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2019年度新学期の開始に当たって:フリースクールから思うこと

2019.04.08.18:15

▼新年度・新学期の開始
3月下旬からの短い春休みも終わった。今日4月8日から新学期開始の小中学校が多い。
4月8日と言えば、仏教の「釈迦の誕生日」(灌仏会・花まつり)と言われているが、キリスト教でもなくてもクリスマスを祝う人はたくさんいるのに、大部分が仏教徒と言われる日本人でこの日を祝う人は少ないようだ。学校行事でも話題に上らない。そういう日本社会の奇妙さが学校や学校を取り巻く巷にもたくさんある。
とにかく、新学期が始まり、新入生も入って来る。先輩のお兄さんお姉さんの活躍が期待される。

▼学校に行かない不登校の子どもたち
ところが、新年度新学期を祝えず、新学期が始まっても学校には行かない子どもたちがいる。「不登校」の子どもたちだ。前年度は不如意な結果であったとしても、新年度新学期からは他の生徒と同じく元気に登校したいと思っていた子も多いだろう。また、陰に陽に親から登校圧力を受けていた子も多いかも知れない。そういう子にとっては家庭は必ずしもシェルターとして十分であったとは言えまい。

▼近年再び増加の不登校の子どもたち
「不登校」(昔は登校拒否と言った)はこの現象が社会的な注目を集めるようになった1980年代~1990年当初から主に「子どもの問題」とされた。「情緒障害」とか「学校不適応」という表現がされた。これは全国初の不登校専門誌と言われた私達の発行した月刊雑誌『二コラ』の教育センターの取材記事にもある通りだ。以後、不登校は増加し続け13万人台のピークを迎える。教育行政の参加もあり一時は減少に転ずるが、平成25年(2013年)から再び、少子化で子どもたちの絶対数が減り続ける中でも、増加し続け、現在14万4千人超となっている。

▼家庭での不登校の受け止め方の違い
「不登校」という言葉の社会的認知度は高まったが、我が子が不登校になると思っている親御さんは少ない。そして大部分は「学校にやることが善だ」と思っている。だから、子どもが不登校なっとき、激しく動揺し、我が子を責めることになる。
もし、不登校への理解があれば、こうはならない。もっと冷静に穏やかに受け止められる。そして、無理に登校刺激をせず、その子の個性や特性に合った最善の方法はなにかと考える。子どもも安心して家庭で行動することができる。

▼「発達障害」という囲い込みが始まった
近年、自閉症やADHDなどの「発達障害」と命名される子どもたちの増加が話題となっている。食品や食品添加物の問題、薬物禍とりわけワクチンなどの問題も指摘されている。不登校でこの発達障害と看做される子どもたちが多い。今まで「不登校はどの家庭でも起こり得る」「不登校は病気ではない」とされて来たのに、今では不登校になると即「病院で検査を」の流れにある。おかしなことだ。
そして「またしても」と言うべきか、不登校の子どもたちに対してかつては心理的な側面から、今度は発達障害という科学的医療的側面から、学校教育や教育行政の無謬性を意図して、新たな「囲い込み」が始まったのではないかということ。
はっきりしたのは、モグラ叩きのような対症療法的不登校対応ではもう道は開かれないということだ。

▼不登校は近代教育終焉のシグナル
日本で不登校の存在が注目されるようになってから優に30年の歴史が経っている。その間、子どものいる現場から、家庭の親御さんや種々の民間の教育団体から、様々な教育関係者から、重要な指摘がされてきた。だが、根本的な解決になるものは採用されず、相変わらずの対症療法的なハウツーばかりが盛んである。
もう、学校や学校教育に期待するのは止めた方がいいかも知れない。近代国家建設時に採用された企画に合った良質の部品を大量に作る教育の役割は終わったと思った方がいいかもしれない。
そういう意味からすれば、不登校という現象は近代教育の終焉のシグナルであり、不登校となった子どもたちはそれぞれ自分に合った教育を求め始めたのだといっていいかも知れない。

▼不登校とは生き抜くための個性的な行動
春休みが明け、新学期が始まったが、新学期開始を前に自殺という暗いニュースも飛び込んでくる。学校とは死ぬ思いをしてまで行くべきところか?死ぬかもしれないのに子どもを送り出さなければならないものか?不登校とは間違った行動なのか?学校の教員が我が子の不登校を隠すのは何故か?
もし、我が子が不登校になり「学校に行きたくない」と言ったら、親御さんはどうすべきか?
「不登校万歳!」とまでは言わないが、同調圧力の強い教室の中で「皆に和せず自分を貫いた勇気ある個性」をこそ讃えるべきではないか?

