誰でもが利用できるリーズナブルな新料金で支援!
2016.05.10.00:28
※2016年度入学時費用・月謝表のページへ
▼小中学生は義務教育段階の子どもたち
欧米をはじめ世界の先進国の国々では、小中学生という義務教育段階の子どもたちは原則「教育費は無料」というのが普通です。日本でもそれを踏襲しています。しかし、経済的には先進国の仲間入りをしたとは言っても、教育、文化、社会等の面を見れば必ずしもそうとは言えないところがあります。その上、経済的格差が教育格差に連動し、その度合いがますます拡大しつつあるのが日本の現状です。
▼一向に解決に向かわない不登校の問題
そういう中で、何らかの理由で学校に行けなくなった、あるいは行きたくなくなって不登校となった子どもの場合には、義務教育で謳い文句の「教育の無償化」が全く絵に描いた餅に化してしまいます。不登校となった小中学校の子どもには、いっさい義務教育の恩恵はなくなり、教育棄民の状態に置かれることになります。ここに日本の教育の大きな欠陥が見られますが、一向に改善される気配はありません。
▼子どもが不登校になることで生じること①
不登校の実態を知られるのは「学校として恥」とでも思っているのか、学校側が不登校の実数を伏せていることが多く、在籍クラスの担任を通じての個別な対応以外は(これも学校次第)学校側と家庭との接点はなくなりがちです(そういう点を考慮してか、学校側がその親御さんにPTAの役を割り振り、子どもが通っていない学校でPTAの役員などを回されることなどがあります)。ここには学校間競争を煽ろうとする教育行政の悪影響が出ているのかもしれません。
▼子どもが不登校になることで生じること②
こうなると、「不登校を選択」した子ども本人だけでなく親御さんにも様々な不都合が生じてきます。学校との接触も極端に少なくなり、勉強も学校でやったプリント類がただ手渡されるだけでお座なりになります。履修しているいない、理解しているしていないにかかわらず、大体そのまま放置されることになります。ただ、定期的に学校に来たり、連絡をするように(まるで不登校の生徒が悪いかのように)要請はあるようです。でも、それは不登校の内情を外部に知られまいとする学校側の都合であり、本人のケアには何の役にも立ちません。
▼自分を生かせるところで勝負しよう
でも、たとえ学校側に子どもが不登校になった過半の責任があったとしても、学校側の変化を期待することはあまり期待できません。ですから、『ここでは自分は生かされない」「ここにいれば危険だ」と思ったなら、まずはその場を早急に離れることは大事なことです。
不登校の選択は間違いではなく正しかったのです。自分が生かされるところで勝負すればいいのです。 学校を離れたのは自分を本当に生かす場を求めてのことのはずですから。しかし、そのままではいけません。傷ついた心を癒すと同時に少しずつ強い心を身に着け、自立して行かねばなりません。
▼「ぱいでぃあ」とはどんなフリースクール
「ぱいでぃあ」というフリースクールは15年以上の歴史があります。ここから様々なタイプの不登校生が飛び立って行きました。学校では」お荷物扱いを受けて全く存在感のなかった子もいれば、IQ140以上で天才的な異能・異才を発揮した子も何人もいます。共通するのはどの子も型に嵌った学校教育の中ではその個性や存在感を認められなかったということ。でも、ぱいでぃあでは誰もが認められ、自分の能力に自信を持ち、自分の目標に向けて飛び立って行きました。飛び立てずにいつまでも残る子どもは一人もいませんでした。
▼「ぱいでぃあ」で体得する学習とは
他と比較していただければ分かるでしょうが、「ぱいでぃあ」は誰でもが利用できるリーズナブルな月謝性の料金設定になっています。年間の費用も極力抑えています。時間単価で言えば学習塾よりも安いかもしれません(いろいろな条件を考えれば料金設定は高く設定したいのですが)。不登校になったからと言って諦めず、自分を責めないで、「ぱいでぃあ」で再起を図ってほしい、そう願ってのことです。ビジネス優先ではありません。
一つだけ付け加えると、「ぱいでぃあ」では教えられたことを覚えるための勉強が中心ではありません。「勉強するのはあなた」です。スタッフは本人が自立していくまでの支援者であり伴走者です。「ぱいでぃあ」で自分の心や身体を働かせ、自分の頭で考える学習を体得してもらいたいと思います。
きっと「ぱいでぃあ」での活動の中で、どこかに弱いところがあって不登校になった自分が、いつの間にか強い自分になっていて、不登校が克服されていることに気が付くでしょう。
