「学校外で学ぶという選択肢」---不登校のための新しい学びを求めて(1)

2016.11.15.13:12

▼2016(H28)年度の官民連携の「不登校セミナー」から
 今年度(2016年)の官民連携による「不登校セミナー」では、第一回の7月23日(土)にはシンポジストにぱいでぃあからも保護者の参加を、第二回の10月15日(土)には下記のチラシを配らせていただいた。何らかの支援に寄与できただろうか。
 しかし、不登校児童生徒(埼玉県だけでも小中学の不登校の児童生徒は5千人以上)を抱える親御さんの圧倒的多数は当日会場に足を運んでいない。それで正しく情報は伝わっているのだろうか。
 そこで、少なくともネット環境を利用できるご家庭のために、チラシとして配った2枚のPDFファイルを掲載した。ご覧を。
「学校外で学ぶという選択肢」
「脱・不登校:心も頭も身体も」

▼不登校の爆発的増加とフリースクールの誕生
 1980年頃から爆発的に増え始めた不登校は、1990年代に入ってそのピークを迎えた。そういう中から、不登校の子どもたちを支援する数々のフリースクールも誕生した。
 私たちの不登校支援の活動は、フリースクール・ぱいでぃあの前に1995年創刊の月刊教育雑誌『二コラ』の活動があった。フリースクール・ぱいでぃあを創設したのは2000年のことである。

▼不登校の減少から再び増加傾向へ
 民間が先行した不登校支援の活動(当初「不登校の子どもたちを守る」というスローガンから出発)に、やがて教育行政の側からの参入(「不登校の子どもたちを学校に戻す」という趣旨)が始まった。そういう官民双方の努力の結果なのだろうか、その後、不登校の児童生徒が5年連続で減少していった。
 しかし、近年、新たな要因も加わり、再び再び増加傾向に転じている(特に小学生の不登校が増加中)。

▼フリースクールの変質という悲しい現実が…
 もしかすると、これは民間の教育機関の衰退が大きな要因かもしれない。教育行政の側からの不登校児童生徒の取り込みが強まるのに反比例して、徐々に民間のフリースクールの側が活動を維持するのが難しくなってきている現状がある。そして、断念したところも多い。その結果、本来は「子どもの心と命、人権を守る」という思いから出発したはずなのに、中には、フリースクールの生き残りをかけて、不登校の子どもたちを収容・隔離する施設まで生まれ来ている。保護するという建前は立派だが、それではますます社会参加は難しくなるのではないだろうか。(もちろん、それを必要とする人たちもいる。だが、それは本来行政のやる仕事のはずである。)

▼日本の学校教育を考える時に欠かせない「不登校」という視点
 「不登校」の視点から見ると、日本の教育の抱える様々な問題が浮き彫りになる。不登校支援のフリースクールのも存在意義もそこにある。
 一方にたとえ無償であろうとお金をもらおうと子どもが行きたがらない学校があり、他方に教育行政が一円の助成を行わず、家庭の自腹であろうと子どもが行きたがり、親が行かせたいと思うフリースクールがある。

▼不登校児童生徒に対する学校の無理解
 不登校問題で教育行政の側が完全に取り違えていると思うのは、小中学校は無償なので不登校になった子どもの家庭を支援せず、経済的に締め上げればやがて学校に戻ってくるのではないかと誤解していることである。不登校になった子どもの心をまるで分っていない。分かろうともしない。いつも「学校は善である」という視点に立ち、それを疑わない。問題は不登校になった子どもの側にあり、学校にはないと考える。不登校の子どもの目にどんな学校教育的日常が映じているだろうか。
 もしかすると、学校は地域の中心ではなく陸の孤島かも知れないという認識などどこにもない。

▼学校にあるのは隔離収容の発想で、バリアフリーの視点がない
家庭や学校を一歩出ると、今日バリアフリーの施設はいろいろなところにある。横断歩道には目の不自由な人用に音楽が流れている。歩道には専用のイボイボ等のマークがある。車道から歩道に無理なく自転車や手押し車で上がれる。車椅子用のために階段ではなくエレベーターもある。電車やバスの優先席もある。それが現代社会の日常である。そして、それは障碍者だけでなく健常者も含め、住むのに優しい社会づくりに役立っている。
 だが、学校の中には、教育の主人公であるはずの子どもを活かせない現実がある。いくら取り繕おうと現に学校に行きたくないという不登校の子どもがいるのだ。無理やり、やむを得ず学校に来るようにすればそれで解決という問題ではあるまい