▼子どもの目線で能力を開花させる教育のお手伝い
今後の教育は発展途上型の皆に和する教育ではあるまい。持って生まれた個性を最大限に引き出せる教育でありたい。「教え育てる」教育ではなく「能力を覚醒・開花させる」教育でありたい。それに社会と切り離され、塀を立て、遊びも感性も切り捨てた偏狭な「知育」に特化した教育でいいのか?
我が子が不登校になったのはいい契機と捉えたい。そこで我が子の偽らざる本音に耳傾けてほしい。彼は何を望み、どうなりたいのか?どう学ぶのがいいのか?子どもの目線に立って共に考えたい。そして、自分の人生に真剣ではあるがまだ非力である我が子をそっと支えてあげたい。我が子の最大の理解者として、最高の伴走者として。
その時、もし必要ならフリースクールの門を叩いてみればいいだろう。その子の育ちや学びの応援隊の一員としてできる限りの支援をさせていただく。それを最大の使命と考えて今まで取り組んで来たのだから。


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大宮梅まつり 「ぱいでぃあ社会体験学習活動」を終えて---卒業生の参加も---

2019.03.03.18:46

大宮梅まつり 「ぱいでぃあ社会体験学習」への追記---卒業生の参加---


▼ほぼ毎月、「ぱいでぃあ社会体験学習活動」を行っているが、今回2月27日(水)に行った「大宮梅まつり」&全国陶器市」のイベントには、久しぶりに「NPO二コラ」の会員だけでなく一般の希望者にも呼び掛けた。直前になっての呼びかけだし、あまり一般からの参加は期待していなかった。

▼ところが、意外なことに、元卒業生のKが大学卒業後の猶予期間を利用して、遊びに行きたいと電話を掛けてきた。中3で卒業してから何年振りだろう。今までも何度か「来たい、来たい」と言い、年賀状でも「今年こそは」とも書きながら、なかなか実現しなかったことがひょんなことで実現した。


▼思えば、お母さんはピアノ教室を運営し、お父さんは会社勤めの仕事をしてはいたが、生活は安定せず、家庭の都合とぱいでぃあとで互いに納得の行く支え合いの中での私達のフリースクール・ぱいでぃあへの通学だった。
 彼女は小学校低学年からの不登校で、「フリースクールに行くならぱいでぃあ」と親子で決めていたようだが、実際に通い始めたのは中学1年生になってからのことだった。そして、ぱいでぃあでは小学校時代の不足を補完しながらの勉強その他の開始となった。


▼ぱいでぃあに通い始めてから分かったことだが、教科の学習はどれもさほど得意ではなく復習と基本の理解に徹した。だが、驚いたことがあった。彼女は「絶対音感」の持ち主だった。後ろを向かせてキーボードのキーを押して試してみると、全てをピタリと当てた。

 小学校低学年の時から学校には全く行ってなかったが、両親のぱいでぃあへの絶対的な信頼とぱいでぃあでの無理のない後押しの下で彼女はコンスタントに通った。


▼休暇を取って父親も参加した自身の卒業式の時には、私の餞(文字通り「鼻向け」の言葉だけでなく(確かスチーブ・ジョブズの「ハングリーであれ、バカであれ」を紹介したのではなかったか?)、卒業生の余興として素敵なピアノ演奏を数曲弾いてくれたのを思い出す。


▼ぱいでぃあに通ってきた3年間で彼女は見事に自立した自分を築いていった。地元の学校ではきっと不可能なことだったろう。ぱいでぃあがあればこそだった。

 ただし、私等スタッフは本人に秘められた眠れる才能に気付き、それを本人の特性に従って無理なく引き出す産婆というか触媒の仕事を行い、その成長に寄り添う伴走者の役割を担ったに過ぎない。自分たちに誇れることがあるとすれば、それぞれの個性や特性に的確に反応できるセンサーを持ち、その支援を行ったことではないかと思う。

▼あれから何年経ったか。ぱいでぃあは基本的に義務教育段階の子どもしか扱わないから(この段階で自分づくりができれば後は大丈夫という考えだ)高校・大学はもはや脱落することなく自分の道をブレることなく歩めばいい。でも、彼女もご両親も今の自分の原点がぱいでぃあにあったことを忘れることはなかったようだ。
 彼女から話を聞いて知ったことだが、高校ではただ一人特待生の試験で満点を取り、その資格をゲットし、授業料免除であったらしい。


▼大宮の梅まつりへの参加を快諾し、その賑わいに彼女も参加したが、大学も無事に卒業し、既に社会人に成長した姿がそこにあった。この観梅行事はその門出に文字通り花を添えることになったと思う。おめでとう!心から祝いたい。
 同道していたメインの在校生にも、そういう卒業生の姿は大いに刺激になったのではないか。


▼もともと、ぱいでぃあのこの「社会体験活動」は寺山修司の「書を捨てて街に出よう!」の具現化の意味合いもあるが、東大的知のヒエラルキーが国会で無残な姿を晒している現在、その反証としてまた新たな展望として、大きな意味合いを持つと勝手に思っている。

 因みに、今年は小4・5・6年の3年間の小学校時代をぱいでぃあに通ってきて(当方は学習塾ではないよ)、どこの塾にも通わず、ただぱいでぃあで自立学習を積み重ねて、進学塾の生徒たちに伍して見事に第一志望の受験進学校に進み、今年東大を受験した卒業生もいる。

