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4コマ漫画作家・「植田まさし原画展」を観にさいたま市立漫画会館を訪ねる

2018.10.02.22:27

▼呼びかけのチラシは下記の通り。
ぱいでぃあ社会体験学習:さいたま市立漫画会館へ、「植田まさし原画展」を観に行こう!

▼呼びかけ文の詳細はそのチラシを見ていただくとして、漫画会館で疑問についてお伺いしたら、次のような返答が返って来た。
“「コボちゃん」は必ずしも成長物語ではない。ただ、物語に変化をつける意味で妹が生まれ、本人は小学生になるという設定にしただけ。それ以上の変化はない。コボちゃんは小学3年生どまりである。”
こちらの問い掛けにM氏はそのように答えられた。
 なるほど…自分はその答えに妙に納得した。以下、その理由について記す。

▼私が「おや!」と思ったのは、コボちゃんは小学校に上がり3年生にまでなったのに、「コボちゃん」にはほとんど学校生活が描かれていないということ。学校外の生活がほとんどなのだ。コボちゃんが園児として描かれていた頃は、幼稚園と家庭とも間には生活の区別が明確にはなかった。それとは大きな違いだ。

もしかして、作者は学校生活を描かなかったのではなく、描けなかったのかもしれない。なぜ?それは読売新聞と言う紙面上の制約もあるかもしれないが、コボちゃんがコボちゃんらしく振る舞える生活の場面が学校の中にはなかったのかも知れない。もっと極論めいた言い方をすれば「学校の中にコボちゃんの真の生活はなかった」「学校の中にコボちゃんに象徴される子どもの生活は見いだせなかった」ということになるのかもしれない。作者がそれを意識しているかいないかにかかわらず、である。

▼学校の先生はみんな仲良くとは言うが、実際は異質な人間を排除しようとする空気はいろいろなところにある。同じように、「子どもは遊ばなきゃ」「子どもは遊びの天才」と言いながら、実際はいつの間にか家庭の中にまで学校の影響が忍び込み。親御さんは我が子に対して、「いつまで遊んでいるの!勉強しなさい!」というように変わってしまう。「子どもにとって遊びは学び」と言うのは外向きの装いであって、そこには遊びと学びの分離どころか熾烈な競争意識がはびこっていたりする。

▼そういう学校の実態を、作者は本能的に嗅ぎ分けて、「学校空間の中の生きたコボちゃん」を描けなかったのかも知れない。本来は子どもが主役であるべきはずの学校の空間に、もはや子どもがいきいきと生活する場はなくなっているのかもしれない。私たちは「コボちゃん」に描かれなかった漫画表現を通して、子どもの生活をうしなった学校を感じ取っているのかもしれない。

▼「植田まさしの原画を観に行こう!」と勇んで出かけた訪問であったが、図らずも“学校生活が描かれていない「コボちゃん」”を見出すことになってしまったようだ。

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2学期には、どんなワクワクに出会えるかな?

2018.09.02.11:51

▼猛暑だった今年の夏休みも終わり、だいたいどこの地域でも、9月からは2学期が始まりますね。「さあ、また、新しい未知の世界が始まるぞ!」って思ってね。

▼どんな人も、人生は一度切り。同じ繰り返しはありません。みんな新しい出会いですね。その素晴らしい出会いをしたいですね。

▼でも、周りの風景は自分の心の窓を通して眺めます。楽しければ楽しい風景が、悲しければ哀しい風景が窓に映ります。全ては自分の心の持ち方で変わるんですね。

▼だから、楽しいことを求めましょう。やりたいことをやりましょう。そして、どうしたら自分の心がハッピーで、相手の人もハッピーになれるか、考えてみるといいかも。

▼楽しくてやりたいことであれば、自然に頑張りも出てきます。もっとやりたくもなります。
あなたと接する人も同じかも。そしてその相手の笑顔があなたをさらに楽しくしますよ。

