自分を活かす場をアメリカに求めて飛び立った中学生
2011.06.08.23:32
▼今日、一人の日本の中学生がアメリカに向けて飛び立ちました。まだ中学3年生の女の子です。日本人離れした上背と容貌を持ち、おそらくその体躯と同じく心理的な面においても日本の教育の枠組みにいつも窮屈さを感じていたであろう彼女は、このまま日本で過ごすことの不安とより広い世界への羽ばたきの思いを持って、一路アメリカへと飛び立って行きました。
▼3月の親の会にはお母さんが参加されていましたが、ちょうど会合の真っ最中の2時46分に激しい揺れが私たちを襲いました。東日本大地震でした。窓の外の電柱や送電線が激しく揺れ、これは未曾有の大地震だと直感しました。しかし、私たちの入っているビルは頑丈です。このくらいではビクともしません。壁にはそれなりの地震揺れ対策も施してあり、棚から本一冊落ちては来ません。ただ、壁の脇にあった水槽の水だけが激しく揺れ、こぼれました。
▼親御さん方には「横揺れだから大丈夫。そのまま座っていて下さい」とお願いし、椅子に腰掛けたままでいました。幸い、変に狼狽える人もなく、事態に備えた的確な動作ができるよう様子を見ていたのですが、お一人だけとても辛そうに顔を引き攣らせ湧き上がる恐怖の思いを必死にこらえておられる方がいました。彼女のお母さんでした。少し揺れが落ち着いたところでお話を伺うと、上のお子さんがまだ小さかった頃、震度7の地震に会い、地面には大きな地割れも出来、家の全てのものが倒れてくる怖い経験をしたことがあったとのことで、明らかに地震に対するトラウマの心的状態にあるようでした。
▼彼女の場合、直接その地震は体験していませんので地震に対する不安はなかったのですが、それによって引き起こされた福島第一原子力発電所の爆発事故とその結果撒き散らされた放射能については、はっきりと「怖い!」と口にしていました。彼女はちょうど春休みに既にアメリカに留学して勉強しているお兄さんに会いに行く計画を立てていたこともあり、原発による放射能汚染による恐怖も手伝って、単身アメリカに行きました。そこで始めて、彼女はアメリカ等の海外で日本の原発事故がどう見られているかを知ったようでした。
▼向こうで彼女のような日本人を受け入れホームステイの仕事をしている人とも話をし、アメリカは素早く正確な情報を入手し福島原発から80キロ圏内の人達に退去命令を出したように、アメリカでは当初からFukushimaの事故をかなり深刻に受け止めていたようです。その方から「日本は危ない、こっちに来なさい」と強く勧められたようです。自分の原発事故への不安な思い、日本の学校への見限り、新天地での勇躍、そして実の兄もこちらにいる…。彼女がアメリカで勉強する道を選ぶのにそんなに時間はかからなかったのかもしれません。今までも「ぱいでぃあ」の生徒の中にイギリスやニュージランド等に行った子はいましたが、このような形での転進は始めてです。
▼正直なところ、彼女には日本よりもアメリカの教育風土の方があっているように見えました。特別に語学堪能ではありませんが、おそらく慣れがそれを解決することでしょう。「大丈夫、君ならしっかりやれる。期待してる」とエールを送りました。幸いビザもすんなりと取れ、後は体が行くだけ。向こうから誘いのメールもあったようです。残念ながらお母さんは日本に残ります。寂しくなりそうですね。でも、我が子に期待しない親はいない。変なことが彼女のホームステイの切っ掛けとなりましたが、彼女の向こうでの水を得た魚のような活躍に期待したいものです。
※ただ、他の子どもたちは日本に生活し頑張ることにかわりはありません。この子たちの現在と未来のためにも日本に明るい展望を開いて欲しいものです。心から願います。
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▼3月の親の会にはお母さんが参加されていましたが、ちょうど会合の真っ最中の2時46分に激しい揺れが私たちを襲いました。東日本大地震でした。窓の外の電柱や送電線が激しく揺れ、これは未曾有の大地震だと直感しました。しかし、私たちの入っているビルは頑丈です。このくらいではビクともしません。壁にはそれなりの地震揺れ対策も施してあり、棚から本一冊落ちては来ません。ただ、壁の脇にあった水槽の水だけが激しく揺れ、こぼれました。
▼親御さん方には「横揺れだから大丈夫。そのまま座っていて下さい」とお願いし、椅子に腰掛けたままでいました。幸い、変に狼狽える人もなく、事態に備えた的確な動作ができるよう様子を見ていたのですが、お一人だけとても辛そうに顔を引き攣らせ湧き上がる恐怖の思いを必死にこらえておられる方がいました。彼女のお母さんでした。少し揺れが落ち着いたところでお話を伺うと、上のお子さんがまだ小さかった頃、震度7の地震に会い、地面には大きな地割れも出来、家の全てのものが倒れてくる怖い経験をしたことがあったとのことで、明らかに地震に対するトラウマの心的状態にあるようでした。
▼彼女の場合、直接その地震は体験していませんので地震に対する不安はなかったのですが、それによって引き起こされた福島第一原子力発電所の爆発事故とその結果撒き散らされた放射能については、はっきりと「怖い!」と口にしていました。彼女はちょうど春休みに既にアメリカに留学して勉強しているお兄さんに会いに行く計画を立てていたこともあり、原発による放射能汚染による恐怖も手伝って、単身アメリカに行きました。そこで始めて、彼女はアメリカ等の海外で日本の原発事故がどう見られているかを知ったようでした。
▼向こうで彼女のような日本人を受け入れホームステイの仕事をしている人とも話をし、アメリカは素早く正確な情報を入手し福島原発から80キロ圏内の人達に退去命令を出したように、アメリカでは当初からFukushimaの事故をかなり深刻に受け止めていたようです。その方から「日本は危ない、こっちに来なさい」と強く勧められたようです。自分の原発事故への不安な思い、日本の学校への見限り、新天地での勇躍、そして実の兄もこちらにいる…。彼女がアメリカで勉強する道を選ぶのにそんなに時間はかからなかったのかもしれません。今までも「ぱいでぃあ」の生徒の中にイギリスやニュージランド等に行った子はいましたが、このような形での転進は始めてです。
▼正直なところ、彼女には日本よりもアメリカの教育風土の方があっているように見えました。特別に語学堪能ではありませんが、おそらく慣れがそれを解決することでしょう。「大丈夫、君ならしっかりやれる。期待してる」とエールを送りました。幸いビザもすんなりと取れ、後は体が行くだけ。向こうから誘いのメールもあったようです。残念ながらお母さんは日本に残ります。寂しくなりそうですね。でも、我が子に期待しない親はいない。変なことが彼女のホームステイの切っ掛けとなりましたが、彼女の向こうでの水を得た魚のような活躍に期待したいものです。
※ただ、他の子どもたちは日本に生活し頑張ることにかわりはありません。この子たちの現在と未来のためにも日本に明るい展望を開いて欲しいものです。心から願います。
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