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「フリースクール・ぱいでぃあ」の願いと実践と---個性と社会感覚の養成

2014.11.05.10:54

「フリースクール・ぱいでぃあ」の願いと実践と---個性と社会感覚の養成

▼ぱいでぃあでの活動には絶えず複数のスタッフ(教師)の眼差しが注がれています。「学ぶ」という行為自体は極めて個人的な時には孤独な作業ですが、「学び」そのものは独り善がりの行動ではなく極めて公的な意味を持つものです。私的な営みでありかつ公的な営みであること、これが「学び」というものの本質であると考えています。

▼ところが、日本の学校教育は何をはき違えたのでしょう、進学校等の先生が生徒に向かって、よく「いいか、今日から周りをみんな敵だと思え!」などという檄を飛ばすこともあるようです。恥ずかしい限りです。そんな指導をする進学校では将来を担うろくな人材が形成されるはずもなかろうにとも思います。
 そこには「良質の部品を大量に」というような、いわゆる「学校という名の教育工場」によって詰込み型の人間の育成が喜ばれた古き悪しき教育の残滓があるのかもしれません。

▼しかし、そのような教育は、日本が「欧米に追いつき追い越せ」の合い言葉で国民を駆り立てていた時代の国家目的の教育の名残りなのでしょう。今や、かつての模倣や改良を旨とする教育から、個人の創意工夫や創造性を尊び、自己確立を目標とする教育に大きく舵を切ったはずなのです。また、そうでなければ今後日本丸の進路は厳しいものとなるでしょう。

▼ところが、日本人の多くはいまだに過去の教育の遺物から自由になれていないようです。OECDの加盟国の中で日本は最低の教育公費の割合であることは置くとしても、学校の教員(特に管理職)もしかりですし、多くのご家庭でもまた大体同様であるように見えます。
 日本の学校教育が世界の中で今どんなに悲惨な状態にあるか、一般の多くの人々にはなかなか届かないようです。福島原発事故子ども達の将来が危ぶまれる状態にあってもです。海外の報道機関が日本の実態を知らずに勝手に騒いでいるとでも思っているのでしょうか?

▼幸い、国の側からの一方的な報道に頼るしかなかった昔の時代と違って、今やインターネットをはじめ情報が双方向に行き交う時代です。時の政府が自分たちの都合でいくら報道管制を敷こうと、様々なところから漏れ出すのは必然で、一時しのぎの隠ぺいにしかなりません。
 市場経済を持ち出すまでもなく、鎖国的な一国主義はもはや成り立たない時代です。そして、今まで一向に変わりそうもなかった日本の教育にも変化の兆しが見え始めています。

▼今日のニュースに、「しつけを強いられた子どもが祖母と母親を刺殺」という悲惨なニュースがありました。本来」、しつけとはその子がよりよく生きられるようになるための感覚や知恵を授ける行為であるはず。ところが、しつけと称して現実離れした枠にあて嵌めその子の人間性を否定してしまう。逆じゃないでしょうか。決して肯定はできませんが、その悲惨な事件はその結果のようにも見えます。生徒や親御さんたちなど、減刑の嘆願署名が1万人を超えたそうです。そういう草の根民主主義の成長に期待したいところです。

▼ぱいでぃあでは、何よりもその子の気持ちを尊重したいと思います。そして、その延長線で教科学習も積極的に取り入れています。やがて社会人となって自分の夢実現、目標達成に向けて屈託なく伸び伸びと挑戦できることが目標です。その中には、単なる教科学習だけでなく社会人としての感覚を磨くこと、社会人としての知恵を習得することなどもあります。
 不登校を選択した子ども達はとても個性的です。その個性を伸ばせる場で存分に伸ばしてほしいと思います。そして、自分を活かすための知恵も身に付けましょう。そうなって飛び立っていく姿を見るのはとても嬉しいことです。

※今日はこれから「ぱいでぃあ社会体験活動」で「美術館見学と自然探索」に出かけます。

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ぱいでぃあを巣立った生徒が育てた野菜 --ぱいでぃあでの自己発見---

2014.07.19.11:19

スタッフの記事から紹介 ---ぱいでぃあを巣立った生徒の育てた野菜---

▼昨日(7/17)は、フリースクールぱいでぃあの卒業生が日焼けした顔に精悍になった体で、育てたきゅうりやなすを持って会いに来てくれた。
 農業大学校へ進学し路地野菜作りを学んでいて、そのうち野菜を持って行きますよ、と言っていたのを、実現した記念すべき日で感慨ひとしお。