▼そういう体験を自然に積み重ねていけば、あら不思議、いつの間にか成長した自分がいます。心も体も、少しずつ大きくなっている自分がいます。若い草木がすくすく育つように。

▼たとえば、いつの間にか日本語を上手に使う自分がいます。習ったこともないのに、正しく喋っている自分がいます。それってすごいこと!そんな能力を自分も持っていたんですね。
そういう自分の可能性を信じて、新しい世界でのワクワク体験にどんどん当たってみるとおもしろいかもしれませんね。

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この時期に急増する子どもの自殺に関連して

2018.08.25.22:03

この時期に急増する子どもの自殺に関連して

▼夏休み後半〜新学期開始に自殺者が急増

 8月の後半で夏休みが終了し、関東ではだいたい9月の初めから2学期が始まる(一部を除く)。ところが、この時期はとても要注意な時期だ。

 いろいろな調査や統計から、この8月下旬から二学期の開始にかけて、児童・生徒の自殺が急増するのだ。この時期、年間で自殺率が最も高くなる。だから、毎年のことだが、学校の先生等の教育関係者はこの時期に一番神経をとがらす。しかし、心配する割には具体的な方策はない。

 その結果、これからの一時期、子どもたちの悲しいニュースが新聞の紙面やTVの画面をにぎわせることになる。


▼なぜ、子どもたちは自殺に走るのか?

 端的に問う。「子どもたちはなぜ、自殺に走るのか?」。

 真っ先に考えられるのは、夏休みが終わり、自分の居場所のない学校が始まるからである。「学校に行きたくない!」とはっきり言える子はまだいい。受け止め方は色々でも、その子の気持ちを周りの人たちは理解できる。

 ところが、それを口に出せず、必要以上に周りの期待をおもんばかり、頑張って学校に行ったとする。案の定、そこで耐え難い現実に直面する。その結果、自分をこの世に留めておく絆が見えなくなり、死以外に解決の方法が見出せなくなってしまう。もちろん、好んで死を選んだのではないことは言うまでもない。


▼学校は死ぬリスクを犯してまで行きべきところか?

 不登校であるか否かにかかわらず、「学校は行かなくてはならないところ」…そう思っている子どもが大部分だ。「学校に行くか行かないかは、自分の自由な選択」とはまず考えない。なぜなのか?

 親や教師、その他の周りの人たちが一様に「それが常識」という言動をしているからだ。義務教育段階の子どもは、自分の考えを持っているようで、まだ独自の個性的な考えをする年頃ではない。その殆どは周りの大人のコピーかその変奏に過ぎない。


▼子どもの生きる意欲をスポイルする学校がある

 よく「学校は勉強するところである」「学校は社会性を身につけるところである」と言われる。この二つは子どもが大人になるための必須の要件とされ、今まで学校教育がその主要な任を担ってきた。ところが、残念なことに、今の学校からはこの理想がすっぽりと失われている。「教育工場」とさえ揶揄される始末だ。

 かつて良質の知的な部品を大量に生産することが学校教育の目標とされた。だが、今は一人ひとりに光を当てる個性化教育の時代、自分の人生を自分でデザインする時代だと言われる。だが、そういう時代の要請に今の学校教育がどれだけ応えられているだろうか?


▼不登校は自分らしく生き学ぶ選択肢の一つ

 国民の税金で国の教育も営まれている。だから「学校に行くのが一番楽で、お得」「学校で勉強する権利がある」「学校の先生も分かってくれた」とか言って学校復帰を促すのは、子どもの気持ちを理解しない親や大人の論理。そこに自分の場所がないのなら、独り戦場に赴く兵士と変わるまい。

 この間行われた「不登校セミナー」でも、「学校を捨てた子どもたち」の笑顔が素敵だった。学校に行かないという選択を認めてくれた家人の存在が背後にあった。ネットで見つけた、不登校から東大に進学したある人は「学校が学ぶに適した場所とは思わない」と言っていた。社会性の涵養も同様だろう。


