スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

◎ワーキングメモリー能力、コーピング能力を高めよう(その2)

2018.04.15.11:54

◎ワーキングメモリー能力、コーピング能力を高めよう(その2)


▼では、それをぱいでぃあではどう見るか。不登校となって学校には行けない絶対的事実がある。そして、学校の教員の判断があり、医者の見立てや診断書もある。

例えば、親御さんの持って来られたWISC‐Ⅳの知能検査もその一つ。そこには検査結果の数値と見立てが書かれている。15の「下位検査の評価プロフィール」があり、「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリー」「処理速度」と「全検査IQ」による5つの「合成得点プロフィール」なるのもがある。確かにWISC−Ⅲによる従来型より整理されていて分かりやすくなった。なるほど、そこにその子の特性が一目瞭然の数値で表されている。その平均値は100で、それがいわゆる「普通」ということになる(「その時の気分等がかなり影響するのでは?」とも疑っているが)。だが、「普通」って何だろう?


▼こういう精神医学的な見立てによって、それが「問題ある子の行動である」かのように定義付けられることに問題はないか?

類例として、しばしば知能指数の低い子どもの例が紹介される。確かに、不登校になる子どもたちは、一般に知能指数的には、知的障害と見做される子の割合が高いかもしれない。

だが、不登校になる子どもたちはそういう子どもたちばかりではない。検査データをよく見ると130だの140だの「並みではない能力があったがために学校に行けなくなったのではないか?」と思われる子も度々散見される。

(学校の成績を問題にする教員もいるが、何のことはない、学校の進度に沿って教科学習をしなくなっただけの結果に過ぎないことが大半だ。)

何のことはない、「問題ない」と判断される子とは、毒にも薬にもならない、問題意識に乏しい、大した特性もない以下同文的な子どもたちのことではないかと思われることさえある。少なくとも「普通」の基準はそこにある。もしかして、これが日本の学校教育が目指す理想的な子の姿なのだろうか?


▼何故、子どもたちは学校から逃げ出したのか。そこに通うことを拒否したのか?これは学校教育を考える上でとても大事な点だろう。だが、身の保身や学校を唯一の教育機関と考える教員等の学校教育関係者は敢えてこの問題に向き合おうとはしないようにも見える。

もし、子どもたちにとって学校が自分を生かし育てる場であったなら、そこから逃げ出したりはしなかったはずだ。子どもたちはつつがなく学校生活を送ってほしいと家族に願われていることを痛いほど知っている。でも、その学校での生活にもうこれ以上耐えられないこと、そこで自分は死んでいるしかないことをはっきりと意識したのである。


▼だが、間違わないでほしい。子どもたちは単に命を守るために学校を逃れたのではない。決して負け犬になろうとしたのでもはない。そうではなく、それは「自分を活かす場を求めての内発的な行動だ」ということだ。学校教育を「問題ない」と見る教員の立場などからすれば、学校を離れた子どもたちを外見から判断してマイナスに捉えがちだが(例えば、「勉強に付いて行けなくなったから」等と言うが、教科学習どころではない心境で学校を離れたのだから当然の結果だが、その現象が事の本質ではない)、子どもたちの内部には自分をより生かしたいという肯定的な思い、そういう学びの場・活動の場を求める強い思いが潜んでいる。

人として生まれた以上、誰一人として「自分の人生なんてどうなってもいいんだ」「どうせオレなんて…」と思っている子はいない。今まで無支援、無抵抗であったためにそう思い込まされてきたとしても。


▼フリースクール・ぱいでぃあには、WISC-Ⅳの知能検査で見れば、どちらのタイプの子どもたちもやって来る。一方はいわゆる「落ちこぼれさん」と言われる子どもたち。もう一方は「噴きこぼれ」とか「浮きこぼれ」とか言われる子どもたち。「枠にはまらないはみ出しっ子」ということで共通しているが、IQの数値にかかわらず、一般に「発達障害」というマイナスのレッテルを張られてやって来る。