(この話題、続きます)

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2016年度「保護者や教員のための不登校セミナー:第二回」開催のお知らせ

2016.09.24.14:11

2016年度「保護者や教員のための不登校セミナー:第二回」開催のお知らせ

▼好評だった西野先生の講演他
 平成28年7月23日に開催した「保護者や教員のための不登校セミナー第1回」は、長らく現場で関わってきた西野博之氏( NPO法人フリースペースたまりば理事長 ) の経験から紡ぎ出された多くの視点や感想は---同じ立場の人間から見ても至極真っ当な視点や考え方が多かった---それまでの不登校問題やカウンセリング等を大学等で研究されてきた方々によるセミナーとは違った、とても新鮮な感動や共感をもたらしたのではないかと思います。第一部のパネルディスカッション共々とても良いセミナーになったと思っています。それは、その後に行った県教委の参加者アンケート調査にもはっきりと表れていました。

▼2回目は早川先生の講演と個別相談
 埼玉県ではこういう官民連携(県教委と民間の教育団体)の取り組みが功を奏してか、全国との比較からしてもそれなりの成果を上げている(全国ワースト42位)と言えるのかもしれません。例えば、平成25年度のデータによりますと、全国の小中学校不登校児童生徒数は6年ぶりの増加となりましたが、埼玉県では小学校では7年ぶりの増加に転じたものの、中学校では7年連続の減少となっています。とはいえ、埼玉県全体では小中学生あわせてまだ5千数百人にのぼる不登校の児童生徒がいるわけで、「県として対策は取っています」とばかり言っていられる状態ではありません。そこで今年も10月15日(土)に「不登校セミナー」の2回目を開催します。
 2回目の不登校セミナーは、「不登校について一緒に考える」と題して、都留文科大学の早川恵子氏をお迎えして、Ⅰ部を氏の講演会、Ⅱ部をブースごとの相談として、不登校全体の問題だけでなく、個々の具体的なお話などをいろいろな不登校支援の団体・組織と行うことができるようになっています。ぜひお子さんにも参加して頂き、話し合いの中で良い方向が見付かればいいなと思います。

▼いまだに10万人台を下らない不登校の数
 学校教育の側では文科省が音頭を取って、「アクティブ・ラーンニング」と称する取り組みが始まっています。その成果はいかがなものでしょうか。振り返ってみれば1990年以降、学校教育で様々な取り組みが行われて来ました。でも不登校の数はいまだに10万人台を下りません。「ゆとり教育」や「総合学習」「コンピュータ導入」等もありました。どれも喧伝されたような効果を上げていれば素晴らしかったものばかり。でも、一向に不登校という学校離れがおさまらない日本の教育があります。今回の「アクティブ・ラーンニング」も総合学習の二の舞いとならなければ幸いです。
 では、なぜ不登校は収まらないのでしょう?不登校は教育界における「炭鉱のカナリヤ」だとも言われます。不登校は学校教育が如何に病んでいるかのバロメータだというわけです。その異常に気付かなければ子どもは命を絶ってしまうこともあるわけです。

▼子どもの夢や希望を壊す大人の社会の現実
 子どもたちはたくさんの夢や希望を持って学校にやって来ます。でも、長くそこで生活すればするほど子どもたちは夢も色あせ希望を失っていくようです。何故?たぶん、それは彼ら・彼女らを指導してくれる学校の先生や家庭や職場で日々働いている親たちが子どもたちの夢や希望をプチプチとつんでいき、大人になることの辛さや悲しさを見せているからではないでしょうか。学校に長く通えば通うほどそれを体感していくことになります。「鈍感力」のある子は耐えられるかもしれません。でも、感受性の強い子どもほど耐えがたいのかもしれません。