▼フリースクールという学校外の選択肢もある

 今や個々人が「自分の目標を持って」「自己肯定感を持って」学ぶ場は、学校外に色々ある。我々のような不登校支援のフリースクールもその一つだ。ことさら反学校である必要はないが、学校的な縛りを乗り越え、その価値観から自由になって活動するために、利用してみるのも一つの方法だろう。もしかすると、そこから新しい世界が見えるかも知れない。


▼自分の人生を起業する個性尊重の教育を求めて

 「学校教育を問い直す」「不登校の子どもたち支援」の民間教育の活動は、日本が戦後高度成長のピークに達した1980年代から生起し始めた問題だ。欧米に追いつき追い越せで走ってきた日本は、ついに先頭集団の仲間入りを果たした。だが、日本にそれ以上前に走り出るためのマップはなかった。今もない。

 そこで日本の教育は大きな転換を図るべきであった。同調を強いる集団的規格品製造の教育から各々の人生を起業する個性尊重の教育へと。

 だが、「失われた20年(30年?)」の日本と呼応するように、いまだ新しい子どもたちの学びを確立し得てないのが日本の学校教育だ。だが、今、この瞬間を生きる子どもたちに「待ったはない」のである。 ※近年、急速に増えている「発達障害」等の話題等にも触れていきます。 ※「不登校支援」の主要な問題は、異質排除の傾向の強い、日本の教育風土の中で、子どもたちが健全な自尊感情を養い、無理のない社会化を遂げて、元気に自分らしく生きて行けるようにすることだと思っています。

※「不登校支援」の問題は、さらに今の子どもたちが社会で活躍するようになるまでに、共生の社会空間を構築していく運動を広げていくことが大事だと思います。いくら親として心配しても、やがては、親亡き後も、彼らは自分で生きていかねばならないのですから。


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2018(平成30)年8月4日(土)「不登校セミナー第2部」講演:「学校に行かないって、どういうこと?」から

2018.08.13.11:55

2018年(平成30年)8月4日(土)「保護者や教員のための不登校セミナー」第1回 第2部  講演:「学校に行かないって、どういうこと?」  講師:都留文科大学教授:筒井潤子氏

※講師:筒井潤子先生の講演の文字起こしではありません。それを聞いた感想を綴ったものです。

▼「不登校セミナー」の第一回は民間主導となっているが、ここ数年、コーディネーター兼講師の方に不登校研究専門の大学教授等にお願いすることが多くなっており、実質、保護者向けというよりは教員向けの教養講座的なものになっていた感は否めない。さすがに皆さんよい話はされるのだが、それで不登校問題の内実にどこまで肉薄できたかと言うと心許ない部分もあった。そんなこともあり、失礼ながら、筒井潤子先生にもあまり過大な期待はしていなかった。

▼しかし、今回、それは多少、嬉しい誤算となった。第一部のシンポジウムに登場した二人の元不登校生が予想外の素晴らしさで、しかも二人とも偶然にも「学校復帰組」ではなかったことでとても面白い展開となった。二人とも不登校になった苦しみや悩みは語ったが、「嫌なら学校に行かなくてもいいよ」という理解ある親御さんの言葉で「ホッと救われた気持ちになった」と言うのだ。また登壇された2人の保護者の方も、何が何でも学校復帰を迫ることはせず、我が子の気持ちを尊重した関わりであったという。
 そのことが、教育委員会主導で、公的には「学校復帰の協力者による不登校セミナー」という建前で運営されてきた不登校支援の活動に、一つの風穴を開けることになったと思う。文科省でも「学校復帰の見直し」の検討を始めたという情報も入っていた。

