「不登校生の成功体験」とフリースクール・ぱいでぃあでの関わり---

2014.09.18.00:11

▼不登校の話題をしたり、不登校の関係者と話していたりすると、時々「????」と思ってしまうような場面に出くわすことがある。その一つに「成功体験を語ることの是非」がある。
 不登校はその体験者やその親御さんでなければなかなかその辛さやシンドさは身に沁みては分からない。そう言われれば、支援者といえども黙らざるを得ないところがある。中には、その出来事を涙を流して語る親御さんもいらっしゃる。
 しかし、そのわが子を思う気持ちが脱・不登校を成し遂げた元不登校体験者を批判的に語るとき、その気持ちは承知しながらもちょっとバランスを欠いてはいまいかと思ってしまうこともないわけではない。

▼「不登校からの立ち直り」にせよ、「不登校克服体験記」にせよ、そこに大人が想定した既成の枠に子どもがすっぽりと嵌まるとしてやったりの思いになることも確かにあるだろう。とかく既成の価値の代弁者でもある大人は、子どもが想定外の訳の分からない行動をすればウロウロするばかりだが、その子どもが大人の論理に屈する時、「やっぱり言っていた通りだろ」とパターナリズム的な思いやりの心で子どもの最大の理解者ぶる「どや顔」をしたりする。
 だが、それは子どもが自分の力で人生行路を切り開くことには全然繋がらない。むしろ大人の「ほっと安心のしたり顔」とは逆で、屈辱に満ちた敗北宣言であるしかない。
 だから、不登校の当事者に寄り添い、その思いを共有してきた者にしてみれば、大人のそういう欺瞞的な態度には到底我慢ならないという心情も理解できないわけではない。しかし、「しかし」なのだ。

▼不登校理解や不登校支援が近視眼的であったり、親と子や大人と子どもとが共依存的な関係であり続けてはいけないと思う。たとえ不幸にして我が子が十分な立ち直りには至らなかったとしても、そのことで他の元不登校の子の「脱・不登校体験」や「不登校からの脱出の成功体験」を、喜んであげるのが筋であり批判すべきではないと思う。
 一部の親御さんの中にはある種の誤解があって、「不登校からの生還者」と聞くと不登校という現象を頭から否定された思いになる方もいるようだが、人間は「辛かったことも嬉しかったことも共に人生途上の貴重な体験や肥やしになる」と気持ちを転換すべきであって、不登校からの脱出成功者が不登校という自らの体験を否定することもないはずである。もし、その子が過去の不登校体験を否定し忘れようとしているならば、その子はまだ本当に不登校を抜けたとは言えない状態にあるということである。それはその子が自分の生きた人生をそっくり捨ててしまうことに等しくなる。そのことで自分の中に人には絶対に知られてたくない否定体を抱えたまま生きることになる。自分を肯定的に生きることがとても難しくなってしまう。これは結局不登校を克服できなかった人の辿る生き方なのである。

▼ところが、自分を肯定し、「かつての不登校体験も貴重ないい体験であった、それが今の自分の成長の肥やしになっている」と捉えられる人は、決して自分を否定しない。不登校であったことも自己卑下で語ることはない。むしろ不登校を生きたことを誇らしく語ってもいいのだ。
 実は、今回「不登校セミナー パート2」のシンポジストの一人に元「ぱいでぃあ」の生徒T君もいる。彼は不登校を脱しただけでなく、「ぱいでぃあ」に通う中で自分の進むべき進路を明確に見出し、同時に自分が不登校をしていた時、親御さんや周囲の人達がどういう思いで支援してくれたかもしっかりと受け止めたのである。だから、彼の中で不登校経験を否定すべきものはなにもない。
 これはその前にあったセミナーの時も同様。彼と同じように脱・不登校の体現者として自分を語ったO君は参加者から「あの子、本当に不登校だったの?全然そうは見えない」と言われたものだ。ところが、その子が「ぱいでぃあ」に来た当初は人の目が気になって外に出られなかった。地元を離れ転校さえしたがうまく行かなかった。そして彼の家の壁は突き抜けて隣の部屋と繋がり柱は至る所鉄骨がむき出しになっていた。そこからの生還であり脱出であった。その子がシンポジウムで堂々と何ら臆せず不登校だった自分を語ったから、みんな驚いたのである。