▼さまざまな体調不良で、常に痛い所があった彼だが、中1で公立中の不登校から、ぱいでぃあに入学し徐々に元気になっていき、遂には片道10キロを自転車で通うようになり驚かせたのだった。
 親御さんの愛情を受け、素直でまっすぐな彼は、どちらかと言えば控えめなタイプだが、芯はしっかり安定している。

▼近くの店で夕食を共にしながら、話に花が咲いた。

▼将来、彼の農園にぱいでぃあの生徒を社会体験学習に連れて行く・・・そんな夢も実現可能な射程に入ってきたが、はてさてそれまで運営がもつかどうか。

▼フリースクールという何らの公的資金の投入されない所での教育活動の中で、こうした人間の成長に関れる喜びをかみしめつつ、明日をも知れない厳しさは、神に委ねるしかない。

米丸 由美子
--------------

▼正直なスタッフの告白。不登校の保護者のための教育雑誌『月刊ニコラ』を発行してから21年、フリースクールをはじめてから16年。私服を肥やすどころではない。そんな経営的才覚があったわけじゃない。絶えず経営の危機にさらされながら風雨に耐えてきた。その過程で有りっ丈のものの持ち出しもした。別に我が子が不登校になったわけではい。「それおかしいじゃん!」という思いと親御さんたちのたっての希望による。まったく酔狂な人間もいたものだ。

▼だから、義務教育段階の子どもが、本来自分たちが主人公であるべき学校にいけなくなり不登校になったのに、教育棄民の状態に放置しておくのはおかしい、国の教育政策の怠慢ではないか、教育行政の失敗ではないかと、子どもの学習権、親の教育権の保証する意味からも広く訴え、同時に、早くから現実的な対策として不登校生のための「教育バウチャーの履行を求めてきた。(文科省が意図する学校間競争への利用ではない)

▼しかし、実際には、子どもの学習権の保証のために動こうとする人は少なく(今まで何度か、子どもの学習保証のために県や市の教育委員会に要望する等の行動をしてくださった親御さんたちのがいましたが)、子どもたちの正当な希望の理解者や応援者であることはあまり考えず、むしろ、不登校となったお子さんを責めるようになったり、自分の子育ての問題とお子さん以上に苦しんだりと、「学校神話」と言われる論理で自縄自縛になる方が多いようです。(逆に、お子さんを独自の人格や個性をもつ存在と認められる場合には、適度な距離と関わりでお子さんの思いをしっかり受け止められるようです)

▼そういう中でやってきたのが私たち「ぱいでぃあ」のような民間のフリースクール。そこには私達の活動を理解してくれるスタッフの人や親御さんたちがいました。いろいろなタイプのフリースクールがある中で、何かの縁でぱいでぃあにやってきて共に過ごした日々。その中で農業に目覚め、高校は私立学校へ進み、大学はあえて実践を重視する農業大学校に決めたT君。ぱいでぃあに来た当初は様々な身体的苦痛に悩んだ彼は、今逆三角形のブルースリーのような筋肉質の身体になってやってきました。

▼埼玉県も農業の育成に積極的です。今後の彼がさらに楽しみです。

▼今年の夏期講座(「夏期講習」ではありません)では

2014年(平成26年)度「不登校生対象の夏期講座」
(+) 「脱・不登校のためのスキル」:案内&申込み書
--- 心も身体も勉強も -- この夏で変わりたい子のために! ---


 となっているのも、今回のT君のような若者に変わってほしいからのものです。
まずは、「この夏で変わる」「元気になる」ことが目標です。
よければどうぞ。ご自分に合ったリズムで。

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ぱいでぃあ」社会体験学習「歴史と民俗の郷土博物館」見学のお知らせ

2014.07.08.23:05

ぱいでぃあ」社会体験学習「歴史と民俗の郷土博物館」見学のお知らせ
↑ クリック

▼明日はフリースクール「ぱいでぃあ」の社会体験学習の日。今回は「保護者や教員のための不登校セミナー」のため延期となっていたが、ここで再開である。一度は不登校となって悩んだが、それを貴重な学びや経験として、社会感覚の養成や社会的行動の獲得などを積み重ね、最終的には社会人としての再起を目的とした、「ぱいでぃあ」での毎月の恒例の行事である。