▼明るい未来の見えない日本の社会
 本当は子どもだけを変えるのは無理なのでしょう。子どもの世界は大人の世界の鏡です。先生や親が夢を失い希望のない日々を送っている姿を間近に見て、果たして子どもたちは自分の人生に夢を懐き、希望を語れるようになれるでしょうか。例えば、昭和30年代の社会であれば、たとえ今は貧しく辛くても、それにメゲず頑張ればきっといい未来が待っているという確信が持てました、たとえそれが荒唐無稽な全くの夢物語であろうとも、誰もが明日を夢見ることが出来たのです。でも、右肩下がりの現代社会にはその明るい未来がありません。

▼昔の不登校から今の不登校への様変わり
 かつての不登校は非人間的で理不尽な教育状況や学校教育の在り方に反発するものが多かったように思います。ところが、現代の不登校はより深刻かもしれません。そのように、明日に希望を持てず、我慢に耐える意味を失った子どもたちの呻吟の声であり、声無き声の絶望的な叫びであるかのようです。
 他方では、不登校は先進国共通の病だとも言われています。
医者の世話になる障害のある子どもたちも増えているようです。少子化で統廃合したりクラスを縮小する学校がある中で、障害のある子どもたちを収容する特殊学校や特殊学級も増えているところもあります。大気汚染や食生活の問題を指摘する人もいます。人間関係でも、従来の関係が崩れても新しい関係は容易にはできません。新しい家庭を建設できず浮草のように浮遊して生きている若者もたくさんいます。完全な不登校ではなくとも、グレーゾーンで繋がっています。

▼不登校は近代学校教育への根本的な問いかけ
 このような不登校の現実に、子どもたちの支援者としてどう関わっていくか、それが問われています。不登校の何が問題なのでしょうか?これらに共通するのは、基本的に箱もの思考、枠的思考というものかもしれません。その
枠内は善であり、そこから外れるものが問題なのだとする考え方で、どんな理由があるにせよ学校を外れた不登校の子どもたちには否定的です。
 でも、逆に今、不登校の子どもたちから問われているのは、「果たしてその枠の中は善なのか」ということ。箱物思考が世間で問い直されているのと同じように、今日本の学校教育はどこまで善なのかということです。この不登校という問題はそういう近代学校教育の根本的な成立概念まで問い直しているとも言えそうです。

▼現代を生き抜く「サバイバル術」を学ぶこと
 しかし、一方で「向こうが悪い、ボクは悪くない」と一方的に相手方を非難したところで、自分が学校を放れた、放れざるを得なかったという現実は残るわけです。そういう自分を救済するためにはどうするのがいいか。つまりは、不登校を選択した子どもたちが現代を生き抜くための「新しいサバイバル術」が必要とされているなのではないでしょうか。
 今まで私たちが受けてきた教育は東大を頂点とするヒエラルキーの「学校神話」に彩られていました。子どもが学校に行かなくなって親や教師が悩むのは何故?それもみなこの神話に絡めとられて考えるからでは?でも、不登校の子どもたちが今求めているのは、そこから「如何に自由になって思考し行動できるようになるか」ということではないでしょうか。
 そのためには、「もはや過去問に強い子どもを育てるような教育ではなく、学校から放れて自由に行動しようと、逆に学校的日常をいかに生き抜くかを選ぼうと、その枠的思考から放れ、縦横無尽に考え未知のものに挑んでいける行動力」ではないでしょうか。もしかして、それは、学校神話から自由になれるなら意外に簡単な方法なのかもしれません。

▼新しい思考は新しい器と行動力で
新しい時代の思考は新しい器に盛りたいもの。そういうことがこの「不登校セミナー」で聞けたら最高なのだが。不登校となった子どもたちに現代を生き抜くどんな「サバイバル術」を紹介してくれるだろうか。早川恵子先生に期待したい。

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不登校になった時 : フリースクールと学校と…(2)学校を放れる子どもたち