▼筒井先生は、大学教授として活動する傍ら、スクールカウンセラー、セラピストとして学校現場に赴き、相談室で養護教諭の先生とも話し、直に子どもたちと会話することも多かったそうである。だから、今回も予め原稿は用意されて来たようであったが、第一部でシンポジウムのコーディネーターを務められ、学校復帰しなかった元不登校生の話を聞いたこともあってか、話される内容を一部変えたようである。
 筒井先生は、学校でまず「相談室」の問題に直面した。相談室とは本来、子どもたちと会話しながら一緒に考え、元気を回復する場だと思っていたが、そこは堅苦しい決まりごとがあり、逆に子どもの元気が失われていく場であったという。
 そのように、今の社会にはどこか根本的におかしいところがある。そういう問題を変えていかない限り、不登校も問題は解決しないのではないかとも考えたという。

▼だが、「社会が悪いからどうしようもない」と言っていていいものかどうか。「それも違う」と思った。
 子どもたちは今、目の前で、苦しみながら、今という現実を懸命に生きている。「社会を変えなければ…」なんて悠長に言っている時じゃない。そういう大前提を踏まえながらも、「今できるのは何だろう」「何をどうすればいいのか…」と考えなければいけない。
 しかし、それはまた、決して心理だとか、カウンセリングで言われるところの、「目の前の子どもだけ」「この親御さんだけ」「そのご家庭だけ」を変えれば、とりあえずそれで解決したというようなものでもないと。
 ただし、そう言いながらも、筒井先生は、自分が話すにあたって、「不登校の問題は深く広い。だから、今日私がお話することはほんの狭い視点に過ぎない。皆さんの視点に一つ加えて頂いたら…」と至って謙虚だった。

▼不登校になるということ、学校に行かないということは、今の日本の社会では、子どもにとってもの凄く恐ろしいこと。 皆から責められる、落ちこぼれ取り残される、自分の未来も閉ざされる…。でも、現実的に、子どもたちは不登校にならざるを得ない。
 子どもが不登校になるのは、色々な要因がある。でも、「これです」というものはない、と言う。

▼不登校になる子はみな心が傷付いている。それで、みな「元気」がなくなる。だから、不登校の原因は何であれ、「心が元気」になればその子は回復できる。では、具体的にどうすればそれは可能か?
 それは、「私」との関係回復だと筒井先生は言う。母親である私、父親である私、先生である私、他人である私。そういう「私と私」の関係回復の中から元気が取り戻されていく、と語る。
 言葉少なく、控えめではあったが、とても印象的・象徴的な言葉だ。言うなれば、不登校とは、そういう関係を希求しながら、学校生活を続ける中で、それが見えなくなった子どもたち、ということになろうか。

▼不登校には色々なパターンがある、と言う。例えば…
 ・明らかに不登校だと分かる(古典的な)タイプ。
イジメがあったとか、虐待にあっていたとか、家庭内DV状態にあったとか…。
 ・はっきり不登校の原因が見えないもの。
「まだ学校に来なきゃあいけないの?」と言った女の子は、保健室登校からやがて完全な不登校になったが、不登校の理由は「言っても分からないから」と語らない。
別の女の子は、学校の決まり事や先生の期待に応えようとして叶わなくなり、「もう駄目」「消えたい」と不登校になった。
 でも、両者とも、学校を捨てたわけではない。密かに学校との「私」のキヅナは大事にしている。

▼不登校の中に「発達障害」の子どもたちもいる。近年増えているのは、このタイプ。身体の障害は目に見えるが、心の障害(脳の障害?)は目では理解しにくい。(教育の領域を超えて医者との繋がりが強い。服薬者も多い。)
 実は、この子たちは、この世の中を戸惑いながら生きている。彼らは独特の感覚、いわゆる「感覚過敏」と言うものを持っていて、周りと同じく感じることが難しい。普通の人が「当たり前」と思うことがその子たちには当てはまらない。しかも、発達障害の子が正常に感じることに、(定型の人からは)逆に「何それ?」という反応となって返ってくる。