▼だが、「脱・不登校」「不登校からの生還」「不登校からの脱出成功体験記」とは本来そのようなものだろう。もはや彼の中では「不・登校」や「反・学校」のように考えて同じ土俵上で争うべきものではなく、その次元をゆうに乗り越えていたはずである。不登校云々でウロウロするのではなく、それを相対化する次元に自分を置くことができていたのだ。O君の時もT君の時も周りにシンポジストとして不登校体験を語る高校生や大学生がいた。でも、彼らの声が上ずっていたり、堂々巡りの喋りになったり、「やっぱり不登校の生徒だね」という印象を強める趣さえあったのとは対照的に、彼らは元不登校でありながらもうそこには留まってはいなかったのである。
 「ぱいでぃあ」では設立当初からそういう不登校支援を行ってきた。「不登校」と言う言葉にはかなり認知が広まった今でも否定的なイメージが強い。「自己卑下」「隠したいこと」という印象が強い。ところが、「ぱいでぃあ」では生徒たちに「不登校ということで卑下することは一切ない。むしろ自分の否定出来ない個性を大事にしてほしい」というようなことを絶えず言ってきた。だから、「ぱいでぃあ」で中学時代を過ごして県立の進学校に進んだある生徒は(その後同志社女子大へ)、高校に進学して間もなく「わたし、中学時代ずっと不登校だったのよ」と告白したという。で、その結果どうだったか。「嘘!本当?全然そうは見えないね」。これで終わりである。否定し隠すからいつまでも立ち直れないしあらぬ偏見で疑われる。(今彼女は社会人となって第一線で活躍している)。

▼「ぱいでぃあ」のサイトにもパンフレット(小冊子)にも「不登校も終わってみればいい体験」とある。脱不登校だから言える言葉。ところが、日本では「不登校」にことさら特殊な意味付けをする。それで「脱・不登校」も胡散臭そうに否定したがるのかもしれない。
 以前、「ぱいでぃあ」のアシスタントをしていた青年が大学生の時、イギリスでホームステイをした。ところが、そこの家庭には学校には行かない子ども、いわゆる不登校の子どもがいた。だが、家族も周りの人も「不登校だ!大変だ!」とは騒がない。だから、子どもは自分を否定されているという感情も持たなかった。勉強は自宅で自分でして、他のそういう仲間の友達と交流していた。そういう子ども達を引き受ける学校外の機関があり、そこで本当に自分に必要なものを学んでいたという。いわゆる富裕層の家庭にそういう子が多くいたそうである。学校でひたすら勉強して、学歴や学力で売るしかない家庭の子ども達とは違ったようである。外国には外国の不登校があるのは先進国共通らしい。でも、そこに日本のような特異性はない。
 これで欧米の教育の全てを論じるわけには行かないだろうが、「不登校」をことさら問題視するのは日本やアジア特有の病理であることは心得ていた方がいいかもしれない。

▼「ぱいでぃあ」は、不登校問題をそういうパースペクティブでも見て行きたいし、関わって行きたいと思う。活動を維持運営する最低の費用は必要だが、その理想や目的を捨てたくはない。そして、それを好しとする人たちに利用してもらいたい。私達の思いを何も理解しようとせず、ただ利用するだけ利用して、「ハイ、サヨウナラ、ありがとうございました」と去っていく人達もいるが、それはそれで仕方がないかもしれない。そういう人達にこそ不「登校の持つ意味」をじっくり考えていただきたいものだが、残念なことにそこまでの余力がない。いろいろな所で共感の輪が広がってくれたら幸いだ。
 「ぱいでぃあ」では今、もっと自由な、本来のフリーな学びや育ちのあり方を進めたいと思っている。「せっかく不登校になって、何かの縁で<ぱいでぃあ>に繋がった仲間である。互いに学び学び合いたい。
 幸い、そういう真剣な思いを理解してくださる方々が老若男女、パーセンテージは決して高いとは言えないが、確実に存在することはとても嬉しいことである。

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高卒資格取得でだけで大丈夫なの?---夏期講座のおすすめ

2014.07.23.06:00

高卒資格取得でだけで大丈夫なの?---夏期講座のおすすめ

不登校からの立ち直りや進学問題にはどこよりも早く取り組み(まだ県教委も取り組まずNPOもなかった)、ビジネスなどに走らず、ひたすらその支援に明け暮れてきたという自負がある。全国的にもその先陣を切っていた。不登校のセーフティネットとしてのサポート校の推進をしたのも自分たちである。