▼「学校の学び」が総合的な子どもの育ちの視点を失って久しい。特に小学校に上がるようになると「遊び」と「学び」が分離して、学校の学びがずいぶん貧しいものになってしまった。だから、「ぱいでぃあ」で毎月行う社会体験学習の行動は、伊達や酔狂ではなく、子どもにおもねた行動というわけでもなく、「子どもの学びとは何か」という、人が人間として生きていく上での根源的な問いに基づいている。。

▼今や戦後間もなくのころとは、学校を取り巻く状況が大きく変わった。学校での学びを信頼し、学校の勉強だけをしていれば将来が開けた時代とは大きく変わった(ここにも誤解がある。戦前の教育は国家主義的教育で子ども達を戦場に送り出すことを是とした)。しかし、学校は依然、古い体質のまま残った(日本の学校の体質は戦前のものが敗戦によっても基本的に変わらず温存された)「こども支援ネット」の文部省発行の「生徒指導の手引き」などを参照されたい
 しかし、「新しい酒は新しい革袋に」詰めなければばならない。「不登校」という現象もそういう中から生まれてきた子どもたちの理屈を超えた行動であった。

▼現在、不登校対策なるものはかなり整備され、不登校の子どもを支援する機関は行政にも民間にもあるようになったが、不登校の子ども達を本当に理解して動いているようにはとても見えない。学校も支援機関も基本的に不登校となった子ども達が問題であり、我々はそれをケアし見守る立場だと言っているように見える。本当にそうなのだろうか?不登校を殊更に問題視するそのあり方にしても、海外と比較して見てとても疑問に思う。グローバルな教育感覚はどこにあろう?

学校は本来、子ども達が主人公であるべき場である。ところが、現実には文科省を頂点とする教育行政が全てを握り、学校はそれに従う教員たちが全てを取り決める主人公であり、子どもたちはその脇役を勤めているに過ぎない。だから、特に、不登校となった子どもたちはもはや学校に生きる場を失い、学校を離れることになる。
 本来は「はじめに子どもありき」であったはず。子どもが誕生して初めて親は親となり、教師は教師となる。子どものいない親はいないし、生徒のいない教師は存在しない。ところが、現実にはそれが全く逆転してしまっている。

▼「学校での学び」でもそうである。学校での学びは、子ども達に「良い子」像を当て嵌めようとする偏狭な試みにも見える。ところが、もはや学校を超え、学校に囚われない学びが至る所に生まれつつある。やがて、タブレットの使用が狭い国策に基づく教育の枠を取り払う時が来るかも知れない。
 また、教科学習という座学を超えた学びもさらに広がろう。「ぱいでぃあ」で行う社会体験学習もその範疇に入れてもよい。子どもたちが学び考える素材を「本」と考えるならば、子どもが読むべき本は教科書だけではない。「本は至るところに開き、読まれるのを待っている」。今回の行動もその実践の一つである。

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「子どもの目」「遊びの世界」から見えるもの---本当の学びとはどこに?(Cafetalk3)

2014.02.22.19:45

ろう梅
   ろう梅

「子どもの目」「遊びの世界」から見えるもの---本当の学びとはどこに?(Cafetalk3)

「『遊びの教育学』はどこでやられていますか?」、以前、公民館講座でそのお話をしたところ、真顔でそういう相談を受けたことがある。ちょっと戸惑った。フリースクール・ぱいでぃあ誕生の前年のことである。
 残念ながら、日本の教育を一手に引き受ける学校では目の敵にはされても、正規な子どもの活動として実現することはまず不可能。日本の教育では「学び」と「遊び」を峻別され、それは児戯に類するもの、教育には邪魔なものとして、正規の学校教育からは排除されている。小学校教育以前の幼稚園や保育所、学校外活動の学童保育、学校教育の傍流&必要悪(?)の養護学校(特殊学校)などで日陰の存在のキノコのように認められていたに過ぎない。