▼確かに、イジメや虐待などがトラウマとなり、子どもの心が傷付く事例が社会の中で増えている。しかし、もう一方では、障害のある子も含めて、外見からは分かりにくい原因の不登校も増えているのだ。
 イジメも虐待もDV等も基本的になく、保護者もまた教育や子育てに熱心であり、学校との関係も悪くないし、お友達も何とかしてあげたいと考えている…でも、本人は不登校になり、そこから抜け出せない。
 不登校になるのにはいろんな原因があるが、当事者以外にはなかなか分からない。「え〜何で!そんなことで不登校になるの〜!」と周りは思う。でも、本人はぐったりとなり傷付いている。最近、こういう不登校も増えている。
 そういう不登校の子どもをよく見ると、小さなかすり傷のようなものが全身にいっぱいいっぱい出来ている。小さなかすり傷の蓄積なのだ。一般には理解されにくいが、そういう子どもの傷つき方があり、そういうタイプの不登校が増えている。

▼筒井先生の指摘には首肯するところが多かった。フリースクールの現場でも顕著な例がある。だが、そのような不登校の姿は今までほとんど公的な場で語られることはなかった気がする。例えば教育学専攻の大学生や教職員の集まりの中で、こういう「不登校セミナー」と言うような場で、主要なテーマとして語られることはほとんどなかった気がする。不登校の子どものいる現場では問題になっていても、それが大学などで研究課題として上るようになるにはそれなりの日数がかかることは承知はしているが。
 しかし、図らずも今回、第一部のシンポジウムで元不登校の子どもたちが学校に行かなくても良かった生活の喜びを語り、それを受けた第二部で、筒井先生が、多分用意して来たであろう講演の内容を一部変えるような形で、カウンセラー、セラピストとして子どもたちや親御さん等と直に接する中で、子どもたちの生の声を伝えることが初めて可能になったように思う。

▼まだ小学生や中学生の時代の子どもは、自分を十分に表現する言葉を持たない。だから、なかなか親や教師や支援者には本当のところが届きにくい。現実に苦しみ悩んでいる子どもが目の前にいるのに、出来合いの不登校論や子ども論という虚像でかえって実像が見えなくなっているという現実さえある。今回の筒井先生の講演で、そういう子どもたちの声の一部ではあるが、我々に直に伝えてくれた意義はとても大きい。いわば常識で隠れてしまっていたその裂け目をこじ開けて、そこから響いてくる子どもたちの生の声無き声を伝えてくれたのではないかと感じた。

▼そういう不登校はどこから、どうして生じるのか。大人たちは分かっているようでいてよく分かっていない。今の子どもたちを取り巻く、教育や社会等に様々な要因があることは十分承知はしているのだが。例えば、話題に登場した、余裕のない教師や親の問題、数々の学校の決まり…、などもその一つだろう。
 ただし、今回の話の中で、それらは直接は扱われず脇に置かれた。しかし、従来のモグラ叩きにも似た対症療法には限界があること、そして、かつての不登校と現在の不登校とでは質的な違いがあり従来の思い込みでは対応できないこともある程度示せたのではないか。

▼周知のように、現在全国の不登校生は小中学校で13万人の大台をゆうに超えている。この少子化の中でもその人数は一向に減らず、逆に増える傾向にあり、さらに低年齢化現象さえも起きている。
 そして、今回も多少触れられたが、発達障害と看做される不登校の数が激増している。特殊学級や特殊学校が増設されているほどだ。そして、食生活やワクチン等の薬害禍も指摘されるようになった。
 子どもを取り巻く社会の様々な歪みが指摘され、その改変が望まれる。「不登校」とは、学校教育の危機を子どもたちがその行動をもって端的に体現したものであろう。