▼だから、不登校問題に関しては、「ニコラ」や「ぱいでぃあ」というブランドがあってもおかしくないと思っている。例えば、今大学の教育心理学等の項目に登場するであろう「不登校問題」等々、それらは私達の運動や出版した物などがもとになっているものもある。その孫引きやひ孫玄孫(やしゃご)引きなども多かろう。現場から不登校専門の雑誌『ニコラ』は他に類例を見なかったし、それが月刊で7年以上も続いた例は他にない。当時、研究への引用の依頼などがよく来たものである。

そういう経験と眼差しで現在の不登校支援の動向を見ると、様々な「不思議」に遭遇する。その一つが「高校卒業資格取得」というサポート校の謳い文句である。
 確かに現在、高卒資格取得は社会で活動するための最低限の条件となっている。文科省は義務教育にはしていないが教育上のセーフティーネットとなっている。

▼だから、それ自体はとても必要なことであり、その謳い文句に不登校となった本人や保護者の方が飛びつくのも痛いほどよく分かる。しかし、「果たしてそれでいいんだろうか?」という疑問はいつもついてまわる
 というのは、私達の場合は身も心も勉強もしっかりと立て直して社会人として行動できるようになるためのスキルを積ませ、それを支援し、社会に出るまでを見届けるようにしているが、高卒資格取得を謳っている所でそれが保証されているかとても疑問なのである。

▼というのは、本来、高卒資格取得は社会人になるための最低限の条件であったはずなのに、サポート校等の多くではそれが目的化されてしまっている。で、やることと言えば、不登校支援というよりは不登校との馴れ合いビジネスに堕しているようにも見える。「それで社会でやっていけるの?」ということが余りにも多すぎるのである。それでは最後に不登校本人や親御さんが泣かなければならなくなる。(実際のところ、教育委員会レベルでも「不登校の子どものその後」についてはまとまった調査はされていない)

▼埼玉県のある場所に綺麗な装飾のあるお店がある。広告には、今流行の「ネイルマツゲサロン」の様々な謳い文句が並んでいる。若い人達が喜びそうなお店。でも、店の周りは草が伸び放題で長らく放置されているようだ。つまり廃屋なのだ。きっと商売にはならなかったのだろう。
 不登校の子ども達を対象にしたサポート校にもネイルアートだのタレント養成だのアニメの声楽指導だの、そういう関わりを行い、本当の立ち直り支援はお留守になっている所が多い。それが居場所的な「フリースペース」ならまだ話は分かる。しかし、教育機関であるなら、それだけでなく社会的参加を目標とした教育支援でなければおかしくはないか?
 あの廃屋は不登校からの立ち上がりに失敗する子ども達の将来を象徴しているようにも見える。

▼長年不登校支援を行いながら、その動向を見据えてきた者として、これからも最良の関わりと支援を行いたいと思う。その時だけ良ければいいミーハー的な関わりとは一線を画したい。将来を見据えられる年輪が必要なのだ。その実践の一つが今回の「夏期講座」による「教科指導と立ち直りのスキル」である。教育として関わるからには、半端な気持ちはない。本人が社会人となるまでしっかりと見守りたい。
 「是非とも不登校から立ち上がりたい」そういう思いがあるなら、自ら行動に移すといい。入り口も出口も扉を叩く者だけに開かれる

※「夏期講座」をお勧めする理由は、もう一つ、いつも見られるように夏休み明けの9月からでは、中学3年生の場合にはちょっと動きが遅すぎるのです。できるなら8月の夏休み中に中学1年2年の基礎をおさらいしておくことがとても重要だとおもいます。春の入試を見ていてつくづくそう思います。
 「どうせ自分は不登校だから…」と、まだ子どものうちから半ば人生を投げ出しているとすれば、「たかが不登校で」とてももったいないことです。それを肥やしにして大きく大輪の花を開かせたり空高く羽ばたいたりできるはずなのに。自分の夢や希望の実現のために、その思いを「行動」に移して見てはいかがでしょう?「まだ間に合う」自分がいます。

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不登校から引きこもりに移行しないために---思いを形に、自分づくりを応援します---