▼かつて『クレヨンしんちゃん』や『コボちゃん』が「永遠の5歳」として尊重されていた時がある。(その後「しんちゃん」の作者は不慮の死を遂げるし、「コボちゃん」は「5歳の禁忌」を破って小学校に進学してしまう。)「しんちゃん」や「コボちゃん」がナゼ「永遠の5歳」と言われたのか?
 「しんちゃん」にせよ「コボちゃん」にせよ、彼らは学校教育に組み込まれる前の世界を生きていた。学校にあがった子どもの世界と学校以前の子どもの世界とでは何が根本的的に違うのか?
 その一つは、学校の世界に入った子どもは「大人が設定した教育論の世界を生きることになる」こと。しかし、彼らはまだ学校の世界には入っておらず、従って大人の価値観以前の世界を、自分の生身の目や耳による思考のフィルターを通して感じ取ることが出来たのである。

▼都内の有名私立中学の進学校に合格した子は、4月からは電車で早朝から通うことになる前のモラトリアムの今、「囲碁の手ほどき」「カミングアウト・スキル(ぱいでぃあ・フォーラム)」「耳目を閉ざした集中脳訓練」「連凧作り作業」「理系脳の作り方」「算数・数学オリンピック」の訓練問題等をあてがわれ、「柔らか脳をつくる『お遊び』」等をやっている。いわゆる「遊びの教育学」の実践例である。
 それに合わせてフランス発の世界的ベストセラー&ロングセラー『プチ・ニコラ』シリーズ(全5巻、偕成社)も読破した。(教育ネットワーク・ニコラの名称はこれに基づく)
 それはニコラという小学生の痛快物語で、子どもが真面目に、真剣に、頑張れば頑張るほど、親や大人は抱腹絶倒するという類の活劇集である。つまり、そこには子どもの世界の論理と大人の世界の論理ではまるで違うもの---ということが大前提となっている。

▼ところが、かつては「子ども天国」と言われた日本ではどうか。子どもは大人の論理に従って生きるのが良しとされ、親や大人は「子どもが言うから---」と、大人として成熟していない思考態度があたかも子ども思いの態度として尊重されたりする。暗黙の共依存の関係がそこに成り立っていて、子どもの自立も大人の自立もそこにはない
 「しんちゃん」や「コボちゃん」が「永遠の5歳」として尊重されたのは、「彼らが小学校以前の世界にとどまり、しっかりと子どもの論理の世界を生きており、「大人にとっては当然、常識」と思われた振る舞いやその論理を「奇妙な不思議な世界」と映する眼差しを持っていたからである。
 子どもは明らかに大人の常識を不思議と思い、批判的に再考させる稀有の存在であった。(かつては、マスコミもそういうことを大人の世界で期待されていたのではないか?)

「不登校とは何か!?」---そう訊かれたならば、その答えの一つもここにあると思っている。「学校から本当の遊びが消えたからです」とでも答えようか?「学校から子どもが消えたからです」でもいえばより正確だろうか
 ここ、フリースクール・ぱいでぃあのある南浦和駅周辺は「塾銀座」と言われる。日能研、サピックス、ネクサス、四谷大塚、栄光ゼミナール、早稲田アカデミー、東進ハイスクール、市進、河合塾---ない有名進学塾や予備校を探す方が難しいくらいだ。だから、夕方ともなれば、そういう生徒や母親でごった返す。
 こうして、日本の学校教育の歪みで補習・進学のための学習塾が栄えるわけだが、彼等にそれほど「日本の知的教育に期待を抱いているか」を聞いてみるといい。ほどんど誰一人「心からそう思っています」とは言わないのではないか?では、夜中にもかかわらず、何のために我が子を塾に行かせるのだろうか?それは、「我が子が競争に勝ち抜かなければならない」からである。そのためには、たとえそれが「取り敢えずの手段」であり、「痴的狂育」と誹られようと、「本当のものが一向に姿を表さない以上、仕方がない、ということになるようだ。

(次回に続く)

※本当は、予告してあった「遊びの教育学」の実践例として、「囲碁の遊びと学習」について触れるつもりであったが、次回とさせていただく。

※推敲はしていません。後ほど加筆訂正があるかもしれません。ご容赦を。


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ダメな自分、出来ない自分 -- 大鵬に学ぶ -- 山への登り方は色々だ