▼しかし、だからこそ、今回筒井先生が、子どもたちと直接触れ合う中で、ともすれば見逃されそうな「不登校からの回復の一つの視点」として「“私”の関係の回復」を指摘された意義は大きい。慧眼である。それを抜きにした不登校論などまやかしに過ぎまい。
 また、もう一つ、筒井さんが何度も繰り返された「程よい応答」という言葉。社会生活や学校生活の中で、互いが肯定され、「心が元気になる程よい応答」ができているかどうか。大人がゆとりを失い、ストレスをため、対応が無機的になり、そのズレや歪みや“私”を失った同調圧力が子どもの心にのしかかっていく。その先に不登校がある。
 確かに、筒井先生の語られたことは不登校全体の問題からすれば極めて限定的なものであろう。だが、決して外すことのできない重要な視点であったこともまた事実だ。
 この視点を踏まえた上で先に進みたい。不登校には、個々人の心の問題と全体的な枠組み・システムの問題があり、その両輪の車をどう操縦していくか…そういうことを改めて考えさせられた。
 それにしても、スクールカーストの問題を指摘して「学校で社会性は身に付くか?」と問い、「学校に行かなくてもいいと分かったら楽になった」と、学校に適応する苦しさから解放された喜びを語った元不登校生の笑顔が忘れられない。
(この項、終わり)

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平成30年度「保護者や教員のための不登校セミナー」について(第1回)

2018.08.03.12:00

明日2018年8月4日(土)は、“平成30年度「保護者や教員のための不登校セミナー」(親と子の体験を通して考えよう)”の開催日。
■日時:2018年8月4日8(土) 13:15開場 13:30開会
■場所:さいたま市民会館うらわ
■入場無料、事前申し込み不要
■主催:埼玉県教育委員会  協力:不登校児童生徒支援のための官民連携会議
■会の次第
 第一部:パネルディスカッション「不登校を振り返って、今思う」
     (13:40~14:55)
     コーディネーター:筒井 潤子 氏(都留文科大学教授)
     パネラー:保護者、不登校経験者

       (休憩:14:55~15:15)(情報提供:スクリーンにて)

 第二部:講演:「学校に行かないって、どういうこと?」
     (15:15~16:25)
        ~ まずは心のエネルギーをためよう ~
     講師:筒井 潤子 氏(都留文科大学 学校教育学科 教授)

       (質疑 16:25~16:40)

■閉会 16:45~

▼盛会を期待したい。今まで折角教育委員会側だけでなく民間の不登校支援の組織と手を組む中で回を重ねてきたこの「不登校セミナー」だが、まだまだ広く伝わっていないきらいがある。

▼また、必ずしも官民連携のメリットが十分に活かされていないのも問題かもしれない。
・県内の不登校の児童生徒の10分の1も会場には集まらない。
・「セミナー」に参加しても、解決の糸口が見いだせるとは限らない。
・不登校の事情は様々に違い、「素敵なお話をありがとう」で終わる人も多かろう。
・分離・収容のための施設ではなく将来の社会参加に向けての環境の整備や無理のないトレーニングが必要かと思うが、行政には用意されていない。
 それで、相変わらずも「モグラたたき」に終わっているのが現状である。

▼精神医療を専門にしている医師からは、「学校にカウンセラーを配置したのはいいとしても、それによって不登校が減ったということはない」という声もある(医師会が臨床心理士の国家資格に反対した理由の一つかな?)。
 確かに。逆に、不登校はむしろ増えているのではないかという現実がある。

▼今や、不登校の子どもたちのかなりのパーセンテージを占める「発達障害」の診立ては、大人の発達障害とまで言われるようになり、成人の精神科領域でも無視できないものになっている。
 しかし、一方、「不登校はあくまでも学校教育上の問題」ではある。
 不登校の子どもを抱えている親御さんや教師の方々は、「子どもにどうなってほしいのか」「どうしたいのか」を胸に、具体的に日々子どもとどのような接し方をしているか――など、再度考える機会にしてもらえたら幸いである。

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Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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