2014.05.05.18:22

yakusoku20140505
-- 約束:あなたの希望を実現するために --

不登校から引きこもりに移行しないために---思いを形に、自分づくりを応援します---

▼4月末~5月上旬の連休も終わり、季節的にもいよいよ本格的な夏のモードに突入です。「夏も近づく八十八夜」とは昔から言われ、茶摘みの季節ですね。そして、八十八は「米」という字になり、関東では田植えも始まります。
 学校に通っている子ども達も新年度の学校生活や新しいクラスの雰囲気にも慣れてきて、これから本格的な勉強や部活の態勢にエンジンが掛かかろうというもの。
 ところが、逆に不登校になって、学校はもとよりフリースクールにも行くこともままならなかった子ども達もいます。そういう子にとってはますますフラストレーションが高じる時かも知れません。世間を騒がす事件もそういう痛ましい心の結果であることもあるようです。放置してはいけないことです。

▼以前、「不登校は焦らず見守るのがいい」と言われた時期もありました。また、その反動か「あまり家庭で居心地よくのんびりさせると学校に来れなくなる」とも言われて来ました(家庭が居心地の良い場所であっては行けないようなこの発言には問題ありですね)。でも、対応の仕方は180度違っても、どちらも見ている視点は同じ。両方とも本人の気持ちをあまり考慮せず大人の都合で勝手な解釈をしていることに変わりはありません。「子どものため」と言いながら、大人がよくはまる落とし穴です。
 「不登校対策」と言ってみたところで、不登校になった子ども達は学校には行かないわけですから、書物から作成した机上のマニュアルに頼るしかなくなるわけです。では具体的にどうするのが一番いいのでしょうか。

▼不登校と言っても様々ですが、便宜上3つに分けてみます。①「身体的要因」の場合と②「知的要因」の場合と③「情緒的要因」の場合の3つ。実際にはそれぞれの要素が複雑に絡み合っています。でも、特別支援学級でもそれらが分けて扱われることは珍しいようです。ですから担当者もそこまで理解がなかったり、対応が間違っていたりすることもあるようです。
 自主的か不本意かを問わず、その子は不登校を選択し、自身の(心的or身体的)危機を回避したわけです。しばらくは心の安定を保つことが何よりも必要なはず。でも、そういう環境に恵まれる子どもは少ないようです。その結果、理解されず徒に不登校が長期化することもままあります。

▼「不登校」には文部科学省の定義があります。『何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくてもできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの』とあります。
 でも、そこには相談室や保健室登校、特別支援学級、適応指導教室、民間のフリースクール等への通学には言及されていません。実質的には不登校でありながら、特定の機関に通っているとか、断続的に登校するような場合等には不登校扱いから除外されているわけです。
 不登校状態になるとよく学校から積極的な登校刺激ではないものの断続的せよ学校の相談機関を訪れるよう誘いがあったりするのはそのためです。そうすることで学校は子どもに「いつも君のことを思っているよ」という信号を送っていることになりますし、不登校に換算しなくても済むことにもなるわけです。そう考えると、実際の不登校状態の子どもは公表された数値の何倍もあるのかも知れません。

▼また、そこには不登校の期間も明記されていません。実は「不登校」という定義は対学校的な概念で、学齢期の子どもが対象です。学齢期を過ぎた子どもや青年の場合には、それが不登校からの移行であろうと数としては換算されません。そして、扱う省庁ももう文部科学省ではなく厚生労働省となります。
 その厚労省の定義では「引きこもり」とは、『自宅に引きこもって学校や会社に行かず、家族以外との親密な対人関係がない状態が6ヶ月以上続いており統合失調症やうつ病などの精神障害が第一の原因とは考えにくいもの』とされています。
 要するに、それが病気に起因するものでなければ、たとえきっかけが「不登校」であろうと6ヶ月以上自宅にいる状態になれば「引きこもり」とみなすということです。

▼つまり、不登校の場合も引きこもり状態への移行」と判定される6ヶ月を基準に考えた方がいいということになります。そうすれば、これは不登校の子どもを家庭で引き受ける場合の目安ともなります。不登校も最初は危険から自身を回避する自主的な行動であったはずですが、6ヶ月を超えるようになると今度はそれが本人の習性ともなってしまう可能性が高まります。すると、だんだんと外に出るのが怖くなり、長引けば長引くほど社会参加や社会での活動も難しくなって行きます。
 それでも、年齢が若いうちはまだ立ち直りも早いのですが、年齢が高くなるに連れて状態が重くなります。盆栽でも庭木の手入れでも、若木のうちは矯正や植替えは容易ですが、年月を経て幹も固くなってくると無理に矯正しようとすれば折れたり枯れたりしてしまうことになります。それとよく似ています。