2016.09.14.00:09

不登校になった時 : フリースクールと学校と…(2)学校を放れる子どもたち

▼フリースクールの門を叩くまで
 このサイトを訪れ、このブログに目を通される方というのは、たぶんお子さんが不登校になりしばらく様子を見ていたが改善の余地がなく、何かいい手立てはないものかと思い余っての方が多いのではないかと思う。ただし、ただ様子を見るとはいっても、ただ黙っていたわけではあるまい。たぶん、最初は担任を通して、それでも埒が明かない場合には学校の責任者である校長とも話し合った…もちろん家庭ではできるだけのことはした、という方が多いのではないかと思うが、いかがだろうか。
 そういう方が、不登校の子どもたちを引き受ける「フリースクール」というところがあるのを知って、本当に我が子でも大丈夫なものか半信半疑のまま、フリースクールの門を叩いた…そういうこともあるのではないか。

▼学び活動する子どもが主役のフリースクール
 フリースクールに電話をして、実際に相談するために会って見た方は驚かれるかもしれない。「フリースクールって、こんなに不登校の子どもに理解があるところなの?!」と。学校との落差は大きかろう。
 学校は多分に「健常」な生徒な生徒が対象であり、その権限は学校の先生が握っているように見える。学校での主役は先生なのだ。それに対して、フリースクールは大部分が不登校などで学校を放れた子どもたちばかりなのだが、その主人公は生徒たちと言い切れば語弊があろうが、どうも活動の中心には一人ひとりの子どもたちがいて、主役は先生ではなく生徒のようだ。とにかく、学び行動する子どもを取り巻く環境が学校とはまるで違う。そこではどの子も自分らしくいられるようである。

▼フリースクールと聞いて豹変する学校
 こうして、フリースクールで話をして、親子共ども共感し、「体験学習」を通して子ども自身が肌で感じ取り、もう学校に戻る気がなくなり、いざフリースクールに通い始める時になって、奇妙なことが起きることがある。毎月の通級報告や通学定期の発行とか、今後の連絡のあり方とかで、子どもに代わって親御さんが学校に出向くことがある。そして、そこで学校側は親御さんの口から子どもが学校に見切りをつけて、気持ちを切り替えて元気にフリースクールに通い始めたことを聞くことになる。
 これまでは子どもが学校に通えない状態のまま何年も放って置かれ、親御さんの要望も聞き流されるような状態であった。また、一向に不登校になった子どもの気持ちに寄り添うようにも見えなかった。それで、親御さんとしてはこのままでは埒が明かないと思い余っての行動であったはず。ところが、学校側は、「子どもがフリースクールに行き始めた」と聞いた途端、それまでの通り一遍の儀礼的な態度を一変させて、妙に物分りの良い、こどもや生徒思いの先生方に変身するのだ。

▼年齢主義で放置していた学校がとる逃げ口上
 そして、それまでの態度を一変させた学校は、今までもどれほどその子を心配して見守って来たか、考えつく方法を模索してきたか、そして今新たにその子に合った受け入れ方法を用意しているか…などを切々と語りだしたりする。今まで何年も放置して、勉強ができようができまいが年齢が来ればそのまま卒業させることで済ませてきた学校が(日本の学校教育は年齢主義で当該の年齢が来れば卒業させるか放校させる。夜間中学に高齢者が通っているのはそのため。残念ながら今でもそういう措置を取る学校がほとんどだ)である。
 ところが、そういう学校の言い分は殆どはその場の出任せ、と言ったらキツイだろうか。その学校の生徒が学校に見切りをつけたことに驚き、とっさに取った応急措置に過ぎない。思いつきの逃げ口上である。もし本当にそうであったならば、今まで何をしていたのか。たっぷりと時間はあったはずである。でも、実際には、その子のためになることはほとんど何もやって来なかったのである。

▼再度のダメージを受ける恐れのある学校復帰
 ところが、困ったことに、その口車につい乗ってしまう人が出てくることがある。「そこまで、我が子のことを思ってくださるなら…」と親御さんは思うわけである。でも、大抵の場合は、子どもの抵抗で泡と消える。子どもは学校でどうであったか肌で理解している。おいそれと口車には乗らない。でも、中には子どももそれを信じて通い出すこともある。学校は子どもが離れたときと本質的に何も変わっていないにもかかわらずである。そういう場合、意外にうまくいくこともたまにある。だが、その子が再び心の傷をえぐられるような体験をするようになった時、今以上に辛い結果が待っている。
 確かに、その学校の先生は子どものことを考えて色々やってくれるのかもしれない。でも、「無理解の善意はあからさまな悪意よりもたちが悪い」こともある。「ここまでやってやっているのに…」と思いやりが非難に転じることさえある。そして、一度ならず二度目のダメージがその子にとって再起困難なほど決定的に作用することも起きてくる。