だが、それは「特性の強い、個性豊かな子どもたち」という全く逆の見方をすることも可能なのだ。それは旧態依然の教育的見方では評価できない、自分の持ち味で勝負する子どもたちだと言ってもいいかも知れない。


▼しかし、問題は子どもたちを単に評価したり、定義付けたりすることではない。まして、薬漬けにして特性を弱めて周りに従わせるようにしたり、一律に収容所的な施設に追い込んで半人間的な扱いに馴致させることでもないだろう。

こういう扱いには子ども達よりも先に保護者の方が反発することが多いが、そういう偏見や差別に敏感な子どもたちの場合には、子ども本人が激しく反発することもしばしばだ。

ところが、公的な施設には「落ちこぼれのダメな子ども達」として」収容したり、適当に遊んで時間つぶしをしたりする施設はないでもないが、「型にはまらない子どもたち」を積極的に評価し引き受ける施設はまずないに等しい。

昔であれば「神童」と言って支援はされずともその存在を否定されることはなかったろうが、逆にある程度ケアの発達した現在では非効率な異質な子として排除され潰されることが多くなった。「ギフテッド」という一神教的欧米流の言い方がされるようになったのもつい最近のこと。海外ではもう数十年前からそういう子どもたちの存在が認められていたのだが。

(3に続く)

 

↓ 良ければクリック。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
*********************************
「こどもネット」のサイト
「教育落書き帳」(ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/ 
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
*********************************


スポンサーサイト

◎ワーキングメモリー能力、コーピング能力を高めよう(その1)

2018.04.09.13:56

◎ワーキングメモリー能力、コーピング能力を高めよう(その1)


「ぱいでぃあ」に相談に訪れるご家族で、近年はお子さんのWISC(現在はⅢではなくⅣ)の検査書類を持って来る人が多くなった。理由の一つには、本人把握の正確を期して「ある場合にはお持ちください」と呼びかけていることもあるが、「ぱいでぃあ」というフリースクールを開設した2000年代当初にはなかった変化の一つである。その功罪について多少触れてみたい。 ここには「不登校」を取り巻く大きな変化があるようにみえる。


▼かつて不登校という登校忌避の現象が8万人、10万人と拡大の一途を辿りながら(平成28年度段階で13万5千人と言う)、依然として「学校無謬説」が主流であった。「不登校の主要因は本人の「情緒障害」である」とされていたのである。(この辺りの事情については月刊教育誌『ニコラ』の記事に詳しい。自分が月刊誌『二コラ』の発行人として、県の教育センターに取材し、担当者と話し、様々な資料を見せていただいたことから得た率直な感想である。)

当時、不登校問題の研究はまだどこの大学でも進んではおらず、文部省(当時)はおろか全国各地の教育委員会にも明確な方針はなかった。なのに、どういうわけか「学校教育の問題ではない」という点についてはやけに明確であった。

(「不登校はどの家庭でも起こり得る」という見解を文部省が出したのは、実に平成4年になってからのことである。)


▼つまり、この間、多少の紆余曲折はありながら、子どもが自己の存在を賭けた不登校という社会現象に対して、当時から現在に至るまで一貫して学校教育側の対応は、「不登校は学校の問題ではなく本人の問題である」という姿勢であった。当時は「子どもの情緒障害」としていたものが、現在はWISC等の心理テスト(児童生徒の場合)で本人の一種の「病理」とする形で処理され、より科学的なオブラートで包んで来ているということがある。

それらを総称して現在「発達障害」(ADHG、自閉症スペクトラム、LD)というラベル付けをする。(忘れないでほしいが、それまでは「不登校は病気ではない]と言うのが公的な了解事項であった)

しかし、こう分類したところで、何かが明確になったということではない。その分類がどこまで科学的かどうかも怪しい。「何か異質だ。取り敢えずこんなところで」というところか。


▼だが、こういう一見科学的な意匠をまとった精神医学的な判断付与による教育界への影響力は凄まじい。子どもが不登校になったら、教師は学校での教育的関わりをあっさりと放棄して「お医者さんに行ってください」と言うことが非常に多くなった。