▼不登校の場合も、小学生や中学生のまだ苗木の状態の時は支援もまた効果的なのです。でも、高校生や大学生まで先送りしたり引き伸ばしたりしてしまうと、もう簡単には自分壊しや新たな自分づくりが出来なくなってしまいます。そうすれば自立した生き方そのものも難しくなってしまいます。
 そのための警告の意味もあるのでしょうか。よく心療内科等のお医者さんからそのような忠告を受け、早期の薬物治療等を勧められることがあるようです。忠告そのものはよく聞くべきでしょう。でも、それに忠実に従った結果、その典型的な患者になってしまったということもないわけではありません。まさに理論通りにです。現場に接していない場合にはそういうことも起きてきます(現場に接していればいいというわけではありません)。

▼でも、たとえそういう性向があったとしても誰でもがそうなるわけではありません。人間は可変体です。特に若いうちは環境次第で様々に変わることが出来ます。ですから、そういうものが発症し易い環境かどうか、見極めが必要になります。「医者選びも命のうち」とはよく言われますが、場合によっては環境を変えることも必要になります。
 たとえば、風邪は薬では治りませんね。大事なことはそれに負けない抵抗力を付けること。もし風邪にかかったとしても抵抗力があればすぐに回復に向かいます。でも、そういう力がなければ風邪で命を落とすこともあるのです。ですから、何でも薬に頼ろうとするのではなく、少なくとも風邪菌レベルには負けない身体を作っておくことは必要なことです。

▼そういう意味でも、「フリースクール・ぱいでぃあ」では小学校や中学校時代に的を縛った早期の関わりと立ち直りを図っています。そこで心も身体も頭脳もスキルを積むことによって、中学・高校等の進学でしっかりと自分を発揮できるように導いて行きます。行き場がなくて困ったということにはなりません。サポート校等を最後のセーフティネットとして活用することも出来ます。先ずは諦めず投げ出さず、自分を信じ肯定し、公立や私立の学校に挑戦してほしいと思います。なぜならもうその時は「脱・不登校」を成し遂げているはずですから。
 ぱいでぃあはそのための応援を惜しみません。時代にあった形で、不登校を選択した子ども達の自己実現を支援しています。皆様にお勧めする理由です。
 

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脱・不登校は自分の意志や希望で決まる---公立高校受験進学のために

2014.04.22.02:36

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紙クラフト:鯉

脱・不登校は自分の意志や希望で決まる---公立高校受験進学のために

▼新年度が始まってから2週間ほどが経過した。この時期は、「新年度になれば学校に行けるかもしれないと思っていたが、やはり無理だった」というご家庭からの相談が多い。それが来春に受験を控える中学3年の場合には、もうぐずぐずしていられないという切羽詰まった事情と重なる。
 ところが、それでいながら、たとえば次のような趣旨の問い合わせの場合がしばしばある。「オタクには、○○年の生徒は何名いますか?」「○○は何名ですか?」「どんな子ども達ですか?」---。
 これが他学年の場合であったらまだある程度納得が行く。その願望が現実的ではないとしても、孤立している子どもほど大勢の友達と仲良くなることを夢見るものだから(実際には最初から大勢の仲間と和するのは無理であり、先ずは一人でも親密な友達ができることで救われた思いになる)。 (不登校の子ども達には、少人数指導による個別的対応がとても大事だと考える。集団との交流の大切さは論をまたない)。

▼しかし、受験学年の場合にはそうは行かない。来春までの勝負なのだ。もう悠長なことは言っていられない。これが大学入試であれば、目標とする大学に入るまで浪人をすることも可能だろう。だが、高校入試では過年度生は原則、全日制の公立高校には受験できない。門戸は開かれていない。その春の受験に失敗したなら、全日制の公立高校は諦めて定時制や通信制高校、あるいは落ち穂拾いのような私立か民間の通信制サポート校等に通うしか方法がなくなる。だから、公立高校を受験したいという希望があるのであれば、先ほどのような質問をして、それによって対応を考える---というような余裕はないはずである。