 結果はどうか。それもまた楽しみだ。自学自習の成果もここにある(この項は改めたい)。


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みんなでテスト(成果)を見せ合う

2019.01.19.13:04

◎みんなでテトスを見せ合う


学校に入ったとき「みんな助け合って」「友だちをたくさんつくろう」とか先生は言うけれど、偏差値の高いと言われる進学校ほど、校長先生自らが「今日から周りはみんな敵だと思え」なんて訓示を垂れたりする。


中卒で社会に出て、後に功成り遂げた素敵な人がいる。彼は勉強が嫌いだった。先生の言うことは自分の人生に不要だと思った。人生で世間が注目し、大勢のファンができた。その彼が言う。

「みんなで見せ合えばいい。できる人は見せ、できない人は感謝する。そしてクラスのみんなが100点になる」と。


「人ができ、自分もできる」、それが教育本来の姿かもしれない。



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4コマ漫画作家・「植田まさし原画展」を観にさいたま市立漫画会館を訪ねる

2018.10.02.22:27

▼呼びかけのチラシは下記の通り。
ぱいでぃあ社会体験学習:さいたま市立漫画会館へ、「植田まさし原画展」を観に行こう!

▼呼びかけ文の詳細はそのチラシを見ていただくとして、漫画会館で疑問についてお伺いしたら、次のような返答が返って来た。
“「コボちゃん」は必ずしも成長物語ではない。ただ、物語に変化をつける意味で妹が生まれ、本人は小学生になるという設定にしただけ。それ以上の変化はない。コボちゃんは小学3年生どまりである。”
こちらの問い掛けにM氏はそのように答えられた。
 なるほど…自分はその答えに妙に納得した。以下、その理由について記す。

▼私が「おや!」と思ったのは、コボちゃんは小学校に上がり3年生にまでなったのに、「コボちゃん」にはほとんど学校生活が描かれていないということ。学校外の生活がほとんどなのだ。コボちゃんが園児として描かれていた頃は、幼稚園と家庭とも間には生活の区別が明確にはなかった。それとは大きな違いだ。

もしかして、作者は学校生活を描かなかったのではなく、描けなかったのかもしれない。なぜ?それは読売新聞と言う紙面上の制約もあるかもしれないが、コボちゃんがコボちゃんらしく振る舞える生活の場面が学校の中にはなかったのかも知れない。もっと極論めいた言い方をすれば「学校の中にコボちゃんの真の生活はなかった」「学校の中にコボちゃんに象徴される子どもの生活は見いだせなかった」ということになるのかもしれない。作者がそれを意識しているかいないかにかかわらず、である。

▼学校の先生はみんな仲良くとは言うが、実際は異質な人間を排除しようとする空気はいろいろなところにある。同じように、「子どもは遊ばなきゃ」「子どもは遊びの天才」と言いながら、実際はいつの間にか家庭の中にまで学校の影響が忍び込み。親御さんは我が子に対して、「いつまで遊んでいるの!勉強しなさい!」というように変わってしまう。「子どもにとって遊びは学び」と言うのは外向きの装いであって、そこには遊びと学びの分離どころか熾烈な競争意識がはびこっていたりする。

▼そういう学校の実態を、作者は本能的に嗅ぎ分けて、「学校空間の中の生きたコボちゃん」を描けなかったのかも知れない。本来は子どもが主役であるべきはずの学校の空間に、もはや子どもがいきいきと生活する場はなくなっているのかもしれない。私たちは「コボちゃん」に描かれなかった漫画表現を通して、子どもの生活をうしなった学校を感じ取っているのかもしれない。

▼「植田まさしの原画を観に行こう!」と勇んで出かけた訪問であったが、図らずも“学校生活が描かれていない「コボちゃん」”を見出すことになってしまったようだ。

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2学期には、どんなワクワクに出会えるかな?

2018.09.02.11:51

▼猛暑だった今年の夏休みも終わり、だいたいどこの地域でも、9月からは2学期が始まりますね。「さあ、また、新しい未知の世界が始まるぞ!」って思ってね。

▼どんな人も、人生は一度切り。同じ繰り返しはありません。みんな新しい出会いですね。その素晴らしい出会いをしたいですね。

▼でも、周りの風景は自分の心の窓を通して眺めます。楽しければ楽しい風景が、悲しければ哀しい風景が窓に映ります。全ては自分の心の持ち方で変わるんですね。

▼だから、楽しいことを求めましょう。やりたいことをやりましょう。そして、どうしたら自分の心がハッピーで、相手の人もハッピーになれるか、考えてみるといいかも。

▼楽しくてやりたいことであれば、自然に頑張りも出てきます。もっとやりたくもなります。
あなたと接する人も同じかも。そしてその相手の笑顔があなたをさらに楽しくしますよ。

▼そういう体験を自然に積み重ねていけば、あら不思議、いつの間にか成長した自分がいます。心も体も、少しずつ大きくなっている自分がいます。若い草木がすくすく育つように。

▼たとえば、いつの間にか日本語を上手に使う自分がいます。習ったこともないのに、正しく喋っている自分がいます。それってすごいこと!そんな能力を自分も持っていたんですね。
そういう自分の可能性を信じて、新しい世界でのワクワク体験にどんどん当たってみるとおもしろいかもしれませんね。

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プロフィール

Bakiller

Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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