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▼小中学生は義務教育段階の子どもたち
欧米をはじめ世界の先進国の国々では、小中学生という義務教育段階の子どもたちは原則「教育費は無料」というのが普通です。日本でもそれを踏襲しています。しかし、経済的には先進国の仲間入りをしたとは言っても、教育、文化、社会等の面を見れば必ずしもそうとは言えないところがあります。その上、経済的格差が教育格差に連動し、その度合いがますます拡大しつつあるのが日本の現状です。
▼一向に解決に向かわない不登校の問題
そういう中で、何らかの理由で学校に行けなくなった、あるいは行きたくなくなって不登校となった子どもの場合には、義務教育で謳い文句の「教育の無償化」が全く絵に描いた餅に化してしまいます。不登校となった小中学校の子どもには、いっさい義務教育の恩恵はなくなり、教育棄民の状態に置かれることになります。ここに日本の教育の大きな欠陥が見られますが、一向に改善される気配はありません。
▼子どもが不登校になることで生じること①
不登校の実態を知られるのは「学校として恥」とでも思っているのか、学校側が不登校の実数を伏せていることが多く、在籍クラスの担任を通じての個別な対応以外は(これも学校次第)学校側と家庭との接点はなくなりがちです(そういう点を考慮してか、学校側がその親御さんにPTAの役を割り振り、子どもが通っていない学校でPTAの役員などを回されることなどがあります)。ここには学校間競争を煽ろうとする教育行政の悪影響が出ているのかもしれません。
▼子どもが不登校になることで生じること②
こうなると、「不登校を選択」した子ども本人だけでなく親御さんにも様々な不都合が生じてきます。学校との接触も極端に少なくなり、勉強も学校でやったプリント類がただ手渡されるだけでお座なりになります。履修しているいない、理解しているしていないにかかわらず、大体そのまま放置されることになります。ただ、定期的に学校に来たり、連絡をするように(まるで不登校の生徒が悪いかのように)要請はあるようです。でも、それは不登校の内情を外部に知られまいとする学校側の都合であり、本人のケアには何の役にも立ちません。
▼自分を生かせるところで勝負しよう
でも、たとえ学校側に子どもが不登校になった過半の責任があったとしても、学校側の変化を期待することはあまり期待できません。ですから、『ここでは自分は生かされない」「ここにいれば危険だ」と思ったなら、まずはその場を早急に離れることは大事なことです。
不登校の選択は間違いではなく正しかったのです。自分が生かされるところで勝負すればいいのです。 学校を離れたのは自分を本当に生かす場を求めてのことのはずですから。しかし、そのままではいけません。傷ついた心を癒すと同時に少しずつ強い心を身に着け、自立して行かねばなりません。
▼「ぱいでぃあ」とはどんなフリースクール
「ぱいでぃあ」というフリースクールは15年以上の歴史があります。ここから様々なタイプの不登校生が飛び立って行きました。学校では」お荷物扱いを受けて全く存在感のなかった子もいれば、IQ140以上で天才的な異能・異才を発揮した子も何人もいます。共通するのはどの子も型に嵌った学校教育の中ではその個性や存在感を認められなかったということ。でも、ぱいでぃあでは誰もが認められ、自分の能力に自信を持ち、自分の目標に向けて飛び立って行きました。飛び立てずにいつまでも残る子どもは一人もいませんでした。
▼「ぱいでぃあ」で体得する学習とは
他と比較していただければ分かるでしょうが、「ぱいでぃあ」は誰でもが利用できるリーズナブルな月謝性の料金設定になっています。年間の費用も極力抑えています。時間単価で言えば学習塾よりも安いかもしれません(いろいろな条件を考えれば料金設定は高く設定したいのですが)。不登校になったからと言って諦めず、自分を責めないで、「ぱいでぃあ」で再起を図ってほしい、そう願ってのことです。ビジネス優先ではありません。
一つだけ付け加えると、「ぱいでぃあ」では教えられたことを覚えるための勉強が中心ではありません。「勉強するのはあなた」です。スタッフは本人が自立していくまでの支援者であり伴走者です。「ぱいでぃあ」で自分の心や身体を働かせ、自分の頭で考える学習を体得してもらいたいと思います。
きっと「ぱいでぃあ」での活動の中で、どこかに弱いところがあって不登校になった自分が、いつの間にか強い自分になっていて、不登校が克服されていることに気が付くでしょう。
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