▼そもそも自分自身の行動のあり方が問われている時に「○○がどうだから」「○○でないから」と他の人や他の問題のせいにしている限り、その子はまず救われない(その大部分は親御さんが尋ねられる)。たとえ、その時は希望通りのところに進学できたとしても、思い通りになるのは最初だけ。直ぐにまたぞろ言い訳や愚痴が出てくる。で、結局行けなくなってしまう。
 「自分はどうしたいのか」「どうなりたいのか」と明確な意志を持っている場合には、そんな愚かな問いは最初からしてこない。「自己実現するために相応しい学びの場はどこか」「そういう支援の人的環境はどこにあるか」と聞いてくる。そういう場合には、その疑問に幾らでも答えたいと思う。そして納得した形で「ぱいでぃあ」に来て励んでもらいたいと思う。そういう支援なら幾らでもしたい。

▼そこで具体的にどんなことをどんな方針でやっているのかをかい摘んで説明したい。参考にしてほしい。
 具体的なことはパンフレットや面談でお願いしたい。できれば下記のサイトをご覧下さい。
 以下は、「月間予定表」からの引用です。

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※「体験学習」は個々人で違います。心の状態や学習の進度や当面の課題など、その子に相応しい導入を行います。いきなり学習に入ることはまずありません。
 特に新入生の場合は、自己否定やマイナス感情が強いですから、そういう縛りからの解放のための感覚の錬成を重視します。先ずは自分の意志で自由に思い行動できるようになることを最も大事な課題と考えています。

※「ぱいでぃあ」に通ってくれば、日毎にお子さんが変化していくのを実感できるはず。

※学校で自分の「心と命」の危機を感じたお子さんが我が身を守るために逃げるのは当然の行為。むしろ我が身を自分で守る術を知っていたお子さんを褒めるべき。しかし、負け犬になって、外部を怖がり引き籠もってしまうと、これはお子さんに任せてはおけません。親御さんの出番です。

※その場合、庇護と支援の加減が難しいですね。でもそれは手法に囚われるから。そして、お子さんが敏感に見抜き、嫌うのもこの手法というもの。専門家という人ががよくやる方法ですね。

※立ち直るためには幾つかの基本を実行することが大事です。
  1.規則正しい生活を送ること。
  2.仲間と勉強したり群れたりすること。
  3.自分が生かされる環境にいること。

 この3点セットを実行するだけでも、劇的な変化があります。でも、家庭では不可能ですね。

※NPO法人傘下の「ぱいでぃあ」では、今年度は社会情勢を鑑み、入学金が免除。施設費も1口です。

 教育NPOの活動に徹しています。小中学の不登校であれば、ぜひ考えてみて下さい。
※なお、「不登校ファンド」を設立し、不登校の子どもいるご家庭を経済的に支援します。
  (支援のあり方は、寄付金等の結果や人数、額によって変化します。)

※私達は、不登校を生んだ日本の学校システムに批判的ですが、否定や拒否はしません。不登校のお子さんも一度の道草で自分を投げ出さず、再起を図ってほしいものです。その支援もします。
 ・フリースクールは単なる居場所ではありません。
 ・勉強もします。スポーツや様々なスキルを大事にして自分づくりを応援します。

※受験は、中学受験の場合はほとんど私立ですが、高校受験の場合には教育費のことを考えられる場合には、まず公立高校受験を目標に、それでダメであれば私立高校をと考えています。
 私達はサポート校下のフリースクールではありません。セーフティネットとして通信制サポート校は考えていますが、費用その他の面からも、最初からサポート校をお勧めすることはありません。
  また、高校卒業資格取得だけでなく、後の社会参加も可能かどうかも見極めて下さい。
 不幸にして高校受験までに立ち直りが叶わず引き続き支援等が必要な場合には、そういう施設を第一に紹介しています。
 逆に言いますと、公立学校や私立学校では、十分な不登校の対応が期待出来ないからです。

※そういう意味で、ぜひお子さんの状態を見極め、最適の選択をしてあげたいものです。

※「ぱいでぃあ」の社会体験学習は立ち直りに向けての毎月の行事の一環です。少数であるからこそ、個々の特性を活かす活動が出来ると思っています。出来るだけの参加をお願いします。
※予定表は予告なく変更されることがあります。詳細はお尋ねください。