▼変わりたければ自ら動くしかない!
 かつて不登校は「原因はよく分からないが、どの子にも起こり得る」と言われた。確かに不登校は多岐にわたり当初はそう言われた。だが、それはまだ臨床例も少なく研究が未熟であった頃の話である。少なくとも今では現場では不登校の類型は掴んでいる。学校や家庭を取り巻く人的社会的環境の大きさも分かってきている。それは弱肉強食的なせめぎ合いというよりは適者生存に近いかも。近年は食物や薬物等による身体的問題もあるが、先進国特有の文化的問題もある…。
 ただ、それらに共通して言えるのは、本来は大人の次元で解決すべき問題が子どもの次元に影響を及ぼし、不登校という子どもの問題として発現していることである。では、どうすればいいか。
 「子どもが危険を感知したらまず逃げるしかない」つまり、「危険な場を離れる」こと、「環境を変える」ことである。そのためにはどうすればいいか。個人の思いを変えるだけでは環境は変わらない。自分の周りの環境を変えるには「自分の周りの風景を変えること」、つまりは「自ら行動すること」である。だが、「変われ!」と念じるだけでは何も変わらない。本当に変えたければ、自分で動くしかないのである。自らが動き出した時、全てが変わる。全てが動き出す。 

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不登校になった時:フリースクールと学校と…

2016.09.05.01:51

 ▼不登校支援の関係者でもない限り、不登校の子どもと接することはどの人にとってもいわゆる初心者である。親御さんにとってだけでなく、一般の教員にとってもそうであることが多い。親御さんの場合には、いわゆる「学校神話」の影響の強い人ほどそのショックも大きかろう。場合によっては、不登校の当事者である子どもよりもパニックを起こす。子どもと思い描いた人生の設計図に綻びが生じ、学校への思いが強いほど、我が子の未来のチャートが描けなくなる。このことでそれまでの学校一直線の路線に絶望する人もいれば、逆にますます学校信仰にのめり込む人も生まれてくる。

 ▼ここで近年、親御さんだけでなく学校側にも特徴的な動きが起きている。一つは、不登校の社会的認知が広がったせいだろうか、子どもが不登校だからといって親御さんも学校側も以前ほど騒がなくなった。「ああ、不登校なのね」と言った感じだ。しかし、親御さんの側と学校側では不登校に対する見方は180度違う。親御さんの場合には、上記に述べたような具合だが、学校側、いわゆる教育行政の側は「時が解決する」とでも考えて、なるべくおっとりと構えている感じだ。  具体的に言えば、「基本的に生徒の側の問題」という姿勢は変わっていないように見える。だがら、不登校になった子どもには余計なケアや経済援助はしない。「不登校の子に教育バウチャーを!」などと言う声には一切耳を貸さない。

 ▼小中学生は「義務教育だから無償」というのはもはや先進国では当たり前であり、その年令の子どもが不登校になったのだから、その子のための別の形での経済的支援があって当然と思うが、日本では一切認めていない。だから、一部の富裕層や経済的にある程度余裕のある家庭以外は、経済的に子どもを支援できず、「不登校=教育棄民」の状態に陥ってしまう。いや、勘ぐって考えれば、不登校になった子には物心両面でより辛い思いをさせ、「ほら、学校を離れると大変だろう。早く戻って来なさい」という方向に意図的に導いているのではないかとさえ思ってしまう。  不登校でも経済的にゆとりがあって自由にフリースクールや専属の家庭教師等の道を見出す一部の人はやむを得ないとして、それ以外の方法が取れず、結局は家庭でブラブラしているような不登校生については、従来の定時制高校の統廃合によって新たに作り上げたチャレンジスクールとかパレットスクールとかの名称で呼ばれる学校に誘い込もうとしているように見える。