それで、教育的関わりには素人であるはずの精神科医や心療内科等の医師が、当然の如く医療的判断を下す。医者としてのプライドが許さないのか「分からない」とはまず言わない。それで、そういう医療的診断を下された本人や親御さんは、そして学校の先生も、それを天の声のように受け入れ従う。まるでそれが変更不可能な宿命的絶対的な判断であるかのように。


(2に続く) 

 

↓ 良ければクリック。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
*********************************
「こどもネット」のサイト
「教育落書き帳」(ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/ 
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
*********************************


◆2018年度新パンフレットができました:多様な価値観や異能が集う学び場◆

2018.03.05.18:37

◆2018年度新パンフレットができました:多様な価値観や異能が集う学び場◆

◆2018年度の「フリースクール・ぱいでぃあ」の新カリキュラム等のお知らせである。
 一般に「フリースクール」と呼ばれるものは、海外の動向とは違って日本の場合には「不登校」の子どもたちの受け皿と考えられている。「ぱいでぃあ」もその方針に大きな違いはないが、「フリースクール・ぱいでぃあ」の場合には単なる不登校の受け皿ではなく、設立の当初から不登校の問題を通して日本の教育問題を問い直すという活動の一環として不登校の支援も行っている。

◆ただし、「不登校」には大きく分けて2種類ある。「不登校」という言葉で一般の人や教育関係者が思い浮かべるのはいわゆる「落ちこぼれ型」。しかし、それと同じく「浮きこぼれ型(噴きこぼれ型)」も無視できない(後者は別名「はみ出し型」とも言う)。そのどちらにせよ文科省が決めた狭い枠からこぼれ出てしまう。それが「不登校」の実際である。「不登校は教育界のカナリヤ」と言われる所以がここにある。

文科省が定めた学校教育の平均的な枠は、一方で理解できない子どもたちを置いて見切り発車を行い、一方では個性的な子どもの異能にも対応できていない。フリースクールでは当初より、また塾産業の衰退による家庭教師型の参入(不登校生への対応は大丈夫?)でも個別対応が当たり前になっている。が、学校教育では相変わらず十把一絡げの集団指導にしか対応できていない。特別支援学級や特別支援学校は義務教育の枠から零れ落ちた子どもたちの落穂拾い的な対応を理解し行っているが、差別や収容内容に敏感な大抵の不登校生には見向きもされない。

◆子どもたちは実に敏感だ。不登校の子どもたちはさらに鋭い。特別支援学級が自分たちを理解し応援してくれる場ではなく、ほとんどが普通学級からこぼれ落ちた「ダメな子どもたち」の収容場所であることを知っている。一旦ここに収容されたらほとんどここから這い上がることは難しい蟻地獄のような場所だとも本能的に知っている。だから、自分に断念し、それを受け入れた子どもたちしか通わない。

◆ところが、今まで「ぱいでぃあ」にはこの両方の子どもたちが通ってきた。一方にIQ140の子どももいれば、一方には小学校中学校の9年間を生徒にも教師にも「お客さん」と看做され、イジメの対象になり、学校という生活空間で全く楽しさを知ることもなく過ごして来た子もいれば、「場面緘黙」となり学校では一切の言葉を失った子がぱいでぃあで言葉を取り戻したという事例もある。学年でトップクラスの「噴きこぼれ」の子も知的障害の「落ちこぼれ」とされた子も共に認められ同居していた学び場、それが「ぱいでぃあ」であった。
 なぜそういう奇跡のようなことが当たり前の風景として存在したか。それは、ぱいでぃあが多様な価値観や学校では評価され難い異能が寄り合う空間であったから。どのような子であれ、自分を照らす光が確実に当てられていたのだ。

◆因みに、「ぱいでぃあ」とは「遊び」と「学び」との両義的な意味を持つ和製日本語。ギリシャ語の「パイディア」と「パイディア」のひらがな表記である。つまり「遊び」と「学び」とは同根のもの、これが「フリースクール・ぱいでぃあ」の基本理念である。もう一つ、基本的な教育理念としてはフランスの「フレネ教育法」が下地となっている。ただし、シュタイナーの教育思想のように教条ではない。
(以下、続く)

↓ 良ければクリック。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村 

*********************************
「こどもネット」のサイト
「教育落書き帳」(ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/gootyokipapa/ 
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
*********************************


「フリースクール・ぱいでぃあ」の教育活動の目的は何か?