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「高卒資格取得」だけでいいのだろうか?---不登校救済の現状から思うこと

2014.04.07.14:33

「高卒資格取得」だけでいいのだろうか?---不登校救済の現状から思うこと

▼「不登校」というあり方が学校からも社会一般、いわゆる世間からも認められない中、不登校になった子ども達の認知と受け皿を何としても広げたいという願いで、私たちは『ニコラ』発刊の当初から雑誌での情報の発信や当時の支援団体とスクラムを組んで活動してきた。その結果もあってか、曲がりなりにも不登校の進路が用意されるようになった現状には内心ほっとするものがないわけではない。当時の---一旦不登校になってしまえば人生真っ暗、どこでも引き受けてがなかった---状況からすると、「大丈夫だよ」という声に満ちている現在には隔世の感がする。

▼しかしまた、当時の辛く苦しかった不登校への対応が徐々に緩和してくるに従って、不登校支援の形態も変わってきた。当初は不登校の本人やその家族、その支援者などはそれこそ不登校になった子ども達の道をつくることに一生懸命だった。「このままこの子ども達を放置しておくことはできない。行政がやらないんだったら自分たちで。15の子も5年もすれば20歳である」という思い。明日をも知れず支援に回った人達も多い。まずは思いが先にあったのは否めない。

▼しかし、そういう「バカ」の後に参入してきた人達の中には、そういう思いはないではなかろうが、「まずはビジネスとして成功させること」が第一目標であったようだ。ターゲットはもちろん不登校の子ども達。この流れは、日本という国が無防備の資本主義国であり、民間の活動は企業として成り立たなければ維持できない以上、避けられない事態だった。
 OECDの加盟国や欧米先進諸国の事例を見れば明らかだが、現在の日本は教育立国であるどころか教育貧国である。他国では義務教育どころか大学卒業まで国が保証し教育費は無償に近いところが多い。ところが、日本の場合には「経済格差=教育格差」になってから久しい。

▼早い話が、義務教育年齢でありながら、不登校となって学校を離れると教育公費の恩恵は一切受けられなくなる。でも、不登校の子どもを抱える親御さん達は「おかしいじゃない!?」と文科省や地方行政を突き上げるようなことをしたとはついぞ聞いたことがない。「マスコミが報じない」のじゃない、やったことがないのだろう。
 だから子どもの学習権だの親の教育権だのと言ってみたところで、それは紙に書かれているだけで現実には全く機能していない。「教育バウチャーを!」という声さえあがらない。

▼フリースクールも通信制サポート校も民間の団体である以上、不登校の保護者の協力を仰がざるを得ない。私学のように私学助成金があるわけでもないのだから。
 であればあるほど、フリースクールや通信制サポート校等の活動が、様々な状況で今も苦しんでいる不登校の子ども達やその保護者に「学校を離れても代替があるから大丈夫」という助けになるものでなければならないはず。
 ところが、実際は支払い能力のある一部の家庭にしか開かれていないし、応えることができない。大部分の家庭ではそういう民間の機関があるとは知っていても、まず利用することができない(「助けてほしい」という申し出を受けて、ほとんど無償で引い受けるなど、おそらく「ぱいでぃあ」以外ではやっていないだろう)。それが民間機関での救済を難しくしている。

▼そういうこともあってか、民間の教育機関(今はNPO法人では利益をあげられないからと株式会社に衣替えのところが多くなった)では、宣伝費を投入した宣伝が喧しい。ネット開くとそういう宣伝のオンパレードだ。でも、それで喜んで利用者があるのなら、それはそれでよいだろう。問題は、その謳い文句にある。
 「気を付けよう 甘い言葉に 暗い道」とは交通標語だが、同じことが教育界でも言えるのかもしれない。それが「高卒資格取得」という謳い文句ではないかと思っている。「高卒資格取得」という謳い文句は、本当に子どもの立ち直りに、社会参加に繋がっているのだろうか。「高卒資格取得」を得られることは、通信制の○○高校卒ということで間違いはなかろうと思う。問題はその先。資格を取得した後、その子ども達はどうなっているだろうか?ということ。不登校の子どもの目線になって、そこをじっくり見据えてみたいと思う。

(続く)



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不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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