 ▼さて、ここに学校がよく使うやる幾つかのパターンがある。その代表的なものの一つを紹介したい。我が子が不登校になった場合、大抵の親御さん方が取る行動にも類型がある。「学校に行きたくない」というわが子の気持ちを何とか変えさせようと試みるのもその一つ。場合によっては心療内科や精神科の医者にもかかり、心理テストだけでなく、投薬を処方されることもある。学校から紹介された機関に通わせてみたりもする。それで親の思惑通りというか、大したこともなく収まることもある。しかし、大抵の場合には。いろいろやってみた挙句、「もうこれ以上は無理だ。限界だ。強要しない方がいい」と悟ることになる人もいる。中には、我が子の不登校の原因らしきものが明らかに我が子以外にあると気付かれる親御さんもいるかもしれない。しかし、それが当人に起因するかどうかにかかわらず、大抵は不登校の子どもの親御さんが自費で行っている。そういう極めて理不尽な関係のもとに不登校の子どもたちが置かれているわけである。  ところがである。それほど理不尽な関係性の中に自分の子どもが置かれていながら、それまでは我が子の不登校に無理解の態度を取り、保護者の要求にはほとんど耳を貸さなかったような学校側が、「実は子どもを○○のフリースクールに通わせることになりまして…」と切り出した途端、それまでの態度をガラッと変えることがある。それはどういうことかと言うと…。

 (つづく)

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学校の対応とフリースクール-(2) 子どもがフリースクールに通うと言い出した時

2016.08.01.19:55

不登校 : フリースクールと学校と…(2)

▼フリースクールの門を叩くまで
 このサイトを訪れ、このブログに目を通される方というのは、たぶんお子さんが不登校になりしばらく様子を見ていたが改善の余地がなく、何かいい手立てはないものかと思い余っての方が多いのではないかと思う。ただし、ただ様子を見るとはいっても、ただ黙っていたわけではあるまい。たぶん、最初は担任を通して、それでも埒が明かない場合には学校の責任者である校長とも話し合った…もちろん家庭ではできるだけのことはした、という方が多いのではないかと思うが、いかがだろうか。
 そういう方が、不登校の子どもたちを引き受ける「フリースクール」というところがあるのを知って、本当に我が子でも大丈夫なものか半信半疑のまま、フリースクールの門を叩いた…そういうこともあるのではないか。

▼学び活動する子どもが主役のフリースクール
 フリースクールに電話をして、実際に相談するために会って見た方は驚かれるかもしれない。「フリースクールって、こんなに不登校の子どもに理解があるところなの?!」と。学校との落差は大きかろう。
 学校は多分に「健常」な生徒な生徒が対象であり、その権限は学校の先生が握っているように見える。学校での主役は先生なのだ。それに対して、フリースクールは大部分が不登校などで学校を放れた子どもたちばかりなのだが、その主人公は生徒たちと言い切れば語弊があろうが、どうも活動の中心には一人ひとりの子どもたちがいて、主役は先生ではなく生徒のようだ。とにかく、学び行動する子どもを取り巻く環境が学校とはまるで違う。そこではどの子も自分らしくいられるようである。

▼フリースクールと聞いて豹変する学校
 こうして、フリースクールで話をして、親子共ども共感し、「体験学習」を通して子ども自身が肌で感じ取り、もう学校に戻る気がなくなり、いざフリースクールに通い始める時になって、奇妙なことが起きることがある。毎月の通級報告や通学定期の発行とか、今後の連絡のあり方とかで、子どもに代わって親御さんが学校に出向くことがある。そして、そこで学校側は親御さんの口から子どもが学校に見切りをつけて、気持ちを切り替えて元気にフリースクールに通い始めたことを聞くことになる。
 これまでは子どもが学校に通えない状態のまま何年も放って置かれ、親御さんの要望も聞き流されるような状態であった。また、一向に不登校になった子どもの気持ちに寄り添うようにも見えなかった。それで、親御さんとしてはこのままでは埒が明かないと思い余っての行動であったはず。ところが、学校側は、「子どもがフリースクールに行き始めた」と聞いた途端、それまでの通り一遍の儀礼的な態度を一変させて、妙に物分りの良い、こどもや生徒思いの先生方に変身するのだ。