2018.01.03.09:03

◎「社会体験学習活動」について

▼フリースクール・ぱいでぃあの毎月の行事に「社会体験学習活動」というのがある。ぱいでぃあの教育理念は「遊学統合」と「フレネ教育法」にあるが、どこかのフリースクールのように決して教条主義的な活動ではない。ただし、この活動はフランスのセレスタン・フレネが創始したフレネ教育法の、子どもたちを野外に連れ出し、街中の様子や大人の仕事場での仕事風景を観察させたフレネ学校の教育活動の一つの流れにあるのは確かだ。

▼セレスタン・フレネはレジスタンスとしての対独闘争で肩に被弾し体力の問題もあったということもあり、また子どもたちに単なる座学ではない現実を見た上での学びをさせたいという思いもあって、よく子どもたちを学校外に連れ出したという。それで時には大人から批判を浴びることもあったらしい。フランス教育界を二分する論争を巻き起こしたことも有名だ。とにかく一つの「学校外の学び場」としての実践活動がそこにはあった。「ぱいでぃあ」もそれを踏襲しているということである。

▼ただし、「フレネ学校」やフレネ教育法は既存の近代国家が運営する学校教育に反旗を翻した、世界の各地で同時多発的に湧き起こった新教育運動の一つであったのに対して、日本のフリースクール運動は本来のフリースクール運動を不登校支援に特化した特異性を持っている。さらに日本のフリースクール運動は、例えばシュタイナー教育に教条化しその教えをそのまま日本に移植したのに対して、「ぱいでぃあ」の場合は、その「学校外活動」や公に結び付いた「イニシャティブ活動」などの影響を受けながらも、日本の土壌で花開くために、ギリシャ以来の遊学統合の「パイディア」の理念、「梁塵秘抄」や「鳥獣戯画」や平安の女流文学など日本古来の文化風土や子ども観を取り入れたものであった。単なる海外ものの切り売りではない。

▼しかも、フレネ教育はあくまでも普通の学校教育に対する新教育運動である。然るに、「フリースクール・ぱいでぃあ」の場合にはその学校という場を離れた、あるいはそれに身体で異議を唱えた子どもたち、場合によっては全ての仲間の生徒や先生、学校教育の関係者を向うに回しての「たった一人の反乱」であったかも知れない子どもたち、そういう子どもたちを護り支援する側の教育活動だったのである。

(続く)

あけましておめでとうございます

2018.01.02.15:42

春 風 万 里
年中はご支援ご声援ありがとうございました
本年も変わらぬお導きをお願い申し上げます
いつも子どもたちの明るい声が響く
そんなスクールでありたい


穏やかな一年の始まりです。昨年の「国難」選挙を始めとする幾多の喧騒が嘘のよう。束の間の古き良き日本の装いも悪くないかも。😁

フリー・スクール・ぱいでぃあは、1月12日(金)から開始です。

間もなく「ぱいでぃあ通信」(小冊子版)をお送りします。
それで今後の日程等をご確認ください。

ぱいでぃあは過去の実績を教材&肥料として、「学校外の学び場」として、さらなる追及を続けたいと思っています。

皆様の忌憚のないご意見をお聞かせください。
(子ども支援ネット:twitter、HPのお問い合わせ)

※子ども支援ネットのtwitterはこのブログでは中止とし、「子どもネット」に移動します。

※代わりに、SNSにとらわれず、フリースクール・ぱいでぃあやフリースクール&不登校等に関する話題を中心にアップしていく予定です。



プロフィール

Bakiller

Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。