を合わせるような人、学校やクラスで決めたことは極力守ろうとするタイプの人…自己本位ではなくそのように周りとの調和を気にする「学校教育的にはいい子」に属する子ども達であることが多いように思います。

▼これはタイプの違いであり、どちらの子が良くてどちらの子が悪いというようなことではありません。便宜的な分類に過ぎません。確かに、生得的な気質というものはありますが、後天的な生育環境の中で醸成されたものであることが多いのです。子どもの育ちに影響する環境として、学校や地域などがありますが、最大のものは家庭という環境ですね。ここで、子どもの基本的な気質や感覚が醸成されます。学校は知識や交友関係、社会性等を身に付けるのが主な役割です。

▼子どもが不登校となりますと、まず学校との関係で文字通り「学校に行けないこと」が問題視されますが、それは不登校の主要な問題ではありません。問題は、その子が学校生活に耐えられない感性や感覚、対人関係能力などのまま生育してきたのではないかということです(全てではありません)。もし、早い段階でそれに気付いたならば、なるべく早期に対応することです。不登校を心の風邪とか麻疹(はしか)に喩える人がいますが、まずはこじらせないことが肝要です。初期の段階であれば子どもが不登校気味になること自体にはさほど神経質になることもありません。乗り越えるべき心の課題くらいに軽く受け止めればいいのです。でも、そのために家庭で「風邪ぐらいには負けない体力」を付けておくことはとても大事なことになりますね。

▼不登校を大層な心の問題であるかのように考え勝ちです。でも、その多くはそれ以前の交友関係や生徒としてのふるまい方など基本的な対人関係の齟齬(そご)から起きていることが多いのです。余りにも「独り善がりで非社交的」であるとか。たとえば、学齢期の子どもであれば「おはよう、こんちわ、ばいばい、またね、ありがとう、すみません、どうしたの、大丈夫?」くらいの発話は子どもの口から自然に発せられるように思いますが、不登校となる子の中にはこういう基本的な挨拶の習慣ができていないことが実に多いのです。周りの人には渇望するほどそういう言葉がけを求めていながら、自分からは一言も相手の心に響くような言葉を発することが出来ない…。面談などをして見ますと、それはその子の問題ではなく、そいういう生活習慣を当たり前の環境と理解して育ってきた結果らしいことが見えてきます。

▼対人関係が苦手であるということは、その子の生得的なものではなくて、そういう心使いや感覚の働かせ方が社会生活を送る上で最低限身に付けておくべき大事なルールであり素養なのだと子どもに理解させスキルを積ませてこなかったことの結果であるように見えるます。小さいうちはそれでも問題はなかったのかも知れません。でも、学校に通う段になると、そういうことがきちんとできることは自分の名前をちゃんと書けるかどうかということよりももっと大事なことなのです。
 では、学校ではそういう基礎訓練を重視して行ってくれるかというとノーなのです。かつて学校を支配していた権威主義的規範は否定されましたが、それに代わる新たな基準が出来たわけではありません。(ブログ『教育落書き帳』で紹介したように、戦後の学校教育で指導上の混乱が1965年文部省発行『生徒指導の手引き』の表記に散見されます)。国家の方針に抵抗する術もなく従った家庭にももちろん指針はありません。軍国主義時代の教科書には墨を塗り「民主教育」はとして再出発はしましたが、社会の悪風がもろに学校に持ち込まれないように塀を設ける措置を取っただけです。家庭教育もなく野放しの子ども達が学校に集まり、やがて戦後の復興と進学熱の高まりとに呼応して「学校神話」が高まり、子どもや家庭を巻き込んでいきました。その過程でそのような学校教育のあり方に対して、子ども達が捨て身とも言える形で身体を張って「ノー」という異議申し立てをしたということ、それが近代学校教育が生んだ不登校という現象です…そう見ることもできるのです。

▼ただ、一般的には、特に小中学の不登校の場合、そんなに難しく考えない方がいいのかもしれません。本人やご家庭で見るべきは、不登校と不登校ではない子どもの違いは何なのかを冷静に理解すること。どうしてあの子は学校に行っているのにうちの子は行けないのか?これは学校に行くことが善で学校に行かないことが悪である、などと言っているのではありません。そういう判断基準は逆に害になるだけでしょう。不登校には「選択的不登校」という見方もあります。それが「積極的不登校」の場合にはそのプラス面を評価し、むしろ子どもの応援者となることも必要なのです。(こういう不登校の子ども達はぱいでぃあでは特に歓迎です)
 しかし、「行きたくても行けない不登校」である場合、どうすれば本人に不足している感性や感覚、対人関係や社会性などの能力を回復することが出来るか(知識や勉強の遅れが第一ではありません)---はとても大事です。フリースクールとは、学校で培えなかったそういう力を養い、やがては自分の道を自力で切り開いていけるようにする場=感覚と知の道場でもあります。

▼「鉄は熱いうちに打て」といいます。不登校の場合も同様です。小学中学という若木のうちに、早期の関わりをお勧めする理由です。そうすれば、最初から一般の公立高校受験を諦めて通信制サポート校や技能連携校を選ぶようなことはせずとも、公立高校→私立高校→通信制高校等のステップ(目標がどこかは受験生によって違いますが)を踏んで高校の受験もできるでしょう。
 不登校になれば、パンフレットやチラシ、宣伝文句などにどうしても目が行きがちです。でも、それらは学校選びの付帯状況に過ぎません。教育の根幹はソクラテスの昔から「人と人との対話」にあります。そこにどんな人がいて、どんな自己実現の道があるか、それが全てであろうと思います。(組織が大きいほど、セールストークや相談の人と現場の人が違うことがありますので、見極めを)社会人としての自己実現、それがぱいでぃあの応援する形です。

※修正の加筆訂正が入ることがあります。

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不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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