▼年齢主義で放置していた学校がとる逃げ口上
 そして、それまでの態度を一変させた学校は、今までもどれほどその子を心配して見守って来たか、考えつく方法を模索してきたか、そして今新たにその子に合った受け入れ方法を用意しているか…などを切々と語りだしたりする。今まで何年も放置して、勉強ができようができまいが年齢が来ればそのまま卒業させることで済ませてきた学校が(日本の学校教育は年齢主義で当該の年齢が来れば卒業させるか放校させる。夜間中学に高齢者が通っているのはそのため。残念ながら今でもそういう措置を取る学校がほとんどだ)である。
 ところが、そういう学校の言い分は殆どはその場の出任せ、と言ったらキツイだろうか。その学校の生徒が学校に見切りをつけたことに驚き、とっさに取った応急措置に過ぎない。思いつきの逃げ口上である。もし本当にそうであったならば、今まで何をしていたのか。たっぷりと時間はあったはずである。でも、実際には、その子のためになることはほとんど何もやって来なかったのである。

▼再度のダメージを受ける恐れのある学校復帰
 ところが、困ったことに、その口車につい乗ってしまう人が出てくることがある。「そこまで、我が子のことを思ってくださるなら…」と親御さんは思うわけである。でも、大抵の場合は、子どもの抵抗で泡と消える。子どもは学校でどうであったか肌で理解している。おいそれと口車には乗らない。でも、中には子どももそれを信じて通い出すこともある。学校は子どもが離れたときと本質的に何も変わっていないにもかかわらずである。そういう場合、意外にうまくいくこともたまにある。だが、その子が再び心の傷をえぐられるような体験をするようになった時、今以上に辛い結果が待っている。
 確かに、その学校の先生は子どものことを考えて色々やってくれるのかもしれない。でも、「無理解の善意はあからさまな悪意よりもたちが悪い」こともある。「ここまでやってやっているのに…」と思いやりが非難に転じることさえある。そして、一度ならず二度目のダメージがその子にとって再起困難なほど決定的に作用することも起きてくる。
 
▼変わりたければ自ら動くしかない!
 かつて不登校は「原因はよく分からないが、どの子にも起こり得る」と言われた。確かに不登校は多岐にわたり当初はそう言われた。だが、それはまだ臨床例も少なく研究が未熟であった頃の話である。少なくとも今では現場では不登校の類型は掴んでいる。学校や家庭を取り巻く人的社会的環境の大きさも分かってきている。それは弱肉強食的なせめぎ合いというよりは適者生存に近いかも。近年は食物や薬物等による身体的問題もあるが、先進国特有の文化的問題もある…。
 ただ、それらに共通して言えるのは、本来は大人の次元で解決すべき問題が子どもの次元に影響を及ぼし、不登校という子どもの問題として発現していることである。では、どうすればいいか。
 「子どもが危険を感知したらまず逃げるしかない」つまり、「危険な場を離れる」こと、「環境を変える」ことである。そのためにはどうすればいいか。個人の思いを変えるだけでは環境は変わらない。自分の周りの環境を変えるには「自分の周りの風景を変えること」、つまりは「自ら行動すること」である。だが、「変われ!」と念じるだけでは何も変わらない。本当に変えたければ、自分で動くしかないのである。自らが動き出した時、全てが変わる。全てが動き出す。


プロフィール

Bakiller

Author:Bakiller
不登校の子ども達やフリースクールを応援するブログです。
「不登校も過ぎてみればいい経験」がモットー。「脱・不登校」ですが、不登校の否定ではありません。それを肥やしにして、そこから飛び立つことが願いです。
 世の中にはもと不登校とか学校が合わなかったという人はたくさんいます。でもその人達は自分を否定せず自分を貫き通し自己実現した人達。不登校をはじめ様々な逆境をまたとないチャンスとして積極的に生かした人達。何も特別な人達ではありません。どの子もそうなることことを願っています。主役はあなたです。

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