2013.01.26.15:33

初雪風景舟山公園にて桜花--寒桜?狂い咲き?--
〈初雪風景〉    〈雪遊び〉    〈寒桜?狂い咲き?〉

《巨人・大鵬・卵焼き》とは、日本の風俗の歴史に残るほど有名になった、当時の子どもたちが大好きで憧れた言葉。巨人や大鵬は破竹の連続優勝を重ねたが、人々の生活はまだ貧しく質素だった。でも誰も貧乏だとは思わなかった。きっと貧乏とは客観的な経済状態ではなく多分に主観的相対的なものなのだ。

▼《個人名が出てくるのは大鵬さんだけ》とは、大鵬の訃報を聞いた時の長嶋茂雄氏の敬意に満ちた述懐だ。ウクライナ人を父に持ちサハリンで生まれながら、戦後は北海道弟子屈の地で少年の彼は物売りをして家計を助けながら生き抜いた。歴史が浅くその分他県よりは因習も少なく自由な雰囲気が強かった北海道とは言え、多分、生活の苦難だけでなく偏見も激しかったろう。その中で《これより下はない》という《底つき》の感覚を味わった。だから、彼の哲学は《忍》の一字にあった。一言で言えば、「勝とう!勝とう!ではなく、負けないぞ!絶対に諦めないぞ!」ということ。彼の連覇の偉業もその哲学を抜きにはあり得なかっただろう。

▼今、学校を離れ不登校となってフリースクールなどにやって来る私立公立の小中学校の子どもたちを見ていて、とても不憫に思うことがある。大鵬が育った時代とは比べようもない物的豊かさに恵まれていながら、精神的な側面では未だに貧しい状態に縛られたままであることが多い。公式主義、前例主義、偏見、無理難題の強要--。そういう無理解の中で悶え苦しんでいる子どもの姿がある。そして本人の思考もその論理から自由になれない。《どうせ自分なんて…》そんなつぶやきが相談に来た子どもの口から漏れてくる

▼そういう子どもたちが最も怖れているのは、自分が《失敗した》と指摘されること。これは《指示待ち人間》であることと表裏一体の関係にあるのかもしれない。《ダメなところを人に見られてはいないか?》《自分は何かヘマをしでかしてはいまいか?》…そういう意識で自分をガッチリとガードしている。周りの視線に極度に防御的になり、ヒリヒリと神経がむき出しのまま、深い慢性の疲労状態に陥っている。硬い甲羅で身を守り背骨を持たないエビやカニの生態にどこか似ている。が、それは不登校の子どもが問題ということでは決してない。可哀想に《間違っているのは自分なんだ》《外れてしまう自分は悪い子なんだ》と思い込んでしまったのだ。

▼そういう不登校の子どもたちへ救いの手を差し伸べる機関は、多くはないがないわけではない。ただ一般にはあまり知られておらず、周囲の偏見や誤解もあり、経済的な事情なども絡んで(不登校の主要な問題の一つは経済問題だ)、結果的に求める人の割合が少ないだけの話だ。私たちの「フリースクール・ぱいでぃあ」もその一つ。ここは不登校の子どもたちが当たり前に抱く思いを尊重し、その発想を支援する学び場である。もしフリースクールという場が、学校教育の論理で迫り、評価する場であるならば、不登校や自由な学びを求める子どもたちはわざわざやって来ないだろう。(近代学校教育は目覚しい成果をあげたことは事実だが、国の都合が優先し、教育は家庭が責任を持って行うものという側面が大きく後退した感は否めない。日本を明治維新の開国に導いたのは国の教育など受けていない地方で学んだ下級武士たちであったのを想起したい。)

▼ただ、誤解のないように付言するが、フリースクールとは本来、いっときの政情には翻弄されず「自由な学びをするところ」であって、「不登校の子どもたちの収容施設ではない」ということである。不登校の子ども達がフリースクールにやって来るのは日本特有の教育事情によるものである。だから、フリースクールに来た子どもたちには、学校教育の縛りから自由になって考え行動できるようになってもらうことが一つの目標となる。一種のトラウマ状態にさえなっている《不登校はいけないこと》というマイナス思考から自分を解き放ち、自由に考えたり活動できるようになれたなら、もうその子は半ば大丈夫、自分の設計した目標に向かって自主的に歩んで行けるだろう。山の頂上に至ることが目標なら、その登り方は色々、様々な道や方法がある。自分に適した流儀で山の頂上に立てばいい。今、日本の教育が根本から見直され始めているのはそのことと無関係ではない。

(続く)

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Bakiller

Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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